シロタは今日も。

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   ここは愛ノ国。  何処かの青い星の、  何処かに浮かぶ日の素という島国の、  紺碧の海に面した土地。  愛ノ国は茨城(いばらじょう)城主梅昇依知乃介(ばいしょうえちのすけ)が治めている。  武勇に優れ天下に名をとどろかせる名将である。  梅昇家嫡男、藤塚乃介(ふじつかのすけ)は父の面影を受け継ぐ美丈夫で、十七になる。  初陣を飾ったのは十二の頃。  武勇の誉れ高く将来有望、家臣からの信頼も厚い。  そんな藤塚乃介には、たった一つ、難しいところがある。  それは、女に興味がないこと。  元服も済み、他国から姫を迎えて――と、父の依知乃介は思うのだが。 「興味ありません。お話は以上でしょうか。これにて失礼いたします」  毅然と断り、口を挟む余裕を与えない間で話し、最後は専属護衛の北里(きたざと)を連れて颯爽と部屋を出て行ってしまうから。依知乃介は突風に吹かれた後のような感覚をいつも味うのだった。 「はぁ……」  依知乃介はうなだれる。きっぱり断られ続けること幾度目か。両の手では足りなくなったと思う。  すると遠くに聞こえた。鈴が転がるような、若々しく、愛らしい声が。 「ふじさまー!」 「やれやれ、今日も来たか」  依知乃介は気が抜けたように笑った。  ⁂  女子の声を聴いた刹那。藤塚乃介の後ろに控えていた北里が、主の前に打ち出でて周囲を警戒する。  北里に緊張が走る。  逆三角形の恵まれた体躯、若干十七にして鋭い目つきをもつ。藤塚乃介と子供の頃から馴染みで、彼の護衛になるために血のにじむような努力を重ねてきた。  獣が襲って来ようと、矢が飛んで来ようと、敵陣で孤立無援になろうとも――どのようなことがあっても藤塚乃介を護れる自負が、北里にはある。  今日はどこから攻めてくる……  北里は本丸御殿の廊下にて五感を研ぎ澄ます。  その時。北里の足元にある床板が一枚、突如外れて宙を舞った。  飛び出して来る!  北里は即座に藤塚乃介を背中に庇い後退する。そして構えの姿勢をとった。  ……が。  三つ数えても床下から何も飛び出してこなかった。 「調べてまいります。部屋の中でお待ちを」 「うん、頼んだ」  手近な部屋に藤塚乃介を入れ。北里は板が外れたところをゆっくり覗き込んだ。 「っ!」  北里は思わず息を飲む。  そこに居るのはたぶんシロタ姫だろうと思う。しかし板の幅が狭すぎて顔が引っかかって、必死に抜こうとした結果顔がすぼまって、滝のような涙と鼻水を垂らしている様は妖怪にしか見えなかった。 「……大かむろ」  思わず口走った北里に、姫は頬を染め、はにかんだ。 「そうです、私が妖怪大かむろだぞぉ」  すぼまった状態ではにかむと、この世のものとは思えないおどろおどろしさだ。  北里は凍り付くような瞳で見下ろしていたが、何事もなかったかのように踵を返した。  その背中に、姫の叫びが聞こえた。 「ちょ、どこ行くの、待って、北里ぉー!」  部屋の入口に寄りかかって腕を組んだ藤塚乃介は、戻ってくる北里に微笑みを向けた。 「北里、ほんと冷たいね。女の子には優しくしなくちゃだめだよ?」 「あれくらい自力で出られるでしょう。それから。その言葉、そっくりそのままお返しいたします」 「ふぅん」  藤塚乃介から意味深な笑みを向けられても、北里は表情一つ変えない。  北里もまた藤塚乃介と同様、女子に興味がない。壁を作り、避けている節さえある。 「お戯れもほどほどに」  理路整然と言われた藤塚乃介は面倒そうに。 「はいはい。政務に戻ればいいんだろ」  と言ったはいいが。次の瞬間にはパッと態度を変えてしまった。 「しろたー、だいじょぶー? 藤がお助けに見参~」  床下を覗く藤塚乃介を眺める北里のところまで、二人の会話が届く。 「藤様はやーい」 「ごめーん」 「この幅ならいけると思ったんだよね。でもシロタあんま危機的じゃない、だいじょぶ」 「どっから見ても危機的ー」 「北里が大かむろだってーうけるー」 「ふふ。確かに大かむろ」 「大かむろのシロタかわいい?」 「かわいーよ。ほんと、シロタはぷにぷにしてて可愛いね」 「ありありありがとー」 「顔押すよ? いい?」 「いーよ。あぐっ、うぐぐぐぐぐ」 「わー、シロタの顔酷い」 「北里には見せないで」 「わかった。北里、ここへ参れ」 「呼んでんじゃーん!」 「……承知、」  藤塚乃介がシロタ姫を押している。メリメリ音がする中、北里は仕方なく床下を覗くと、そこには。 「ぬっぺふほふ」  シロタ姫を見た北里が言うと、藤塚乃介はパッと顔を輝かせた。 「おお! ぬっぺふほふ、言いえて妙だ」  目も鼻も口も皺に埋もれそうになっている姫だが、こちらもなんだか嬉しそう。 「イイねっぬっぺふふぉふ」  なかなか進まない救出劇に、北里がしびれを切らせた。 「あーもぅ。藤様はここを。俺はこっちを。ひーふーみーで押しますよ。思いきりです。いいですか」 「うん。いーよ。涙と鼻水でべちょべちょーキモー」 「ははは、藤様と北里をシロタ汁でべちょべちょにするぞー」  鼻水が潤滑剤となり、スポーンと抜け落ちた。  ぷにぷにシロタ姫のお顔がいつもの三倍に腫れあがって。北里に「ぬりかべ」と命名されて嬉しがる姫であった。
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