シンデレラ

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シンデレラ

私立探偵三四郎の朝は早い。 以前は、コーヒー豆をミルで引き フィルターを通して丁寧に煎れていた。 日本の企業努力の結果生み出された、 梱包されたドリップコーヒの出現により 時間のゆとりも出来た。 そして更にコロナ禍による令和不況。 金銭的なゆとりも必要となり インスタントコーヒーの大瓶に乗り換えた。 いやいや…贅沢は何事においても敵である。 個人経営者たるもの経費節減に努めるのが基本の基である。 裏返さなければ景品とは分からないお洒落なカップに たっぷりのコーヒーの粉と暑い湯を注ぎ入れる。 “だばだぁ~だばだぁ♪”脳内BGMと共にCM映像が流れだす。 「くそっ!味も素っ気もありゃしない」 悪態が口に付いて出る。 今日の予定は、 午後から高級住宅街近くの雑草刈りの仕事が入っている。 地下鉄の駅からバス一本で行けるのはありがたい。 出納帳を取り出し、今日までの記録を付ける。 「こんなに優秀な探偵なのに、本来の仕事が入らんな」 独り言を呟き続ける自分に驚いた。 市広報が、正午を知らせる。 「景気付けに豪華な昼食でも買いながら行くか」 数千円入ったマジックテープの布製財布を リュックに手拭いと共に放り込み事務所を後にする。 百貨店の地下には、手作りの握り飯の店があり そこで梅干しと昆布を買った。 水は、隣の量販店で500ml購入する。 「ワンコインも必要なかったな。  レシートを失くさないようにしないと」 小声で呟くとレジの小母ちゃんが 「今日も暑くなるから、気を付けてよ」 なんて声を掛けてくる。 「ありがとう。頑張るよ」 愛想よく返事をしておく。 交友関係も円滑にしておかないと、 トラブルの際に致命傷になる場合もある。 リュックに握り飯と水を入れ、市バスに乗る。 仕事は、現地集合現地解散だった。 池の傍らにある東屋のベンチに腰を下ろし握り飯を喰らう。 「うん、美味い」 三四郎は、人魚に出会ってからベジタリアンになった。 何故か肉食をするのが恐ろしくなったからだ。 池を見渡すと、水が殆ど干からびている。 水を飲んで人心地付いてる時、軽トラがやってきた。 作業服を着た白髪交じりの男性が、汗を拭きながら降りてきて 「あんたが、藤井さん?」 と声を掛けてきた。 「はい。藤井三四郎と言います」 「僕は、山田太郎です」 「ドカベンですか?」 「それを知ってるという事を  公にはしてはいけない時代だ」 「確かに」 「軽トラに草刈り機がある。  それで此処の土手の草を刈る。  買った草は、緑の袋に詰め込む簡単なお仕事だ。  あと、水は2ℓ用意した。塩飴もある。  熱中症だけには気を付けてくれ」 「了解です」 ドカベンと並んで軽トラに歩いていく。 荷台にある緑の袋を降ろし、船頭が被るような笠を被る。 「昔の人はすごいぞ。  この笠だと、頭皮が蒸れないし、風も通る優れものだ」 顎紐で傘を固定し、草刈り機を襷掛けに装着した。 黒い長靴も履かされた。 「おおダンディだ。  その姿は、ロックンローラーだな」 ドカベンが意味の分からない事を言って褒める。 「では、4時の時報が鳴るまで一気に行くぞ」 パチパチパチと草を切る軽快な音とエンジン音。 刈られた草の香りに夏を感じる。 空は、青く澄み渡り山際には、入道雲。 (ああ…夏というは、何故こんなに原色だらけなんだろう) と感じて空を見あげている時 「藤井君、暑すぎる。一服するぞっ!」 と声が聞こえた。 その声に従って軽トラに戻った。 「こりゃ予想以上にきついわ。  俺デブだから一気には無理だわ。  休もう、水飲まんと死ぬぞこれ」 と言いながらペットボトルを開けた。 俺は、長靴を脱ぎ靴に履き替えた。 「長靴も蒸れますねぇ」 「ほんとほんと。一雨欲しいが、それも無理だな」 と青い空を見上げる。 僅かな風が吹き抜け時、 池を見ると、泥沼の中に人が沈んでいくのが見えた。 「やばいっ!ドカベン救急車呼んでっ」 と叫んで泥池の方へ駆け出す。 「お…おい。救急車?  …あっ!ありゃヤバいっ!」 ドカベンは、公衆電話の方へ巨体を揺らしながら走る。 泥濘に足を取られつつ沈みゆく人の手を握る。 ぞっとする程の細い腕が宙を握りしめる。 俺は、その手を掴み力一杯引き抜いた。 泥だらけの女性が現れる。 すると突然突風が吹き荒れ、黒雲が現れる。 雷雲と共に猛烈な豪雨が少女の上に降り注ぎ身体を清める。 白いワンピース姿の少女は、スコールを浴びながら言う。 「助けて下さってありがとうございます!  私は、松平高校弐年、佐光壽子と申します」 と告げて池の向こうの森林へと飛んで行こうとする。 「逝くなっ!もうじき救急車が来るっ!」 俺は叫びながら少女の足を掴む。 少女は、白いドレスのようなワンピースの裾を風に靡かせて 「またお会いできることを願っております」 と言って森林の方へ飛び去ってしまった。 俺の手には、片方だけの白いヒールだけが残された。 遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。 (救急隊員には、熱中症で幻覚を見たと言おう) 俺は、そう決めた。
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