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店を出て歩いていると、スカートのすそが何かにひっかかった。振り返ると、ベビーカーに乗った赤ちゃんが、透き通るような瞳でこちらを見ながら、ぷくぷくの小さな手で私のスカートをしっかりつかんでいた。
「あら、ごめんなさい」
疲れた顔のお母さんが、慌てて赤ちゃんの手を引っ込めさせようとした。
「いいんですよ、なんてかわいい」
思わずその前にしゃがみ込むと、赤ちゃんは、一瞬難しい顔になった後で、ぱっと花開くように笑った。
私の胸の中に、大輪の花が咲いた。そう、ときめき。私が人生に求めていたのは、この感覚だったのだ。赤ちゃんはしきりに何かを話しかけてくれる。お母さんはそれを止めるでもなく、ぼんやりとみている。
「まあ、そうなの。ママとお出かけなのね」
「あぶぶ、ばあ、ばううああ」
「まあ、よかったわね」
「あうわあ、ううう、ばぶぶう」
「上手にお話しできるのね」
私たちは旧友のようにひとしきり話し込んだ。我に返ったお母さんに止められなかったら、まだまだ話していただろう。
「ああ、ごめんなさい。相手していただいて」
「いえ、いいんですよ。私こそ楽しかったわ」
しきりに恐縮しながら立ち去る二人を見送ると、しゃがんでいたせいで腰が痛かったが、心の中はほかほかしたものに満たされていた。ときめきを貸してくれる、とはこのことか。効果はすごいものだ。思わず足取りが軽くなる。
家に帰るまでに、まだあと二人の小さな子に声をかけられた。お母さんに抱っこされた男の子は私が離れようとするとぐずったし、しゃべれるようになったばかりらしい女の子は私に向かってしきりに『ばあば』と繰り返した。これには、予想を超えてときめいた。
家に帰り着いたときはあまりの感情の高ぶりになんだかめまいがしたくらいだった。
仕事から帰ってきた夫とは、久々に子供たちが小さかった頃の話に花が咲いた。娘が最初に話した言葉がママでもパパでもなく、リンゴだったこと。息子がなぜか夫のパンツを抱えながらでないと寝なかったこと。母の日に夫と子供たちが私の内緒でカレーを作ろうとして鍋を焦がしてしまい、もう少しで火事になるところだったこと……
「そういえばそんなこともあったなあ……」
二人の生活に戻ってから静まりがちだったリビングに久々に笑いがあふれた。
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