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昇降口でひとり、芳久を待つ。
外は雨。屋根のあるぎりぎりのところに立ってても濡れない、風のないまっすぐな雨。
「お待たせ、綿谷」
「お、早いね今日は」
「外暗いし、これから雨強くなるから今日は早めにおしまいだって、先生が――」
バイバイ、と吹奏楽部の仲間たちに手を振って、芳久が下駄箱を開ける。一瞬固まってからこっちを振り返り、上目づかいで俺をにらみつけてやめろよね、と言う。
「こういうおふざけ。僕らもう高校生なんだから」
部活中に書いてさっきスニーカーの上に乗せておいた、雨のせいで湿気たラブレターを白く細い指先でゆらゆら揺らしてから芳久はそれを鞄にしまう。いつもそれ、家に帰ってから読んでんの?
「俺からじゃないかもよ」
「学校名が入った茶封筒使ってラブレター書く人が綿谷以外にいるかね」
「いるかもしんないじゃん」
速足で俺の前を通過して、芳久は傘立てから深紅の傘を取りだしスパッとひらいた。お姉ちゃんからのお下がりだという女性物の傘を、芳久は気にせず使ってる。そういうところがある。芳久には思春期特有の照れがない。
「けっこう降ってるね」
「おー、さっきより強くなってんね」
雨の日でもおかまいなしの速足のせいで、芳久の制服のズボンの裾は濡れる。それに合わせて歩くせいで俺のも濡れるけど仕方ない。
「こんな日は先に帰ってもいいのに」
「やだよ」
「文芸部って暇なんだろう」
「超ヒマ。だからラブレター書いてる」
「暇つぶしですか」
怒ってるのか笑ってるのか、雨音と傘が邪魔して早口な芳久の声の表情が今日はうまく読み取れない。でもこんなに早口でせっかちなくせに、芳久の吹くクラリネットの音はいつも誰よりもゆったりと安定して美しく響くから不思議だ。
「じゃ、また明日」
あーあ。今日もこの分かれ道まですぐだよ、速足の芳久のせいで。
「おう、バイバイ」
ほかのだれにも別れ際に手なんて振らないけど、振り返してくれる芳久がかわいいから彼限定で手を振る俺。
すたすたとあっという間に遠ざかっていく深紅の傘を見送る。やっぱり今日も、ズボンの裾のうしろがびしょびしょだ。
そのまま角を曲がるのをいつもと同じように見届けて俺も歩きだすはずが、芳久がふいにこっちを振り返った。
「え」
なになになに。速足で引き返してくる。
「どしたの」
「綿谷さ、なんでいつもここに立って僕が角曲がるまで見てるの」
あれ、気づいてたんだ。
びっくりした。今まで一度も振り返ったことなんてなかったから、知らないんだと思ってた。
「その理由聞きたい?」
問うと、うーん、と芳久にしてはめずらしくしばらく考えこんでから、傘を持ってないほうの手をバイバイする時と同じように激しく揺らした。
「いい、いい。まだいらない」
高速で動く手のすきまから見えた頬がすこし赤い気がした。あっという間に背中を見せていつもよりさらに速足で行ってしまったからちゃんと確認できなかったけど。
まだいらないってことは、いつかは聞きたいってことだろうか。
とりあえず、ラブレターは読んでくれてるみたい。
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