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子どもの頃にお母さんが死んだ。身体が弱かったのに、私を産んで育てて、無理をした結果だという。お父さんは仕事に忙しい人で、お母さんに家事も育児も任せきりだったらしい。お母さんが突然死して、かっこよかったお父さんは一気に老け込んだ。
それからまだ幼かった私を連れて、お父さんは実家に帰った。仕事をしながら家事や育児をこなすことが難しかったからだ。
そんな私は、ほとんどおじいちゃんとおばあちゃんに育てられたといっても過言ではないだろう。初潮を迎えたときに一番に報告したのもおばあちゃんだったし、学校でいじめられて辛かったときに相談したのはおじいちゃんだった。
お父さんは、夜遅くに帰ってきて、眠っているふりをする私の頭をそっと撫で、いつもごめんな、と言うだけだった。そんな人をどうして家族だと思えるだろう。私にとっての家族は、おじいちゃんとおばあちゃん。二人だけで十分だった。
おばあちゃんが死んだ。階段から転がり落ちて、打ちどころが悪く、即死だったという。私は人生で一番悲しんだ。お母さんが死んだときはまだ幼くて何も分からなかったし、おばあちゃんは私にとって大切な家族だったから。
おばあちゃんが亡くなって、おじいちゃんは少しボケてしまった。ときおり二人は喧嘩をしていたけど、やっぱり仲の良い夫婦だったのだ。おばあちゃんがいなくなってしまったことで、ぽっかり空いてしまった家族の穴。
せめておじいちゃんには元に戻ってほしくて、私はいろんな方法を試した。脳を使うのがいいと聞けば、クロスワードパズルやあやとりを勧めた。
部活をやめて、おじいちゃんと一緒に過ごす時間を増やした。極力会話をして、一緒に折り紙を折ったりもした。お父さんは自分の父親のことなのに、何もしようとしなかったので、私が何とかするしかなかった。このままではお父さんはおじいちゃんを持て余して、老人ホームに追いやってしまうかもしれない。そうしたら、私はまた家族を失うことになってしまう。私には、おじいちゃんしかいないのに。
おじいちゃんは昔話をよくした。最近の話はあまり覚えていないみたいで、特に多かったのはおばあちゃんと出会った頃のこと。おばあちゃんの写真も見せてもらった。色褪せた写真だったが、やわらかな笑顔を浮かべる美人なその人は、とても目をひいた。「町で一番の美人だったんだよ」とおじいちゃんは得意げに言った。一目惚れだった、何度も告白して、振られて、ようやく嫁に来てくれたんだよ、と。
おばあちゃんの話をするときは、おじいちゃんは本当に楽しそうだった。おばあちゃんが帰ってきてくれれば。そんなことを考えて、悲しくなった。
そんなときだった、インターネットで見つけた、家族レンタルサービスは。
「家族、レンタルします……?」
なにこれ。お父さんのレンタル、お母さんのレンタル。お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹。借りる人によって、値段は違う。その項目を眺めながら、私は嫌なことを考えてしまった。
もしも。もしも、おばあちゃんに似た人がいれば……おじいちゃんは元に戻るんじゃないかな。そんな最低な考えが、頭から離れない。
レンタル家族の項目の一番下に、おばあちゃんという項目があった。緊張しながらそのページを開き、スクロールしていく。お父さんやお兄ちゃんの項目に比べて、登録している人は圧倒的に少ない。おじいちゃんやおばあちゃんの世代は、こんなことをしてお金を稼ごうと思う人が少ないのだろう。
おばあちゃんのページの一番最後に載っている人に、目がとまる。
「おばあちゃん…………」
目を疑った。おばあちゃんにそっくりなその人は、紹介欄にこう記してあった。
長年連れ添ってきたパートナーを亡くし、寂しくなって登録しました。あなたのお話相手になりたいです。
この人なら、おじいちゃんを救えるかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。私はお年玉貯金の中身を確認し、申込みボタンをタップした。
「はじめまして、今日はよろしくね」
優しい声に、やわらかい表情。当たり前だけど、おばあちゃんとは違う人だ。でも、仕草や表情が似ている気がするのは、私の先入観からくる勘違いなのだろうか。
「あの……おじいちゃんが、その、おばあちゃんを亡くしてから少しボケてしまって……、おじいちゃんの話し相手になってほしいんです」
「あら、それは辛いわね」
あなたも寂しかったでしょう、と心配そうな表情で言われて、泣きそうになった。お父さんは実の父親なのに、そんなこと一度も言ってくれなかった。
私にはおじいちゃんとおばあちゃんしかいなかった。おばあちゃんはもう還ってこない。だから、せめておじいちゃんには、元に戻ってほしい。そう願ってやまないのは、私のわがままなのだろうか。
レンタルおばあちゃんと一緒に、実家に戻った。おじいちゃんは私があげたパズルを一生懸命やっていた。一つ一つのピースが大きくて、とても簡単なものだけど、おじいちゃんには難しいらしい。あれでもない、これでもない、と頭を捻りながらパズルのピースを組み合わせている。
「ただいま、おじいちゃん」
「ああ、おかえり」
顔を上げたおじいちゃんは、固まった。私の隣にいる、レンタルおばあちゃんの姿を見て。
似ているのだ、本当に。おばあちゃんが還ってきたような錯覚をしたのかもしれない。おじいちゃんは震える手でレンタルおばあちゃんに手を伸ばし、「ばあさん?」と問いかけた。
「ただいま、おじいちゃん」
レンタルおばあちゃんが、そう言った瞬間だった。おじいちゃんの顔が真っ赤に染まり、手元の出来かけのパズルをひっくり返す。
「帰れ! わしはまだ生きるぞ!!」
「え?」
「わしはな! 大事な孫を残して死んだりしない! ばあさんがいなくてどんなに寂しくても、後を追ったりしない! 帰れ!!」
レンタルおばあちゃんは面を食らったような顔をしていた。それからぽろりと涙をこぼして、私は焦ってしまう。
どうしよう、おじいちゃんがこんな反応をするとは思っていなかった。レンタルおばあちゃんに、少しおじいちゃんと話してもらいたかっただけなのだ。普段温厚なおじいちゃんが、まさか怒鳴ったりするなんて。
真っ青な顔でレンタルおばあちゃんを見ると、泣きながら私の肩を抱いてくれる。
「よかった……よかったね……」
「え?」
「あなた、おじいちゃんにすごく愛されているのね。大丈夫、寂しがることも、心配することもないわよ」
おじいちゃんはまだ帰れと怒鳴り続けている。そんな中で、今日初めて会ったレンタルおばあちゃんに抱きしめられるという奇妙な体験をしながら、私は戸惑っていた。
「とても愛されているのよ、あなたがいる限り、おじいちゃんは大丈夫」
もしかして少しボケてしまっているのかもしれない。でも、孫のあなたを愛する気持ちも、おばあちゃんを愛していたその気持ちも、忘れていないわ。
そう続けられた言葉に、私も涙をこぼす。
ずっとこわかった。おじいちゃんがボケてしまって、私のことを忘れてしまったら? おばあちゃんと三人で過ごしたあの幸せな日々も、なくしてしまったら?
そんな不安が、ずっと心の奥にあったのだ。だからレンタルおばあちゃんに頼って、おじいちゃんに元に戻ってもらおうとした。だけど、そんな必要なかったのだ。
おじいちゃんには、強い意志があった。孫の私をひとりぼっちにしないように、寂しい思いをさせないように。
深く愛されているのだ、と実感して涙が止まらない。私は一人じゃなかった。おじいちゃんは、私を愛してくれている。ひとりぼっちにしたりしない。
「大丈夫、よかったね」
私も嬉しいわ、とレンタルおばあちゃんが優しく言ってくれる。おじいちゃんに罵声を浴びせられたのに、どこまでも優しいその人に抱きしめられながら、私は涙が枯れるまで泣き続けた。
「今日はありがとうございました」
泣き腫らした目でレンタルおばあちゃんを見ると、おばあちゃんによく似た優しい笑顔で応えてくれる。
「お役に立てたならよかったわ。おじいちゃんのこと、大事にしてあげてね」
「あの、これお代です」
封筒に入れてあったお金を手渡すと、レンタルおばあちゃんは受け取って、封筒からお金を取り出す。そしてそのお札を折りたたみ、私の手に握らせる。
「はい、これはおばあちゃんからのお小遣いよ」
「えっ?」
「私はね、おじいちゃんだけじゃなくて、孫も早くに亡くしたの。だから、一度もお小遣いをあげたこともなかった」
「…………」
「ずっと夢だったの。かわいい孫に、お小遣いをあげること」
だから、もらって。
そう言って微笑むレンタルおばあちゃんは、本当のおばあちゃんのように見えた。おばあちゃんもよくこうしてお札を折りたたんで、私の手にそっと握らせてくれたっけ。お父さんにバレないようにね、といたずらっ子のように笑いながら、「それでお菓子でも買いなさい」と言うのだ。
「…………私、おばあちゃんが亡くなって、ずっと寂しかったんです」
「……そうね。身近な人を亡くすのは辛いわね」
「でも、あなたは本当のおばあちゃんみたいでした。おじいちゃんも、本当におばあちゃんが還ってきたって思ったみたい。……ありがとう、私のおばあちゃんになってくれて。おじいちゃんの本音を聞かせてくれて」
もう一度ぎゅっと抱きしめられる。他人のはずなのに、嫌じゃない。むしろ嬉しいと感じるのは、私にとってこの人がレンタルおばあちゃんを超えた、もう一人のおばあちゃんのように思えるからだ。
「……また、会えるかな」
「私はいつでも大歓迎よ」
優しく笑うその人に手を差し出す。そっと重ねられた手をぎゅっと握り、私は久方ぶりに心から笑った。
「またね、おばあちゃん!」
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