二年孟秋 寒蟬鳴く

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二年孟秋 寒蟬鳴く

 壮哲が執務室で一息をつき、伸びをしたところに扉の外から申し訳なさそうに「陛下」と呼ぶ声がした。  佑崔が代わりに扉を開けて出ると、幾らか話をした後に困惑した顔で戻って来た。 「誰だ?」 「城門郎殿です」  羅城をはじめとした門の管理を担当する部局の長だ。 「用件は?」  壮哲が佑崔の顔を見て聞く。 「……朱翡門を開けて欲しいと紅国の者が来ているとのことで……」  佑崔の口調の歯切れが悪い。  格子窓の外をちらりと見ると既に暗い。朱翡門は采陽の南側の羅城門で()うに閉じている時刻だ。 「そう簡単に開けていたら城門の意味がないぞ」  次に処理すべき書類を手に取りながら、どうしてそんな事をわざわざ聞きにきたのか、と壮哲が怪訝な顔をすると、佑崔が壮哲の側に寄って言った。 「……その者は月季様の護衛だと言っているそうです」 「……どういうことだ?」  壮哲が手にした書類を元に戻す。 「是非とも陛下か藍公に取り次いでくれと言っているようなんです。お願いしたいことがあると」  壮哲は、こつこつこつ、と長い指で机を叩き首を傾げた。 「城門郎を中へ」  壮哲が言うと、佑崔が扉を開けて待機していた城門郎を招き入れた。 「申し訳ありません。陛下」  酷く恐縮して城門郎が頭を下げる。  気にするな、と手を振って壮哲が先を促す。 「どういうことか説明を頼む」  そう言われて城門郎はほっとした顔で話し始めた。 「私の所に連絡があったのは半刻ほど前ですが、城門の外で門を開けてくれと騒いでいる者がいるとのことでした。門番たちも初めは相手にしなかったようですが、余りにも切羽詰った様子だったので門の上から声をかけたところ、紅国の芳公主の護衛だと。そして、極めて重大な事態が起きているから陛下か藍公に取り次いで欲しい、聞き入れてくれなければ紅国との関係に影響を及ぼすかもしれない……そうその者が言っているということでした。その報告を受けて私も現場に行ったのですが、私が尋ねてもその一点張りで……」  壮哲は話を聞きながら月季についてきていた護衛を記憶から呼び出していた。がっしりとした体格に温和な顔だったのを思い出す。  そんな風に強引なことをするような者には見えなかったが、と首を捻る。 「芳公主は?」 「芳公主は……その場にはいらっしゃいませんでした。私もこの目で確認したのですが、上から見た限りは居たのはその者一人だけでした」  それを聞いて知らず壮哲の眉間に深い皺が寄った。同時に背中を冷やりとしたものが伝う。  月季の身に何かあったに違いない。もしかして拉致でもされたのだろうか。  険しい顔になった壮哲を窺いながら城門郎が言う。 「私にはどうしてもその者が偽りを申しているようには見えませんでした。……万が一ということもありますので、藍公にご指示をいただこうと訪ねたのですがご不在で……。暫くお待ちしていたのですが、お戻りにならなかったためこちらに伺いました。……お手を煩わせて本当に申し訳ありません」  考え込む壮哲に城門郎が頭を下げる。 「いや、知らせてくれてよかったんだが……」  壮哲はそう答えながら昨日の月季の様子を思い起こした。  月季には朱国への対応について紅国への連絡役を頼もうと思い、会議が終わるのを待っているようにと言ったのに、部屋に戻ったらその姿はなかった。  紅国へ帰ったと思っていたが、あの後に何があったのだろうか……。護衛が羅城の外にいるということは、采陽からは出たということだろうが。 「ご指示くだされば私が行って来ます」  眉間に深い溝を刻んで考え込む壮哲を見て佑崔が言うと、壮哲が立ち上がった。 「いや。私も行こう」 「しかし……陛下はそのように簡単に出かけて行かない方が良いのでは……」  佑崔が形の良い弓形の眉を下げて心配そうに言うが、壮哲はそれを却下した。 「もし本当に蒼国で月季殿の身に何かあったのであれば、確かに紅国との関係に影響を及ぼすだろう。私がその護衛から直接話を聞く」  壮哲が扉口へ向かうと、佑崔が慌てて物入れから何かを引っ張り出してその後を追った。 「では、壮哲様、一応目立たないようにしてお出かけください」  そう言って地味な兜帽付きの外衣を手渡した。    壮哲は宮城の門を出ると、暗くなり人影も少なくなった通りを馬で朱翡門へ向かった。篝火を焚いた門では門番の兵たちが待ち構えていた。そして城門郎が連れて来た馬上の人物が王だとわかると、あたふたと頭を下げた。 「例の紅国の者は?」  壮哲が馬から下りて聞く。 「門外にいます。いくら開けることはできないと言っても去りません」  兵士の一人が答えた。  門を見上げると、壮哲に気づいた見張りの兵士が慌てて降りて来て言う。 「門の外でずっとうろうろしています」  壮哲は自ら門に上がるとそこから下を見た。確かに男が一人切羽詰まったように行ったり来たりを繰り返している。 「月季殿はどうした」  男に向かって壮哲が声を張り上げると、男がはっとして勢いよく門の上を見た。 「陛下でいらっしゃいますか!?」  自分に声をかけてきた人物の正体を探るように目を凝らすと、意を決したように男は続けた。 「お助けください! 月季様が大変なんです!」 「まず其方の顔を見せよ」  壮哲が言うと、男は慌てて手にしていた手燭を顔の横に近づけて言った。 「峯紅国龍武軍長上、張忠全と申します。月季様の護衛を仰せつかっております」  灯りで照らされたその男の顔は、確かに昨日月季に従っていた者と同じだった。 「何があった」  壮哲のよく通る声が夜の空気に響いた。しかし忠全はそれに返事をするのを躊躇った。 「大きな声では申し上げられません。どうかお側に……」  忠全の必死な様子を見て壮哲は門楼から下に降りた。そして城門郎に申し付け、朱翡門の重い門扉を僅かに開けさせた。佑崔が腰の剣に手を掛けて壮哲の前に出る。  開いた扉の隙間から男の姿が見えた。酷く焦っていたが壮哲の顔を見て明らかに安堵の色が表れた。 「申し訳ありません。ありがとうございます……!」  忠全が深く頭を下げた。  壮哲は、大丈夫だから、と言って佑崔を下がらせると、忠全に入城を許可した。忠全は扉の隙間をすり抜けて入るなり、膝をついて壮哲を見上げ、泣きそうな顔で言った。 「……月季様が具合を悪くして臥せっておられます。どうかお助けください……!」  忠全の言葉で、とりあえず月季が拉致されたわけではない事に、壮哲は僅かに安堵の息を吐く。 「焦らずわかるように話せ」  壮哲が興奮する忠全を(なだ)めると、忠全も一旦息を大きく吸い、呼吸を整えて話し始めた。 「……朱国から紅国へ帰る途中、月季様は馬に乗っていられない程に具合を悪くされました。今は近くにあった民家で休ませてもらっているのです」 「具合が悪くなった原因は分かるか?」  朱国に行ったのか、と思いながら険しい顔で壮哲が聞く。 「……朱国でお怪我をされたのです……。もしかしたらそのせいかもしれません」  忠全が苦しそうに言った。壮哲がぎくりとする。 「どうして怪我をしたんだ? どんな怪我だ?」  壮哲の矢継ぎ早な言葉に、忠全は問いに対する答えを口にするのを躊躇う様子を見せた。しかし一度唇を噛むと顔を上げ、痛みを我慢するかのように顔を歪めた。 「……土螻に襲われました。月季様は私をお助けになろうとして腕にお怪我をされたのです」 「土螻だと?」  壮哲が眉を上げる。  すると忠全は言い辛そうに答えた。 「はい。しかし、月季様のご許可を得ておりませんので私の口からこれ以上申し上げることはできません……。どうぞお許しください」  そう言って頭を深く下げて続ける。 「月季様が朱国で確認されたことを知らせるため、紅国へ急ぎ戻る途中でした。お加減が悪くなられた月季様は、自分は腕を怪我しただけで休めばすぐに良くなるから先に行け、と私をお遣わしになりました。でも、あんなに具合のお悪そうな月季様をそのままにしておくことはできません……。こちらへ参りましたのは私の一存です」  そこで忠全ががばりと平伏した。 「ご迷惑をお掛けした上に勝手なことを申し上げていることは重々承知をしております……! 罰は後で何でも受けます。ですので、どうか月季様をお助け下さい……!」  忠全は頭がめり込むのではないかというほど地面に擦り付けた。  そこへ昊尚がやって来た。  壮哲がいることに若干驚いた後、月季の事情を聞いて昊尚の冷静な顔が心配そうに曇る。 「陛下はお戻りください。私が行って来ます」  そう言って再び馬に跨ろうとする昊尚を壮哲が止めた。 「待て、私が行こう。昊尚は念のためここで待機するように。私が帰って来たら門を開けてくれ」  それに対して昊尚が声を落として言う。 「陛下が自ら行かれることには反対です。万一、(はかりごと)だったらどうするおつもりですか」  昊尚の言うことは尤もだ。  けれど壮哲は、ふむ、と頷いた後、昊尚を真っ直ぐ見返して言った。 「忠全が嘘を言っているようには思えない。佑崔も連れていくから大丈夫だ。すぐそこだと言うし、やはり私が行く」  壮哲は昊尚から更なる反論の言葉が出る前に馬に乗ると、再び城門郎に門を開けさせた。 「忠全、案内してくれ」  壮哲の声に、忠全は勢いよく立ち上がり「ありがとうございます!」と大きく返事をすると、門外に繋げていた馬に跳び乗った。そして、「こちらです!」と馬を駆けさせた。  その後を壮哲と佑崔が追った。  
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