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「ワイなぁ、今度結婚すんねん」
「ふぅん、そうなの? 」
一戦終えて、ベッドでまどろみながら私は答えた。商売だから終わったらテキパキと服を着たいところだったけれど、それも感じが悪いなと思ってしばらくは相手に身をゆだねている。これもお仕事だ。致し方ない。
「そうなのって…それだけ? 」
情けない声を出す和井さん。彼は所謂常連客というやつだった。たぶん私に商売以上の感情を抱いているけれど、ぎりぎり踏み越えてくることはない。和井さんもそれくらいの分別はあるということだろう。馬鹿だけど。
「他に何があるっていうの? 」
「冷たいなぁ。奈津子ちゃんは。コロナで客が来なくなってもずっと通い続けたやないか」
「別に、頼んでないし」
「そりゃまぁ、頼まれてはいないけれどもやなぁ。SNSで他の風俗の女の子が客が来ないって嘆いたかから、ワイなりに気を使ったんやで」
「ワイなりにって…かなり露骨にアピールしてきたと思うけれど」
「気づいとったんか? 」
「そりゃあね。コロナになってから露骨に来るようになったから、そうじゃないかなって」
「愛やで! 」
「はいはい、結婚するんでしょ? 」
「するけれどもやなぁ、もし奈津子ちゃんがしないでって言うなら考え直すんやけどなぁ」
そういってちらちら私を覗き見してくる和井さん。愚かな…
「でもどうせ嘘なんでしょ? 」
「いや、嘘じゃないで本当やで、ワイはもてるし」
「ふふふ…そうだね。和井さん恰好いいもんね」
「そ、そうやろ。だから嘘やないんや。止めるなら今のうちやで」
「別に止めないけど」
「…」
和井さんはひどくショックを受けたように黙り込んだ。でも大丈夫。和井さんは馬鹿だけど打たれ強さだけは並大抵ではない。それが唯一の美点だ。和井さんは背が低いし馬鹿だしお金も持っていないけどこの打たれ強さがあればきっと結婚も不可能ではないはずだ。是非とも頑張ってほしい。
「でも、いいじゃない。結婚してたってお店には来るんでしょう」
「…え? 」
「こういう店って、そういうところでしょ? 結婚していようがいまいが関係ないじゃない? 勿論ばれてしまっても責任はもちかねますけどね」
「奈津子ちゃん。意外にモラルデザートやなぁ」
「もしかして、モラルハザードっていいたいの? 」
長年の付き合いから即座に突っ込むのも可能だった。
「そうや! それや! いや、冗談や! いやマジ本当はしってんねん。ギャグやねん」
「和井さん東大卒だもんね」
「せや! 間違えるわけあらへん! 」
「ふふふ」
私は笑いながらため息をついた。和井さんは本当に馬鹿だなぁ。
私は今年29になる風俗嬢だ。来月30になる。風俗嬢になったきっかけは何のことはない、お金のためだ。家族に虐待されたとか、借金をしたとか特別な理由があるわけじゃない。普通に大学に行って普通に就職して稼ぎは350万。でも風俗なら隙間時間で同じくらい稼げた。だったら若いうちに風俗でうんと稼いで、30になったらドロップアウトしよう。今はやりのFIREの走りといえるかもしれない。そう思って風俗一本に転身した。風俗にはあまり抵抗はなかった。初体験は高校のころ済ませていたし、そのあとに何人か付き合った人もいた。一度やってしまったら、貞操を守るなんて意味のないことだ。だって男の人は処女にはこだわるけれどそれ以上はこだわらないし、というか言わなきゃばれないし。もし誰かと付き合うことがあって経験人数を聞かれても経験人数は永遠の2、3人だ。まぁこういう仕事を始めてから付き合うことはなかったけれど。
風俗の知り合いはお客さんとか、ホストとか、明らかにその筋の人とか、いろんな人と付き合っていたけれど、私はそういう世界の人たちとは抵抗があった。私が基本オタクだったからかもしれない。性格の陽陽とした人たちはどうも苦手だった。とまぁ、オブラートに包んでいってみたけれど、私から見ると話がお馬鹿すぎてついていけなかった。同じ風俗の仕事仲間があっという間に散財するのも信じられなかった。いつまでもこんな仕事続けていけるわけがない。若いうちだけだ。それなのにあるだけ使ってしまって、マジかこいつと思わざるを得なかった。ホストもね、私には押しのアニメや漫画のキャラが何人もいて、その人たちの方が何倍も素敵だった。そんなものにはまる気が知れなかった。勿論アニメや漫画のキャラは人間ではないけれど、私はそれを理解したうえで好きなのだ。それが人間ではない作られたキャラクターであったとしても、アニメや漫画の世界観の中では実在している。ホストもそれと同じだろう。ホストという世界観の中でのみ実在している。それ以外は実在していない。全部うそ。だったらドンペリねだってこないだけアニメや漫画の方がマシというものだ。打算のない愛がそこにあると思う。
私が体を売るような行為に抵抗がなかったのはオタクだったからというのもあるかもしれない。オタク文化は割と性的なものが多い。同人誌とかエロゲーとか。本来は男のためのものだけど、アニメが好きだった私は同時にそう言うものに多く触れる機会があった。だからちょっと影響されてしまったのかもしれない。まぁ、やっぱりあんまり関係ないないかな。最初の彼氏に振られた影響の方が大きいと思う。最初の彼にして初めての相手は所謂幼馴染だった。苦手な陽陽としたタイプだったんだけど、人見知りな私のことをいつも気にかけてくれて心配してくれていた。だからとても信頼していた。付き合ってほしいと言われて付き合って、そういう行為もして、彼が他の人を好きになって正直にそう言われて別れたのだけれど、それが私にとってものすごいショックな出来事だったみたいだ。その時はそこまで思わなかったんだけど客観的に考えてあれで私の中の何かがしんでしまった。道徳とか貞操観念とかそういうものが。私の中で彼は特別な存在だったのに、彼の中ではただの女の一人に過ぎなかったんだという事実が受け入れがたいものだった。そこで現実逃避にアニメや漫画により一層はまってしまったというのもあるかもしれない。まぁ、アニメを好きだったのは元からなのでやっぱりあんまり関係ないかもしれない。でもまぁ、今思い起こせば私も悪かったと思う。私はあの時うぬぼれていたと思う。彼は昔から自分のことを知っていて気にかけてくれて好きとまで言ってくれたんだからきっとありのままの私が好きなんだと思って女を磨くのを怠っていた。風俗業になってメイクもエッチのテクニックも覚えたけれど、あの時の私に同じテクニックがあったらきっと彼は私の元を去らなかった…かもしれない。いやはや未練だね。そう未練。私は彼に振られてしまって、そして私の中で一つのアイデンティティを失ってどうでもよくなったというのが本当のところなのかもしれない。もう恋に恋する時期は終わって大切なのはお金という思考に切り替わったんだと思う。きっと。
ただ、誤算だったのは新型コロナが流行したことだ。おかげで思ったよりは稼げなかった。予定では5000万は稼ぐ予定だったのに、もう30なのに貯金が3000万しかなかった。30でこれでは遊んで暮らすには程遠い金額だった。ここ数年はほとんど貯金できていない。もともとオタクだし、コミニケーション能力がある方じゃない。和井さんが言っていたように、コロナでお客が減ってもお客さんに来てほしいなんて自ら連絡とるのは、私にとってはハードルが高すぎた。とてもぞんざいには扱っているけれど和井さんは私にとってとてもありがたい人物だったりするのだ、金づるとしてね。和井さんがいなかったら指名が少なすぎて解雇になっていたかもしれない。最近では風俗よりパパ活の方が稼げるとも言われているけれど、パパ活は私にとってはハードルが高すぎて鞍替えすることはできなかった。相手が性行為を求めているかもしれないけれど、求められないかもしれないというプレッシャーがね。駄目なのだ。いっそ全員と相手をしないといけないと決まっていれば楽なんだけど中には言い出せない人もいるし。むしろパパ活自体はそういう性行為をしない層からいくらもらえるかがメインターゲットなのだけれど、私はそういうのは申し訳なくなってしまって駄目だった。同じ1万円もらっているのに図々しい人とは性行為して言い出せない人は何もしなくてってなんか逆じゃないかと思う。申し訳なくなる。だったら最初から全員と性行為すると決まっている方が私は楽でよかった。
和井さんは東大卒で外資系の正社員で年収3000万でタワーマンションの150階に住んでいるけれど、下々の気持ちが分からなくなってはいけないと夜はコンビニでバイトしている30代だった。みかけはちょっとふけていて50代にしか見えなくて服はよれよれで靴下に穴が開いてるけれど本人がそういうのだからそういうことにしておこう。東大卒とか小学生かお前はという気がしなくもないし、日本に150階のタワーマンションなんて存在してないし、たぶんコンビニバイトというのだけが本当なのだろうけどそれは言わぬが花というものだ。アラフィフなのにそんな暮らしして、なけなしのお金で通ってくるのだから悪く言ってはいけない。というかそこまでくるとなんだか申し訳ない気すらしてくる。風俗なんていかずにお金貯めといたほうがいいと思うよいや本当に。
和井さんとはもう5年くらいの付き合いになる。店を代わってもなぜか私の勤めている先を見つけてやってくる。店の知り合いには注意するように言われているけれど、まぁそこまで悪い人ではないとは思う。ただ馬鹿なだけで。私は演技することが苦手なので気があるとかそういう風には思われないはずだし、誤解しようがないはずだ。店の人にはそういう対等に見ているところが危険だと言われているけれど、そこまで割り切れなかった。和井さんに割と好意的なのは最初の幼馴染にどことなく似ているせいかもしれない。勿論容姿は雲泥の差だけど、どこにいても私を見つけてくれるところとか、一番に思っているところが。店の知り合いにそう言ったらとても可愛そうな顔をされた。でも和井さんには情が沸いているからとって言って付き合うとかそういうことはあり得ない。歳が20くらい離れているし、顔も好みじゃない。ただ私がいなくなっても元気にやっていってほしいし私が歳を取れば自然とそうなっていくと思う。男の人は若い人が好きだ。和井さんだっておばさんになった私には興味はなくなるだろう。そうやって自然に自分から来なくなってくれたら一番いいと思う。
今回和井さんが結婚するって言ったのはそういうサインなんじゃないかと思う。もうそろそろフェードアウトするよって言う。付き合ってくれるなら別だけど、これ以上は無理だっていうサイン。和井さんの他に私を好んで指名するもの好きのお客もいないし、30手前だし引退にはちょうど良いかもしれなかった。ただ返す返すも思ったより稼げなかったことだけが不安の残るところだった。
職歴のほぼない私が今から新しい仕事に就くのはとても難しいと思う。金銭もあまり稼げないだろう。風俗上がりだってばれたら馬鹿にされそうだし、隠さないといけない。でもまぁそこはいろいろ考えてるけど。専業主婦で離婚したとかね。だったら職歴がないのも不自然ではないし。なんもないのに社会復帰しやすいのは男より女の有利な点かもしれない。
これからの生活に思いをはせる。年収150万くらいで貯蓄にてをつけない生活。老後はこの3000万で政府の言う老後2000万はクリアできるから1000万まではもしもの時に切り崩してはいいけれど中々過酷な生活だ。風俗に行かなかったら今頃年収400万500万いっていたであろうということを考えると失敗したかもしれなかった。
「コロナさえなければなぁ…」
私はため息をついた。
「なぁに、暗い顔して」
そういって寄ってきたのは先輩の英子さんだ。本当はアラフォーだけどここではアラサーということになっている。風俗ではよくあることだ。でも私よりは全然人気のある風俗嬢だった。
人好きのする明るい表情。男に気があると錯覚させるコミュニケーション能力、そしてなにより男を金鶴としか見ていない割り切れる性格。どれも私には真似することができないものだった。
客に対しては割り切れているが後輩の面倒見がよくて、この店でも唯一仲の良い相手だった。
「私、もうそろそろやめようかと思っているんですけど」
「まだまだ全然若いじゃない。年齢設定を22歳とかにすれば全然いけるわよ? 」
「まぁ、そうかもしれませんけど。実際の年齢が若くなるわけではありませんし」
「もしかして…結婚するの? 」
「え? 」
全然頭になかったことを言われてぽかんとしてしまう。そんなつもりは全然ない。いや、最初はあったんだけど今はもうない。最初は29まで風俗嬢して30までに結婚したら最強じゃね?と思っていた時期は確かにあった。でも、はっきり言って私の性格では他人と一緒に住むとかそういうのは無理じゃないかなと思う。
「そんな予定はありませんが」
「じゃあなんで30までって決めてるの? 」
「それは…だいたいそれくらいが潮時かなと」
「根拠は? 」
「それは…結婚を考えるならそれくらいまでだから、でしょうか? 」
元々30までに引退しようと考えていたのは結婚が頭にあったからだ。今は考えていないが、そのときの名残で30までに引退しようと考えていたにすぎない。言われるまで気が付かなかった。
「ほらやっぱり」
英子さんはにっこりと笑った。
「でも私もそう思う。英子ちゃんはこういうところにいるような人間じゃないもの。すれていないというか染まり切ってないし、結婚するかどうかはともかく日の当たる生活に戻った方がいいかもしれない」
「すれてないですか? 」
ずいぶんすれてしまっていると思いますが?
「金銭感覚とか、男を見る目とかいろいろね」
確かに金銭感覚は壊れないように気を付けてきた。その結果が貯金3000万だ。でも男を見る目は、すれてはいないかもしれないけれど元から普通とは違うのでかいかぶりかもしれない。
「和井さんみたいな人を嫌がることもないし。普通なら出禁よ。あれに耐えられるんだからむしろ心配になるくらいよ」
「和井さんそこまで悪い人じゃないと思いますけど…」
なけなしのお金を私に使ってくれるし
「貴方がいないときにたまたま他の子が相手したんだけど、ひどいものだったみたいよ。嘘ばかりつくし、偉そうだし、子供が風俗の仕事なんかして親はなんて思っているんだとか行為中ずっと説教していたらしいわ」
「ははは、それはそれは…」
私は笑うしかなかった。そういえば最初はそんなこともあったかもしれない。
「でもまぁ何度もあっていれば説教のネタもつきますよ」
「貴方大物ね…」
英子さんは呆れたように言った。
思いのほか話がはずんだのでこの仕事を辞めたらお金はどうするのか英子さんにも聞いてみることにした。ただ英子さんは姉御肌で比較的信用できるとはいえ、貯金が3000万あるとか言うわけにはいかなかった。お金は人を醜くする。私が大金を持っていると知られれば、刺されてコンクリートに詰められて海に捨てられるかもしれなかった。英子さんの彼氏はヤがついてクがついてザがつく職業みたいだし。この前彼氏が塀の外に出ってくるとか嬉しそうに話していた。10年ぶりらしい。10年というとかなりやばいことをやらかしてるんじゃないだろうか。やはり私は貯金があることは伏せてお金のことを聞いてみることにした。
「でも辞めたら辞めたでお金が心配で」
「そうね。私は一生この仕事をしていくつもりだけれど。貴方はそういうわけにもいかないものね」
「え? 一生ですか」
私は耳を疑った。さすがにそれは無理なのでは。
「ケンちゃん…あ、彼氏なんだけど。ケンちゃんはお金を稼ぐのが苦手だから」
「…」
そこには果てしない闇が広がっていた。私は聞かなかったことにした。英子さんは比較的まともだと思っていたけれど本当にまともならアラフォーまで風俗で働くこともなかったということなのかもしれない。
「でもそうね。貴方の年齢なら一つおすすめできる副業があるわ」
私がそんな失礼なことを考えているとも知らず英子さんはポンと手を打った。
「子宮レンタルよ」
子宮レンタル。他の誰かのための妊娠システム。赤の他人の女性が子宮を貸し出し、他のカップルの胎児を育てるシステムのことらしい。代理母のことみたいだ。外国ではすでに行われておりアメリカなら120,000ドル約1500万かかるがウクライナなどでは11,000ドル約140万ほどで可能であるらしい。うち代理母の取り分は3割くらいになる。
「でも日本では違法なのでは? 」
「どうかしら、日本も少子化だしいずれ合法化されるかもしれない」
「でも今は違法ですよね? 」
「アメリカと同じ金額だけかかるとしても、保険が適応されれば3割負担で500万くらいかしら。でも代理母の取り分は減らないからやっぱり500万くらい稼げるはず」
「いや、あの…」
英子さんの彼氏はその筋の人だ。とても嫌な予感がした。
「私とケンちゃんの子供を産んでくれれば500万あげるわ」
て、あんたの子供かい! 一生風俗で働いて彼氏を養うとか言ってたんじゃなかったのか? どこにそんなお金が?
「大丈夫、お金のことは心配しなくてもいいの。ケンちゃんが出てきたら報酬に500万もらえることになっているし、お医者様も用意してくれるって。だから私待ったのよ。妊娠するなら入所する前に作っておきたかったけどそれっだと父親のいない子供になってしまうって説得されて」
英子さんの瞳にぐるぐると渦巻きが渦巻いているように感じられた。出てきたら500万て鉄砲玉でもやったのだろうか? ていうか入所とか言っちゃってるし。医者って闇医者? だいたいそれケンちゃんって人は本気で言っているのだろうか? 別れようと思って適当なこと言っただけでは?
「素晴らしい話だと思いますが、私は子供を産む気はないので」
私は逃げるようにその場を後にした。
この先私はどうななるのだろう? おそらくバッドエンドになるであろう英子さんの恋路を最後まで見たくないという意味ではとっととこんな仕事辞めてしまいたいところだけれど、それで自殺でもされたらと思うとそれなりに心配になったりもしてしばらく現状維持が続きそうだった。また35になったら考えよう。35というのは子供を産むためのタイムリミットのように言われている。それを目安にするということは、無意識に私はまたこんな生活をする前の自分に、元の普通の生活に戻りたいと思っているのかもしれない。そんなことを思いつつ。
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