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普段とは違うふたり
「へええ!自分ら昔馴染みってやつか!どーりで、お互いの空気感分かってるって感じなわけやな!」
思ったままを口にしたところ内館は、鞄からタッパを取り出しながらあ~~と何とも言えない気の抜けた声を出して顔を歪めた。そういえば彼は男子大学生にしてはやや大きめの鞄を持って食堂に来ていたが、家から持ってきたおかずがあったらしいことが判明する。
「やめてくれや、気持ち悪い。そら近所に住んでて嫌でも顔合わせる機会が多いような環境やったら誰でもできるくらいにはこいつ分かりやすいからな。別に俺が特別っちゅーわけやないで。」
「ほ、ほんまに?」
この人が?この………自分のことを結構な言われ方をしている上に、何なら自分を挟んで右と左でそんな会話をされているにも関わらず我関せずといった様子で食事をするつもりらしいこの人が“分かりやすい”と言っているようだが。香芝には到底信じられないことだった。
「ほんまほんま。皆あれやで。こいつの顔の作りに騙されてるだけや。まぁ、香芝もこいつと付き合うつもりならそのうち分かるわ。」
「ほな楽しみにしとこかなー。っていうか、翔真おかず持ってきてたんか。かけうどんだけで大丈夫なんかなって気になっとったんやけど。」
「せやで。白飯持ってきてもええんやけど買った方があったかい状態で出してもらえるしええやろ。昼時やとレンジも混んどるしな。」
そう話す彼の前に陣取っている白い丼の中には揚げ玉と申し訳程度の刻み葱が散らされた、それだけだと寂しいごく一般的な見た目をしたかけうどんだ。言及した通り、午後の授業もあることを思えば、体を動かすことが本業の体育科でこの昼食なのは心配でしかないところだった。後から彼が出してきたタッパの中にはコロッケとキャベツ、固ゆでの茹で卵なんかが詰められているようだ。
「自炊してんの?………えっ、なに?」
家からおかずを持ってくるなんて意外とマメなところがあるんだなと思って、あまり考えずに問いかけたら今まで聞いているのかどうかも分からない様子だった大河原から信じられないものを見る顔を向けられたので一旦内館のことは横に置いてしまった香芝だった。
「見てから言うたか?コロッケやで……こいつが登校前に自分で作ってこれると思うか?せめて母親やろ。」
彼の後ろで、内館が「いやちゃっかり見てるお前もなんやねん」と苦言を呈しているのが聞こえているが、そちらのことは当然ながら無視するらしい。
確かに。言われてみればその通りだ。基本的に実家暮らしであればおかずを持ってきていたとして、親が用意したものである可能性が高いに決まっていることをうっかりしていた。
「そ、そうか!そうやんな。いやぁ、意外やなと思ってな。」
ぽりぽりと頬を掻きつつ誤魔化す。ここしばらく、親に何かしてもらうという感覚が薄れてしまっているらしい。
「昨日の夕飯の残りを入れてもらってるだけや!兄弟多いからめっちゃ作るんで、大体ちょっと残るんよ。」
大きな食卓の真ん中に大皿に盛られた料理、それを囲む賑やかな男兄弟の家庭が容易に想像できる。きっと家でもこんな感じなのだろう。千切りキャベツの塊を口に押し込んでいる内館の様子を見つつそんなことを考える。
次いで、あまり会話に入る意志の無さそうなすぐ隣の大河原に目を移す。コロッケについての言及をした後は再び自分の目の前にあるプレートと黙々と向き合っている。不機嫌になるくらいには空腹状態だったらしいが、特別がっついている様子もなく作法の整った所作が印象的だ。
「彩人は日替わり定食か、バランス考えるならプレートものがええよな。」
そう声をかけると、ぴたりと律儀に動作が止まった。
「……まぁ、そうやねんけど。」
毎日食べてても飽きないように日替わりだし定食だから栄養面も他のメニューよりバランスがとれるし好き嫌いが少ないなら安牌の選択肢だと思った。しかし彼はどことなく歯切れの悪い言葉を口にするものだから香芝は首を傾げた。
「俺、券売機が苦手で。」
「券売機が、苦手……?」
予想のつかなかった答えが返ってきたのでついオウム返しにしてしまう。言ってしまってから、あまり突っ込まないほうが良かったと一瞬後悔したが「そう」と返ってきた相槌には特に色がついていなかった。
「触ればええ場所、決まってる方が迷わんやろ。」
「ま、まぁ、合理的っちゃ合理的やな。その方が早いし栄養バランス面でも間違いがないし。でも、たまにないか?今日はこれの気分やなーみたいなん。」
「それは……。」
動きを止めたまま、ちらりとこちらを見た表情は憂うように物言いたげで、香芝は酷く腰が落ち着かない気持ちになった。聞いてはいけないようなことだっただろうか。いや、そんな神経質な話をしていた記憶はないのだが、ついそんな心配をしてしまうほどの雰囲気があるから困る。
その時、ぷくく、と笑い声を上げた内館がおもむろに身を乗り出してきた。
「香芝、覚えとけ。そいつポンコツなところはほんっまにポンコツやからな!意味分からんレベルで。」
「そっ………ええ?」
そうなんか、と聞くのもおかしいしどう反応したものか。そう思いながら香芝は内館と大河原の顔を交互に見る。大河原に至っては固まったまま反応がない。凍りついているようにも見える。
「今はそうやって対策立ててるからヘマせんようになったけど、その前はろくに見んとボタン押しとったからな。昼時の飯食おうって時に、ひとりでアイスクリーム注文する変な奴になったりしとったで!」
あれは最高に面白かった、とケラケラ笑う内館。本当に全然見ずに操作していることが分かるエピソードではあり、思わず香芝もくすりと笑ってしまった。が、ふとその話題の人に視線を向けてぎょっと目を見開いた。尚も反論するわけでもなく沈黙を守っていた大河原だったが、持っていた箸はきつくその手に握り込まれており、浮いた筋がそこに込められている過ぎた力を物語っている。うっかりすると刺突されかねない様相に思えてしまい、香芝は無意識に両手を挙げていた。
「や、や、なんつーか、そぉいうこともあるよな!?誰だって失敗くらいするやん!」
フォローとしてはありきたり過ぎる自覚はあるが咄嗟に何と言っていいものか分からず、とにかく声を出すことを優先した。その香芝の言葉に反応してか今まで気づくレベルで動作のなかった大河原がようやくこちらを見るという動きをした。いや、正確には睨みつけられた。これがもし通常時なら香芝の心臓は縮みあがっていたかもしれない。
(うわぁ……気の毒になるくらい、真っ赤っかや……!!怒ってるんかな。まぁそうやんな?失敗話を勝手に人にされたら怒るよな、怒ってええと思うよ彩人くん!でも俺はあれやで!巻き込まれただけやで!!!)
大河原のやや青みの強い白い地肌は耳や首筋まで含めて見事に真っ赤に染まっていた。そのお陰で切れ味の鋭い刃物のような眼光を伴う睨みつけも威力が半分以下だ。
「…………いや。」
しかしその険しい表情の中、零れ落ちてきたのは押しつぶしたような声で発された「否」を示す言葉だ。
「それが誰でもやるレベルの失敗とちゃうのは分かっとる。」
(あれ……?もしかして。)
香芝は身を乗り出す。そうして下から覗き込むようにして大河原の様子を窺うと、彼はたじろいだ様子で身を引いてぱちりと瞬きをした。その元々の眼光の鋭さに瞬間的に動揺させられてしまったが、当の本人を落ち着いて見返してみれば、まじまじと見られていることに対して少なからず困惑している素振りが見て取れる。
(単に羞恥心に耐えかねてるとこか?これ。)
羞恥からか言葉尻に多少の棘は感じたものの、実際は目が合った時に感じたほどの攻撃性はないということが分かって肩から力が抜ける。
「でも、美味しいよな。俺も食べたことあるで、空きコマで暇やった時に。話聞いたら食べたくなってきたわ。」
「そう……やな。」
香芝の言葉に虚をつかれたらしく、大河原は毒気を抜かれた様子でたどたどしく同意を口にする。しかし、言ってから我に返ったようでやや早口に続けた。
「けど俺は余計なこと思い出してまうから、あんま食べたくないわ。」
そんなふうに言い切ると、ふいっと顔を逸らされてしまう。
「お前はほんまに、つまらんことを深刻に考えすぎやねんて。」
はぁ~~と、大げさなため息をついて内館が首を左右に振る。
「完璧主義で隙がない……ように見えるから人が寄ってこんねん。俺が代わりにお前の茶目っ気アピールしたってんねんから感謝、いたたたた!!おい!何すんねんお前!」
ニヤニヤと笑いながら、からかう調子で続けていた内館だったが、突然声を荒げて机を叩いた。ばん、と硬い音がして周囲の学生も何事かと視線を向けてきている。
「腹立つからわざと足を踏んでる。」
「阿呆か!誰がそこの説明求めてんねん!!」
「聞かれたことを答えただけや。入学したての頃の失敗をいつまでも蒸し返しよって、お前……ほんまに性格悪いぞ!」
「安心せえ、お前に向かって悪いだけやから。」
「それを言うてるんや、俺は!!」
派手に言い争うふたりを見ながら香芝は苦笑していた。これは間違っても仲がいいな、なんて言ったら両者から攻撃を受けるやつだ。しかし、遠慮なく言い合いをする彼らの関係性は正直羨ましくもあった。
特に大河原は普段、必要最低限のことしか話さないし見た目の割には大勢の中では息をひそめているのか目立たないように立ち回っているのか、何故か印象に残らない。基本的には近づいてこない人だし感情的になっているところを見られるとは思わなかった。確実に怒らせてはいるが、内館の思惑通り彼の違う面を引き出していることは間違いない。
内館に関しても意外性があった。彼は付き合いが広く、先輩とも上手くやっているし後輩も広く可愛がっている印象がある。誰とでもそれなりに友好的な関係は築くが典型的な広く浅く人付き合いをするタイプだ。そういう人間は今ここで繰り広げられているような癖の強い口喧嘩はしない。
そんな彼らの意外な一面を一気に見ることができ、香芝としてはちょっと得をしたような気分だった。まだ自分は外野からその様子を見ているだけだが。
そんなことを考えつつ、香芝はタイミングを推し量っていた。食事をするのに一人なのは寂しいので見知った顔に声を掛けたというのがまずひとつだが実は香芝にはできれば持ち出したい話があった。
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