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「え?空き家にタダで住まわせてくれる?しかも補助金までくれるの?」
35歳を過ぎて売れない芸人を続けている森田渉は衝撃を受けた。
「そしたら家賃払わなくていいしバイトもしなくて良いし芸人の仕事だけに専念して食っていけるじゃん」
知り合いの芸人から面白い話があると声をかけられたのが古民家再生プロジェクト。
全国的に増加している空き家問題。
高齢化社会が進むことで家の所有者が亡くなったり、家を相続した人が家を放置したりすることで空き家が増加。管理されない空き家は老朽化が進み倒壊の恐れや周囲に危害をもたらす可能性があると問題となっている。
そこで国が立ち上げた制度『空き家バンク』。
住むには手を加えなければならないような空き家を安く提供し、改築や解体費用を補助してくれる制度だ。
そんな空き家の中には『特定空家』に指定されるリスクがあるものがあり、それに指定されると固定資産税が最大6倍に跳ね上がる。なので所有者の中にはタダでも良いから譲りたいという者もいる。
森田渉はその家に住んでみないかと言う話を持ちかけられたのである。
芸人として生きていくこと自体がリスクだらけである。夜勤アルバイト。先輩との酒盛り。睡眠不足でも舞台に立つ。いつ体を壊してもおかしくない。
今さら特定空家のリスクに怯える森田渉ではないのである。
「どんなにボロい家でも良いんだけど場所はどこ?田舎?新宿までどのくらいかかるの?最寄駅まで30分?不便だね。まあタダだから仕方ないか。駅から新宿までは?バスで3時間?電車じゃなくてバス?高速バス?新宿のライブに行くのに片道3時間半か。でも移動中は動画観たりネタ作りに使えばいいか。あ、交通費は?そんなに?往復5千円って、ライブが月10回あるとしたら、トータル5万円か。交通費と食費となんやかんやで月10万円くらい。少しはバイトしないといけないな」
こうして森田渉の空き家生活が始まった。
下見するのが面倒で、知り合いに見せてもらった写真だけでどういう家かを確認し、余裕で住めるわと高を括った森田渉は、築70年の空き家を目の当たりにして衝撃を受けた。
「おいおい、こんな所に住むのかよ」
外観は立派な古民家だが、中に入るといたるところがボロボロで、畳は剥げているし壁は老朽して隙間風が入り、歩けば床がミシミシ音を立てる。
「この家、島流しに遭った流人の家じゃん」
8畳のボロ部屋で呆然としていたとき、後ろに気配を感じた。
「お宅、どこから来たの?」
森田渉は驚いて
「誰!?おじいさん何勝手に人ん家入ってんの?大家さん?」
「俺は近所のモンよ。お宅こそ誰?」
「近所の者でも不法侵入しちゃ駄目だよ」
「あ?この村の人間は皆家族みたいなモンだから出入り自由よ。腹減ってんだろ?とりあえず家に来なさい」
森田渉は促され、このおじいさんの家に行った。おじいさんの家は立派な一軒家で、中に入ると10人くらいの老若男女が円卓を囲んでいた。胡座をかいている屈強そうな男性。正座しているお淑やかな女性。体育座りをしている大人しそうな女性。様々だったが皆楽しそうに食事をしていた。
「おい、あの古民家に入ってくれた若者を連れてきたぞ」
おじいさんは皆に呼びかけた。
「いらっしゃい」
皆が一斉に森田渉に声をかける。
「名前は?」「どこから来たの?」「何歳?」
「おいおい、まず飯食わせてやれ。こちらさん腹減ってんだから」
おじいさんが皆を諭す。
食卓には様々な料理、皆が持ち寄ったであろうタッパーに入ったおかずたちが所狭しと並んでいた。皆が奥の方へ詰めてくれてできたスペースに森田渉は座り、目の前の野菜から食べてみた。
たぶん塩茹で意外の味付けは一切していないであろうこの野菜、何かわからないけどものすごく美味しい。
「これ、めちゃめちゃ美味しいです」
「頼子ちゃんの庭で採れたてスナップエンドウだろう」
「採れたてはなんでも美味いもんね」
皆がいちいち会話に入ってくる。皆があれこれしゃべっている中、森田渉はこの野菜に衝撃を受けていた。
「農家の方が栽培してるんですか?」
「頼子ちゃんは農家じゃないよ。絵描きさん」
おじいさんが言う。
「絵描きじゃ無くて、画家」
頼子という、森田渉と同世代くらいの女性が職業を強調して言った。
「アーティストなんですか?」
「嬉しい。かっこいい表現ね。皆聞いた?これからはアーティスト頼子って呼んで」
皆一斉に笑った。
頼子は笑い声が無くなるのを見計らって質問した。
「あなた、東京から来たの?」
「そうです」
「やっぱり東京モンは違うなぁ。こっちで絵描きさんのことをアーティストなんて呼ぶやつは誰一人いないもんな」
色黒の大柄な男のダイが腕を組んで感心したように言った。
「東京で何してたの?」
頼子が聞く。
「芸人です。これからもここから東京に通ってライブに出たりオーディションを受けたりする予定です」
一瞬、場の空気が止まった。そして堰を切るように年配の女性が大きな声ではしゃぎ出した。
「すごい!テレビの人じゃないの!」
「ヤスコさん、テレビの人じゃなくて、『アーティスト』よ」
また皆が笑う。
「でも僕テレビには出たことないですし」
「でも芸人さんなんでしょ?」
「芸人としての稼ぎなんてほとんど無いんです」
「今世が駄目でも来世がある。そんなことより、お客さんの前で何かやってるんでしょ?」
おじいさんが悟ったように言う。
「ちょうどよかった。今度、この村の祭りがあるから出てくれない?芸人さんはいくらで出演してくれるの?」
村祭りの実行委員を務める頼子は嬉しそうだ。
「僕でよければ是非やらせてください。ギャラは気持ち程度いただければ」
「じゃあ30分やってもらうから、10万円。どう?」
売れない芸人からするとありがたい話だ。この村でやるってことは交通費もかからない。丸々懐に入る。
「この村に来たのも何かの縁。よろしくね」
森田渉はこちらこそよろしくお願いしますと言って目の前の食事を貪った。
「どうもありがとうございましたー」
森田渉は公園にある特設ステージを降り、楽屋代わりに貸してもらっている公民館の一室に戻った。
「人生で一番盛り上がったかもしれない」
森田渉は部屋で突っ立ったまま呆然としていた。
30分の内訳。まず自己紹介とトーク10分。4分のネタを3本。最後にあいさつ。
自己紹介では、古民家プロジェクトでこの村にやってきた旨を伝えると、そこから火がついたように盛り上がり漫談では最高潮の盛り上がりをみせた。
「やっぱり今までやってきた漫談は間違ってなかったんだ。絶対に売れてやる」
1人ブツブツ呟いていると祭りの実行委員の頼子があいさつに来た。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした。こんな場を設けていただいてありがとうございました」
森田渉は嬉しい気持ちを抑えてあいさつした。
「やっぱり芸人さんはすごいね。あの舞台で堂々とできるんだもの。きっと神様に気に入られるよ」
「神様?笑いの神様ですか?」
「そんなことよりこっち来て皆と食事しよう」
案内された所は公民館の横にある小さな小料理屋だった。
色黒の大柄男のダイが営んでいるお店だった。
「悪いね。ここで店やってるもんだから渉君のショーを見損なっちまったよ。その代わりたらふく食ってってくれよ」
「ありがとうございます。ギャラをいただいた上にご馳走まで」
「この店の料理はご馳走なんかじゃないよ。B級グルメってやつだよ」
頼子が意地悪そうに言う。
「それやめろって頼子ちゃん」
「ダイさんって『俺がこの村のB級グルメを開発して知名度を上げてやるんだ』とか言ってね、各地のB級グルメの真似事をやって、一時期この店のメニューがジャンクなものばかりになったんだよ。焼きそばとか唐揚げとか」
「B級グルメ?ラーメンとかカツ丼とかですか?」
「そうそう。そんなのばかり」
頼子はお腹を抱えて笑う。
「お笑いやってる渉君ならわかってくれるよな。まずはなんでも模倣から始まる。芸も真似事から始まるよな」
森田渉はその通りですと強くうなづいた。
「でもお店のメニューが焼きそば唐揚げラーメンカツ丼って、高速道路のサービスエリアじゃないんだから」
頼子は自分で言いながら笑い続けている。
「今はちゃんと小料理屋としてやってるんだからいいだろ。渉君食べたいものある?」
「じゃあたこ焼きください」
「置いて無いよ。メニューに無いだろ。頼子ちゃんのせいで渉君までこの店をサービスエリア扱いし出したじゃないか」
頼子は小料理屋に来てからずっと笑っていた。
宴もたけなわに近づいた頃。
「お、さっき舞台にいた芸人じゃないか」
酔いどれの見知らぬおじさんが森田渉を見て話しかけてきた。
「来世でも頑張れよ」
「何言ってるんですか。まだまだこれから頑張りますよ」
「あ?あぁ、そうだな。まあ頑張れよ」
見知らぬおじさんはその後勘定を済ませ店を後にした。
一通り盛り上がると森田渉に眠気が襲ってきた。
そうか。今日は1人で30分舞台に立ったもんな。疲れている体にアルコールを入れればたちまち眠気は来る。
「すみません。もう家に帰って寝ます」
「じゃあ私が送ってあげる。渉君酔っ払ってるから危なそうだもん」
頼子は誰にも優しい。おぼつかない足取りの森田渉と頼子は小料理屋を出て夜道を歩いた。
「今日は本当にありがとうございました。僕、この村で楽しくやっていけそうな気がします」
横で歩いている頼子からの返事は無かった。
「ん?真っ暗だ」
森田渉は目を覚ますと、目を開けているのに視界が真っ暗だった。さっきまで頼子と歩いて帰路についていたが途中からの記憶が全くないので今どういう状況なのか全くわからなかった。
「ここ、家?頼子さんが送ってくれたはずだから家なんだよな。家の電気壊れちゃった?古民家だから仕方がない。田舎って街の明かりが無さすぎるから真っ暗になるんだな。それにしても、暑い」
森田渉は汗だくになっていた。まるで家ごと燻されて四方上下から温風を浴びているような感覚だった。
この暑さ、異常だ。
森田渉は外に出ようと試みたが、意識が朦朧としてきて倒れてしまった。
日本の祭り事には『神様に感謝する』という意義がある。
この村祭りも例外に漏れず、神様への感謝の意が込められており、お供えをする代わりにこの村では人間を神様にお貸しするという習わしが昔からある。村の人間を神様に貸し出すことによって、自然災害から免れ子々孫々に至るまで村の繁栄が約束されるということのようだ。
要するに、神様に貸し出した人間は偉大な人間として生まれ変わり神様から村へ返却され、その人間が村に更なる繁栄をもたらすという。
言い伝えによるとその神様は見せ物がお好きでいらっしゃるため、お貸しする人間は舞台に造詣が深い者と昔から決められている。
森田渉は村のイベントの舞台に立ち見事役割を全うしたことで、神様に貸し出す人間に任命されたのだ。
任命された者は神様に貸し出すため、生きたまま火葬されることとなる。そうすることで神様に貸し出したとみなされているのだ。
村人はそのしきたりを知っているため、100年に一度のこの儀式で神様に貸し出される人間は過去全員、村にやって来て間もない者が務めている。
「来世は立派な人間になって村に返ってきてね」
頼子は燃え盛る古民家を眺めながら屈託のない笑顔で森田渉を見送っていた。
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