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(8)
「本当に良かったのでしょうか?」
小高い山の上。移動した屋敷からは、空にたなびく濃い霧が見える。夏だというのに、しっとりとした冷たい風が吹き抜けていく。
「何がです?」
「あそこを離れてしまって。だって薫重さんがいなくなったら、あの土地は神さまから見捨てられたということになってしまうのでしょう?」
「大丈夫ですよ。立花家が務めを果たせなくなったら、また新しい家が務めを果たすでしょう。少しばかり荒れるかもしれませんが、あそこを治めてくれる神を見つけるのもそこに住む者の役目です。あなたが心配する必要はありません」
「でも……」
「そもそも雨音を虐げていた人間が住んでいた土地など、守ってやりたいとは思えません。祟り、穢れをばらまいたりしないだけ、ましだと思ってほしいですね」
過激な言葉に、どうしてか嬉しくなる。本当はこんな荒ぶる神にしてしまってはいけないのだろうけれど、真っ直ぐな愛情が彼女には愛おしかった。
名を取り戻した雨音は、日毎に美しくなっている。ようやっと水を得た荒れ地の花のように。雨音の首筋に顔をうずめながら、薫重がうめいた。
「もう待ちきれない」
「まあ、もしかしてお腹が空いてしまったのですか」
くすくすと楽しそうに笑う雨音を引き寄せ、薫重が深く口づける。自分を傷つけることのない牙に舌で触れれば、薫重が堪えきれないようにささやいた。
「そう、僕はずっと空腹なんです。それなのにあなたときたら、僕のことを人買いか何かのように扱って」
「まあ、頭から全部食べられてしまいそう」
甘く体に染み渡る神の息吹きを受け、雨音は目尻をほんのりと赤く染めた。
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