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「ただいま戻りました」  神社にバウムクーヘンを奉納しようやく家に戻ってくれば、両親と妹は家族団欒の最中だった。それを邪魔しないように、けれど無視した形にもならないように、細心の注意を払って離れの自室に戻る。誰もいない部屋の中に滑り込み、(おと)はようやく安心した。  (おと)の家族は、少し複雑だ。大地主である父、華族出身の母、(おと)、そして半分だけ血の繋がった妹の有雨子(ゆうこ)がいる。  父に(めかけ)がいたことを母が知ったのは、(おと)が生まれてしばらく経ってからのことだった。産後の肥立ちが悪かった妾が亡くなり、父が有雨子(ゆうこ)を連れ帰ってきたからだ。  ほとんど同じ時期に生まれた妾の娘。ところが多くの予想とは異なり、気位の高い母は、女性を囲っていた父を責めることはなかった。さらに、(おと)の双子の妹として有雨子(ゆうこ)を引き取り、可愛がってみせたのだ。  むしろこの家の中で身の置き所がないのは、(おと)のほうだった。  政略結婚だった父母の仲は冷めきっていた。跡取りとなる男児は生まれず、同じ年頃の娘がふたり。となれば、好いた女の子どもを可愛がるのは(おと)にも理解できた。傷つかないわけではなかったけれど。  一方の母はといえば、まるで見せつけるかのように(おと)の前で腹違いの妹を可愛がった。まだずっと小さい頃、(おと)が癇癪を起こしたとき、母は蔑むような目でこう言ったのだ。 『産みの母を亡くした妹をどうして可愛がってやれないのです。なんと心の無い娘でしょう。そもそも立花家の長女だというのに、生まれ持った名前はたった一文字だなんて。まったく恥ずかしい。本当にわたくしの娘なのかしら』  名前にあてられた文字の多さは、神から与えられた祝福の深さに比例すると言われている。祝福の少なさを示すかのように、(おと)は生まれつき虚弱な上、誕生を境にこの辺りの土地では水不足が増え始めた。  いつの間にか父は、妾の子を可愛がる母を妻として認めていた。妹は、母を実母のように慕っている。(おと)の家は、彼女ひとりを置き去りにして、家族として繋がっていった。  ぱらぱらと屋根にあたる雨音を聞いていれば、眠気が押し寄せてきた。夕餉も取らないまま床につく。  今日出会った薫重(くんじゅ)のことを報告すべきだろうかと迷い、忘れたふりをすることにした。どうせ伝えたところで、男の元に出入りする不良少女だと叱られるだけ。 (それならば、私と薫重(くんじゅ)さんだけの秘密にしておいたほうがいいわ。……あら?)  常ならば、自分が母にはむかうはずがないことに思い至り、首を傾げた。どうして、今日は反抗的な気持ちになるのだろう。むしろ、どうして普段は反抗的な気持ちにならないのだろう。  眠りに落ちていく途中で掴みかけた疑問は、頭の中で霧散した。
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