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(3)
「ただいま戻りました」
神社にバウムクーヘンを奉納しようやく家に戻ってくれば、両親と妹は家族団欒の最中だった。それを邪魔しないように、けれど無視した形にもならないように、細心の注意を払って離れの自室に戻る。誰もいない部屋の中に滑り込み、音はようやく安心した。
音の家族は、少し複雑だ。大地主である父、華族出身の母、音、そして半分だけ血の繋がった妹の有雨子がいる。
父に妾がいたことを母が知ったのは、音が生まれてしばらく経ってからのことだった。産後の肥立ちが悪かった妾が亡くなり、父が有雨子を連れ帰ってきたからだ。
ほとんど同じ時期に生まれた妾の娘。ところが多くの予想とは異なり、気位の高い母は、女性を囲っていた父を責めることはなかった。さらに、音の双子の妹として有雨子を引き取り、可愛がってみせたのだ。
むしろこの家の中で身の置き所がないのは、音のほうだった。
政略結婚だった父母の仲は冷めきっていた。跡取りとなる男児は生まれず、同じ年頃の娘がふたり。となれば、好いた女の子どもを可愛がるのは音にも理解できた。傷つかないわけではなかったけれど。
一方の母はといえば、まるで見せつけるかのように音の前で腹違いの妹を可愛がった。まだずっと小さい頃、音が癇癪を起こしたとき、母は蔑むような目でこう言ったのだ。
『産みの母を亡くした妹をどうして可愛がってやれないのです。なんと心の無い娘でしょう。そもそも立花家の長女だというのに、生まれ持った名前はたった一文字だなんて。まったく恥ずかしい。本当にわたくしの娘なのかしら』
名前にあてられた文字の多さは、神から与えられた祝福の深さに比例すると言われている。祝福の少なさを示すかのように、音は生まれつき虚弱な上、誕生を境にこの辺りの土地では水不足が増え始めた。
いつの間にか父は、妾の子を可愛がる母を妻として認めていた。妹は、母を実母のように慕っている。音の家は、彼女ひとりを置き去りにして、家族として繋がっていった。
ぱらぱらと屋根にあたる雨音を聞いていれば、眠気が押し寄せてきた。夕餉も取らないまま床につく。
今日出会った薫重のことを報告すべきだろうかと迷い、忘れたふりをすることにした。どうせ伝えたところで、男の元に出入りする不良少女だと叱られるだけ。
(それならば、私と薫重さんだけの秘密にしておいたほうがいいわ。……あら?)
常ならば、自分が母にはむかうはずがないことに思い至り、首を傾げた。どうして、今日は反抗的な気持ちになるのだろう。むしろ、どうして普段は反抗的な気持ちにならないのだろう。
眠りに落ちていく途中で掴みかけた疑問は、頭の中で霧散した。
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