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翌週の週末、眞崎は八田との待ち合わせ場所である、会社のすぐ傍のカフェにいた。
呼び出したのは八田だ。
エレベーターの前で出会した時に、少し時間が取れる日はないかと聞かれて、別にいつでも、と答えた。
だが、約束の時間を過ぎても八田はまだ来ない。考えてみたら、頻繁に顔を合わせるものの、お互いの連絡先も知らなかった。
本とタブレットを並べて眺めながら待っていると、約束の時間を二十分近く過ぎて、八田が店内に駆け込んでくる。やたらと重そうな大きな箱が入った紙袋を、必死に抱え持っている。
「ご、ごめん…!遅くなった」
どすんと荷物を床に置き、息を整えながら椅子を引く。眞崎は耳からワイヤレスのイヤホンを取り除いて、テーブルの端に置いた。
「帰り際に営業先から電話かかってきちゃって、長引いて…!」
テーブルに両肘突いて息を整える八田を、眞崎は呆れ顔で眺める。
「何そんな慌ててんだ。遅れたって言っても十分二十分だろ。いいよ、そのくらい」
え、と八田は目をぱちぱちさせた。何となく、少しでも待たせたら怒るタイプの人間だと思っていたのだ。
「勉強してたの?」
眞崎が鞄にしまおうとする参考書とタブレットを見て、八田は目を丸くする。
「うん」
「何の?」
「英語」
「え、なんで?」
「あんまり好きじゃねんだよ」
「好きじゃないのに何で勉強するの?」
「お前それ、同じ科目で毎回赤点取ってる奴の発想だぞ。苦手だからするんだろ。うちの会社海外からの客そこそこいるけど、対応できる奴そんなにいないから、ほとんど宇堂さん一人で回してんだよ。それで最近仕事量がエグい事になってて」
「眞崎が手伝うってこと?」
「前から手伝ってはいたんだけどまだまだフォローしてもらってるから。一人立ちしてぇの。得意な人員入れるとは言ってるけど、新しく来た奴に横から仕事取られるのもムカつくだろ」
面白くなさそうに言いながらイヤホンをケースにしまっている。あは、と八田は笑った。
「負けず嫌いな上に宇堂さんラブだ。何かアレだね、高校の部活とかで、憧れの先輩が新入部員に期待かけてると妬けちゃうからめっちゃ頑張って振り向かせようとする後輩みたいな…」
八田がけらけら笑うと、眞崎は不愉快そうに眉を歪めて「舐めたこと言ってんじゃねぇぞ」と凄んだ。案外真面目でかわいい一面を見てしまった直後だから、全く怖くない。
「それよりお前何だよ、その大荷物」
「あ、あのね、これ、こないだのお礼」
八田がテーブルの横から紙袋を両手で押して床を滑らせ、渡してくる。随分とがさつな贈呈だ。
「何これ。でかくね?」
お礼という名の嫌がらせか、と疑いたくなるような重量感だった。
「日本のご当地ビール二十四選。瓶だから重いんだよね」
「……お前これどうやって持ってきた?」
「会社に直配してもらったの。社内では台車使って、そこからは頑張って運んだ」
紙袋に入ってはいるものの、持ち歩くための袋としては用を足さない。引き上げたら間違いなく持ち手が切れるだろう。
「お前これさ、セレクト自体は悪くねぇけど、嵩張り過ぎだろ。持ち帰り辛い」
力はあるので重さはさほど気にならないが、通勤ラッシュで鮨詰め状態の電車内でこのボリュームの荷物を持ち歩くのは、相当の配慮を要する。
「うん、そうだろうと思ってね。家に配送しようかなって。でも住所知らないから、聞こうと思って呼び出したの」
書いて、と八田は鞄から配送伝票とボールペンを取り出した。
「それ、会社で会った時に聞けば良くね?」
「そうなんだけどさ。お礼送るから住所教えてって言っても断られそうだし。現物が目の前にあって自分で書いてもらうんなら、さすがに断られないかなって」
「……」
呆れたように黙り込んだ眞崎の隙を突いて、八田はばっと頭を下げた。
「その節はありがとう。本当に助かった…助かりました」
素直に頭を下げられて、眞崎は面食らったように、おう、と鈍い返事をした。八田はえへ、と少し照れ臭そうに笑う。
「顔見て、改めてお礼を言いたかったんだ。すっきりした」
「…その後は何もないの」
「うん。何にもないよ、おかげさまで」
「ならいいけどさ」
「ねぇ眞崎、ありがとね。宇堂さんと有希ちゃんに聞いたの。あの日、偶々って言ってたけど、そうじゃなかったんでしょ?何日も毎日、私について、会社出てから家着くまで見届けてくれてたって聞いたよ。大変だったよね」
あの一日でさえ、八田が終電まで飲んでいる間ずっと、待ってくれていたというのに。
「それにね、あの夜一緒にいてくれたのも、嬉しかった。私、引き留めちゃったでしょ。眞崎に悪いって思ったのもあったけど、多分、一人になるのが怖かったんだと思う。同じ部屋に眞崎がいてくれて、すごく安心した」
あの日、八田は寝付くのにだいぶ苦労した。けれど、少し離れた場所から聞こえる呼吸音。それが眞崎のものだと思うと、不思議なほど気持ちが凪いだ。何かが起きても、守ってくれる人がいる。それは驚くほどの安心感を八田に齎した。
「眞崎で良かった。ありがとう」
友達の恋人である宇堂には、とてもそんな事は言えない。眞崎だから遠慮なく引き留める事が出来たのだ。
八田が屈託のない笑顔を向けると、眞崎は目を逸らして「いいよ」と素っ気なく言った。
「礼はもう充分」
「はは、照れてる」
「うるせぇ」
眞崎は誤魔化すように紙袋の中を覗いた。ふと、箱の他にも何か入っている事に気付いて、手に取る。
「何だこれ」
ポップなアヒル柄の封筒だった。中を覗くと、紙幣が数枚入っている。
「あ、それはお礼じゃなくて借りてたお金」
「金貸した覚えないけど」
「ホテル代だよ。あの時眞崎いつのまにか払ってくれてたでしょ」
「いらねぇよ。俺が連れ込んだんだし」
「連れ込んだって…私の為じゃん。交通費だってかかったでしょ?」
「交通費なんて小銭だよ。とにかく金はいらねぇ」
「いや、受け取ってもらう」
八田は確固たる意志をもって、封筒を眞崎に押し付けた。しばらく押し問答をした後、眞崎は諦めてその封筒を受け取った。
「お前ほんとしつこいな。営業向いてるわ」
「やっとわかったか!結構成績いいんだからね⁈」
「使っちまうか」
「え?」
「今日暇なんだろ?飲み行こうぜ、今からこれで」
眞崎が封筒をひらひら振ってにやっと笑うと、八田は諸手を挙げて喜んだ。
「やった、奢りだ!」
「どっちか言ったらお前の奢りだけどな」
眞崎は呆れたように笑って、軽く肩を竦めた。
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