頭使わない罪

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頭使わない罪

「頭の中、貸します」 なんじゃこりゃな文面に、俺は見入ってしまった。 それは、最寄りの駅から家まで帰る途中にある、うらびれたアパートの入り口に貼られていた、意味不明な言葉だった。 頭の中を貸すって、どういったものなんだ。 毎日、前を通っていたのに気がつかなかったな。いや、今日初めて貼られたのかもしれない。ま、どっちでもいいさ。 どんな人物の頭の中か知らないが、俺に代わってとてつもないアィデアを考えてくれるなら…。そんな意味での「頭の中レンタル」だったらいいかも、だ。 俺は、曲がりなりにも一度はベストセラー本を出した小説家だった。 過去形なのは、その後、出した本は売れず、そのうち書く事も出来なくなってしまった。出版社から愛想をつかれ、懇意にしていた編集者からも見捨てられてしまったのだった。 小説家にとって、書きたい欲求と読んでもらえる内容のアイデアはどちらも必要だ。今の俺は、どちらもなく小説家なんて名乗る事ができない体たらくだった。 思えば、学生時代に書いた恋愛小説が、ある有名な賞を取ってそのままベストセラーになった。ただそれだけの事。運とタイミングが良かったから当たっただけなのだろう元々、才能がなかったのだ。そう言い聞かせているうち、次第に俺は全てにおいてやる気を失っていたのだった。 中年になった俺は、独り身を通し、これからもそれは変わらないだろう。今は、年老いた両親と暮らしているが、やがて本当に独りになる。一人っ子ならではだな。 俺は書くことをやめてから、日々ルーチンワークをして過ごしている。もう頭を使う仕事はだめだった。近くのスーパーでレジ打ちを担当している。一応、正社員だ。俺は給料が安いとか、昇給してくれとか、もっと責任ある仕事をさせてくれとか要求しない。もくもくとレジの前にたつ。今では、バーコードをシャラっとかざして、値段がチン!と表示しされる。お釣りも計算しなくていい。最近では、現金以外の決済が多いからもっと楽だ。客に話しかける言葉もマニュアル通りでいい。本当に頭を使うことがなくなってきているような気がする。 たまに、クレームチックな事を言ってくる客には、ひたすら謝っておしまい。それでもまだダメな時は、責任者を呼んで、丸投げする。 こんな毎日を続けて20年近く経っていた。 書く事は忘却の彼方だったが、ふと何か琴線に触れてしまったらしい。 「頭の中、貸します」その頭を使えば、新しい本が書けるかもしれない。俺はむくむくと都合のいい妄想に浸っていた。 「その貼り紙が気になるのかね?」痩せこけた初老の男に声をかけられた。 「随分と、長く貼り紙の前に立っていたようだが」 「いや、その、まあ」俺はバツの悪いところを見られた子供のように、汗をかきかき、しどろもどろとなっていた。 「わしが、この貼り紙の主じゃ。興味あるなら、部屋へ寄ってみるかね?」 俺は魔が差したのか、知らない老人の部屋にのこのことついて行った。 うらびれたアパートだったが、老人の部屋は綺麗で整頓されていた。まるでオフィスの一室かと思うほど、人の生活感がなかった。俺の思いを見透かしたかのように、老人は 「ここは仕事部屋でな。さあ、お前さんは頭の中を貸してほしいんじゃな」 「はぁ。でも」 「料金の事かね」 「それもありますが、なんかその」俺は煮え切らない返事を返していた。やっぱり来てはならなかった。何か良からぬ展開になりそうな予感がしてきたのだ。 老人は、俺の前にむくっと立って話しだした。 「お前さんは、もと小説家だったな。今では、スーパーのレジ係をやっておるがな」 「わたしのことを知ってるのですか」 「まぁ、聞け。お前さんは、いつからか全く頭を使わず無為な生活に甘んじるようになりおった。スーパーのオーナーは、小説家としてのお前のファンだった。いまでもそうなんじゃろう。だからレジ係としてもあまり優秀ではないお前を正社員として、ずっと雇い続けているのじゃ。レジなんて、セルフレジもある今の時代、もう先が余りない仕事かもしれん。オーナーが死んだらお前さんはリストラの対象になりかねないな。だから、頭を使え」 話し終わったかと思いと老人は俺に向かってきた。そして頭を掴み、ぐいぐいと圧をかけてきた。ものすごい圧で息苦しくなった。 「止めてくれ!」なんとか声を振り絞って抵抗を試みたが、老人の力は半端なかった。 「頭を使わない罪じゃ」 老人は、俺の頭をぐいぐい押し続けた。もう頭が割れて脳まで手が入っていくのではないか。ぐいぐい、ぐいぐいと圧が最高潮になった瞬間、俺は気を失った。 再び、気を取り戻したとき、アパートの一室に老人の姿がなかった。そのかわりメモが置いてあった。 お前さんの状態が改善されたら、振込みよろしく    そんな一文のあとに銀行口座と宛名が書いてあった。だけど、金額は書かれてなかった。 数年後 俺は再び、小説家として本を出せるようになった。本を書いて書いて、書き続けて見捨てられた編集者にも、書いたものを送って、送り続けて、出来る限りの挑戦をしてみた。書きたい想いが募れば、自ずと文章が湧き出してくる。学生時代のように、夢中になって書いた。 それが、やっと身を結び、復活した小説家として再デビューすることになったのだ。 だが、これからが本気で生きていかなければ、また元の頭使わない人になってしまう。 俺が頭を使って毎日、主体的に生きるようになったのは、あの老人の圧があったからなのだろうか。だとしたら、頭使わない罪と言った老人に振込みをしなければいけないな。 思えば、不思議な出会いをしたものだ。 老人の部屋へ行った次の日にまた、アパートを除いてみたが、もぬけの殻だった。それから再び老人と会うことなく、今に至っている。 さて、どのくらいの金額を振込みしたらよいのか、それとも放っておいても構わないのか、思いあぐねていた時、一通のメールが来た。 出版、おめでとう。出版社にファンで直接メッセージを送りたいと申し出たら、あっさりアドレスを教えてくれた。 なんで、知ったのかなんて思い煩わないよう、先に断りを入れておく。 わしは、お前さんに頭の中を貸した者じゃ。覚えているじゃろ。さて、代金の事じゃが、もう用無し、ならもうこれでおしまい。代金も不要じゃ。だが、これからもレンタルし続けてほしいのなら、月々の代金をいただく。お前さんが、もういらないと言うまでな。もちろん、わしが死んだら自動終了になるが、月々レンタル契約してもらっていたら、頭の中の効果は終了せず、永遠じゃ。 つまり、現在、お前さんの「頭の中」はわしのものの一部なんじゃよ。頭を使って自主的に生きたからこそ、本が書けたな。もし、これでわしの頭の中が無くなったら、どうなる?また、頭を使わない人に戻るじゃろうな。では、よろしく。 そんな、馬鹿な事ってあるか。 俺の頭の中は、俺でない、なんて。 今こそ、頭を使え。 頭使わない罪は、深く心を突き刺す。 今こそ、俺は俺であるために 頭を使うのだ。             
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