05

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 お城に戻るのかと思ったのに、ヴェルリヤが俺の手を掴んだまま向かったのは、店が立ち並ぶ通りから外れた木立の合間だった。森の中と言っていいくらい、鬱蒼とした獣道を飛ぶこともなく歩いていく。やがて少し開けた場所に着くと、程なくしてヴェルリヤの呟き通り激しい雨が降って来た。この世界で初めての雨だ。大木の下にいるにしても、雨粒が当たらないことに気づいて見上げると、ヴェルリヤがあの大きな翼を俺の頭上を覆うように広げてくれていた。 「翼、濡れちゃうんじゃ……」 「水滴など払えば良いだけだ。問題ない、すぐに止む」  ……確かに、鳥って水浴びとかよくするしな。他愛ない話をしているうちに、また彼の言葉通りに雨が止んで――目の前の開けた地面には、大きな水鏡が現れた。 「すごい……! 空とか木とかが地面に映っている!!」  木々の合間から見える、再び顔を出した抜けるような青空と、柔らかな新緑色の美しいコントラストが広大な水鏡に映し出され、きらきらと輝いている。ばさ、と大きく翼を震わせる音が少し離れた場所から聞こえてきた。俺に水滴が当たらないように、わざわざ離れたらしい。  ――こんな世界、好きになってしまうじゃないか。  世界……じゃないな、一見愛想もへったくれもない、表情筋があるのか心配しちゃうようなこの美しい有翼の男が見せる、器用とは思えない優しさが愛しくて仕方なくなる。言葉は少ないので分かりにくいが、ずっと俺が喜びそうなことを考えて、行動してくれていたのだと思うのは自意識過剰だろうか。彼が震わせた翼から、小さな羽根が抜けてふわふわと宙に舞った。一枚の羽根だって綺麗で、思わず掴み取ってから、服の中にささっとしまい込む。 「ありがとう。俺、この世界に来て……ヴェルリヤに出会えて、良かったよ」  そう笑いかけた時――目が眩むほどの白い輝きに、俺は包まれていた。 *** 「ああ、良かった。気分はどうかな? どこか、痛むところは」  見知らぬイケメンが俺を覗き込んでいた。見覚えのない、真っ白な部屋。白銀の、長い髪のイケメン……ヴェルリヤと似た髪色だけれど、顔はまったく似ていない。ヴェルリヤは冬を湛えたような薄氷の瞳をしていて、こんな風にニコニコと笑ってはくれない。……ほんの少ししか一緒にいなかったくせに、あの硬い表情がふっと柔らかく微笑む一瞬がどうしようもなく好きだな、なんて思い返して――自分でもドン引くくらい、涙がボロボロと出てきた。 「わたしは君たちが言うところの、死神みたいなものだ。君は、この世界で間もなく死に、魂もこの世界で生まれ変わる予定だったんだよ。それを、どうやってか別な世界に連れ出してしまったイタズラっ子がいてね。人が生きやすい世界というのは、限られている。急いでこちらに戻したのだが……そうか、君はあちらで幸せを見つけたのだね」 「……しあわせ」  泣きながら、俺は笑っていた。そうか。ヴェルリヤと過ごしたあの愛しい時間が、俺にとって――幸せだったのか。頑張って涙を止めようと焦っていると、「幸せ、ありましたかっ⁈」とあの青い翼を持った迷子が顔を出した。ここはあの子のいる新興宗教の本部か何かなのか? 笑いが止まらなくて、あの世界に……ヴェルリヤがいる世界に帰りたくて。俺は自分で分かっていても、顔がグチャグチャになるのを止められなかった。 「仕方ないな。……見なかったことにしよう!」 「「えっ」」  青い翼の子と、驚きの声が被った。子供も俺の隣でドキドキとしている様子が伝わってくる。そうしてイケメンは「さあ、君の運命と再会をしておいで」なんてよく分からないことを言い出した。……やっぱり、怪しい新興宗教なのかね、ここって。そんな馬鹿なことを考えているうちにイケメンの長い白銀の髪が光りとともにふわっと広がって――俺は再び、夜の鎮魂の谷に落ちていた。 *** 「……通帳のこと、聞き忘れちゃった」  でも、そんなことはもうどうでも良い。ここは鎮魂の谷――ヴェルリヤがいる世界だ。ウキウキとヴェルリヤが住まうあの城に帰ろうとして、俺はぎくりとなって足を止めた。初めてこの世界に来た時と同じく、時間はそろそろ朝を迎えそう、という頃合いなのは空を見てわかる。有翼人たちはヴェルリヤもそうだが、暗闇だと視界が狭まってしまうので、夜の間はとても静かでみんなジッとしている。ようやく遠い空の端が薄っすらと明るくなってきたくらいの時間に、蠢く塊が見えたら――怖い。 「おい、なんかいるぞ!」  塊が複数の人間たちだと分かっても、俺の緊張は解けない。連中は採掘作業でもするためなのか、大ぶりの道具を手に手に持っている。しかし、何のためにそんなものを、と考えたところで――俺はハッとした。 「あ! こいつ……あのおっそろしい白鷹の王が連れていた人間じゃないか。でもほら、お前も金になる財宝が欲しいんだろう?」  男たちが持っているカンテラの灯りと、目が慣れてきたことで相手の顔が分かり、俺も「あーーー!」と声を上げていた。あの青毛の野生馬を売るために連れ出そうとしていた男たちだ。そして、今度は鎮魂の谷に眠る水晶――有翼の人々の遺骸を盗掘しようとしているのだ。俺を見てニヤニヤしながら、「ほら、一緒に金儲けしようぜ」と声をかけてくる。 「……そんなことをして得たお金なんて、お金として認めない!」  俺は、通帳が大切だったんじゃなくて――ただ、何もない空っぽな自分の達成感を得たいだけだったんだ。それよりも、ヴェルリヤたちにとって大切なこの場所を荒らさせるわけにはいかない。水晶たちが光り輝く谷を背に彼らと向き合うと、男たちが下品な口笛を吹いた。 「前に見た時も思ったが……白鷹の王が気に入るだけあって、男にしちゃ可愛い顔しているよなあ。白鷹の王のところから、なんか盗んで逃げたんだろう? あの恐ろしの王が、泡食ってここ数日あちこち探し回っているって噂になっていたからな。何を持って逃げたんだよ? まあ、どうせ白鷹の王に目を付けられたら、行く宛なんてないんだろう? オレたちと一緒に行こうぜ」 (数日? もう数日も経ったのか⁈)  幾日か経過していたことと、ヴェルリヤが探し回っているということに驚いてしまって立ち尽くしていると、男たちはまた一層近づいてきた。 「どうせ連中は『羽なし』の俺たちなんて信用することはないんだからさ。人間は人間同士、仲良くしようぜ」  本当に、俺が逃げたのだとヴェルリヤが思っていたらどうしよう。そう考えたら目の前が一気に暗くなった。もう空は朝焼け色にすっかりと染まり、カンテラの灯りがなくても十分なくらい明るいのに。ぼんやりと視線を上げると、男の一人が岩に向かってツルハシに似た道具を打ち付けようとするのが見えた。 「ああ、これか。お前も分け前が欲しいだろう? 今までここに入ることもできなかったが、やっとご対面だまあ、オレたちをここに招き入れてくれた鳥どもが、後でどうなるかは知らんけどね」  リーダー格の男が嬉々として語るのを聞いていられず、俺は咄嗟にツルハシもどきを持った男へと思いっきり体当たりしていた。体格は明らかに男たちの方が良い。それでも、ヴェルリヤが守り続けているこの場所を、他の誰かの大切な家族の亡骸に傷をつけることを、俺はどうしても許せない。当然、男たちは反撃してきたものの、自然と恐怖は感じなかった。……俺の感情は、とっくに壊れているから――大丈夫だ。  武器になる物が何もない状況で、出来ることといったら何とか相手の道具をダメにすることくらいだ。下に落ちていた太めの枝を拾うと、周囲で見物にまわることにしたらしい男たちが笑った。
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