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輝夜姫
盛大な爆音を響かせて走るゴーカート。
2kmのコースを2周するアトラクションが人気である。
私立探偵三四郎の今回の依頼は、
このアトラクションのある場末のテーマパークに来園するゲストに
風船を300円で買ってもらう仕事だ。
一見すると本来の仕事とはかけ離れて見えるかもしれぬ。
それこそ素人考えである。
園には、様々なゲストが来園する。
なかには、麻薬の密売者が潜んでいるかもしれぬ。
近頃は、五ヵ国語で注意書きがされる程の
インターナショナルな地域だからこそである。
人間模様を観察するのも仕事の一環だ。
三四郎は、ピンクの兎の縫いぐるみを着込み
風船を売捌こうと必死だった。
狙いめは、孫を連れた爺さんだ。
孫の目の前に風船を掲げると、
孫は目を輝かせて風船を手に取ろうとする。
そんな小さな孫の手を止めるなんて事が
爺さまに出来るわけがない。
何千円もする品を売りつけるわけでも無い。
怪しい効能を謳ったプラスチックの蛇を売るわけでも無い。
売るのは、
“あの子はどこの子♪”
昭和の爺さんの心にも刺さるアイテム赤い風船。
コーヒー一杯分の金額など
爺さまにとっては“はした金”だ。
昼も過ぎ、来園者の足も途絶えた昼下がり。
風船が、やっと半分ほど売れた頃にバイトのスタッフから
「三四郎さん。休憩に入って下さい」
と、声がかかった。
俺は、兎の縫いぐるみの頭を取り腕に抱えベンチに座った。
目の前を通り過ぎようとする小さな子供が目を丸くする。
(お嬢ちゃん、夢は覚めるためにみるもんだ)
そう心の中で呟いて何気なくゴーカートの乗り場の方を見ると
何やらよくない予感がする。
(なんだろう…風がざわついている)
思った瞬間に
『ギャッ!』
という叫び声が聞こえた。
叫び声を着た瞬間に俺の身体に電源が入った。
兎の頭を放り出し、俺はゴーカートコースに向かって駆けだす。
入り口付近で一台のゴーカートがクラッシュしている。
多くのスタッフも駆けつける。
現場を見ると一台の車のエンジンルームに
女性の髪が巻き付いている。
俺は、チケット売り場からハサミを取り出し手に取った。
考える隙もなく身体が動く。
そして、苦痛で叫び続ける女性の黒髪を
無慈悲なエンジンから救うために鋏を入れた。
じゃきじゃきじゃきじき…邪気邪気邪気…
鋏の音が“穢れ”を払うように鳴る。
そして、最後のひと房をなんとか切り終えた途端
みじかく切った筈の黒髪が足首まで伸び
黒髪は、少女と共に風に舞い目の前に浮かぶ。
「助けて頂いてありがとうございます!
私は、猿山北高校弐年伊藤薫子と申します」
そう告げると、沈む夕日に向かって飛び去ってしまった。
東の空には、猫の目より細い月が輝いていた。
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