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浄瑠璃の鏡が、今の私を映し出す。魂だけだった私の姿は、記憶に合わせるように、生前のそれと同じになった。鬼たちは黙って赤ら顔の閻魔の言葉を待っている。
「……お前は、地獄を望むか」
「はい、閻魔様。思い出しました。私はその嘆願をすべく、ここに来たのです。他の十王の方々にも同じく願い、そして貴方の元へ行く程度のことなら、とお許しを頂きました」
「あの父親にそこまで付き従う義理はないだろう」
「それは私が決めることです。確かに父は私を幾度も痛めつけました。ですが、それは私を思ったが故の行動で、私自身の破滅を望んだからではありません。父は、私に生きて欲しいと思ってくださった。
だからこそ最後の日、父は道路に飛び出した私を抱えてくださったのです。自分諸共、車に撥ねられることを厭いもせず」
閻魔の顔が難しく歪んだ。
「……いいや、やはりならぬ。地獄の法は変えられぬ」
「どうしても、ダメですか」
「お前ならよくわかるだろう。あの父親から地獄の在り方を深く教えられたお前なら。だからこその嘆願なのだろうが」
私が黙って頷くと、閻魔はやはり、首を横に振った。
「許せ、傍生。この地獄という場所は、人の罪を罰するための場だ。芦原治重の言う通り、死人が生前犯した罪によって苦しんだ者達の溜飲を下げるための場であり、お前の言う通り、生前の罪に耐えられぬ人達が、自らの罰を願う場所だ」
閻魔はそこで初めて、申し訳なさそうに私を見下ろした。私も表情を変えたかったが、私の顔はそんな作りにはなっていない。
「だが、いや、だからこそ、たとえ罪の意識があっても、犬畜生を罰することは出来ぬのだ。地獄とは、人を罰するための場所であるゆえに。
ここまでの道中はさぞ長かっただろう。本来仏へと成る所を、四十九日の間に行われる全ての裁判へ出向いては、お前はそうして裁きを望みつづけたのだ。
人ならざる身なれば、疲労の果てに記憶が失われるのも必然。せめてその傷ついた魂は、念入りに休ませるといい。そのくらいの計らいならしてやろう。
尤も、天国にも、お前達の行く先はないから、しばしの間、ここに留まるだけに終わってしまうが……」
四つ足を立たせ、ワン、と一声、最後の願いを込めて吠える。閻魔はそれには答えず、ただ遠くから聞こえる血の雨の音が、法廷の中に響き続けた。
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