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 (おと)はあれ以来、薫重(くんじゅ)の屋敷に立ち寄るようになった。 「長いこと神社へ奉納に伺っていたのに、どうしてお屋敷に気がつかなかったのでしょう?」 「あなたが大人に近づいたからかもしれません」 「そういうものでしょうか」  首を傾げる(おと)に向かって、薫重(くんじゅ)がお茶を勧めた。 「さて、今日もまた(おと)さんの『初めて』を頂こうと思いまして、パンケーキをご用意しました。(おと)さんには、薄餅の方が耳馴染みがあるでしょうか」  目の前に置かれたのは、蜂蜜がたっぷりかけられたパンケーキ。黄金色に輝く蜜に、(おと)の目は釘付けだ。 「まあ、素敵。先日はチョコレート、その前はキャラメル。このままでは、子豚のように肥え太ってしまいそうです」 「もしかしたら、大きく育ったところを丸呑みにしてしまおうと企んでいる、悪い神さまがいるのかもしれませんよ」 「それは大変です」  思わず吹き出した(おと)の頬を、薫重(くんじゅ)が優しく撫でた。 「(おと)さんが笑っていると幸せになれます。まるで甘いものを食べているときみたいに。優しい香りのするあなたには、ずっと笑っていてほしい」 (そんな、恋文のようなことをおっしゃるなんて!)  頬を染めながら、(おと)はいただきますと手を合わせた。自分の家では食欲もわかず、食事をとれないことさえ多いのに、ここでは不思議なほどお腹が空いてしまう。それは珍しい洋食の甘味だからというだけではないはずだ。  虚弱体質の役立たずと裏で罵られていた(おと)が、屋敷に通うようになってからは病気ひとつしない。生きる力を注ぎ込まれているように薫重(くんじゅ)(おと)を満たしてくれる。 (これが、恋というものなのかしら。それなら、叶うはずのない恋ね)  パンケーキを前に固まってしまった(おと)を前に、薫重(くんじゅ)が話しかけた。 「前から悩んでいたのですが、この地を離れようかと考えているんです」  突然の話に、(おと)はフォークを取り落とした。小さく震える(おと)の手を、薫重(くんじゅ)がそっと握り締める。 「ついてきてはいただけませんか?」 「私が、ですか?」 「着物にも洋装にも似合うように準備してきました」  指にはめられたのは、白金(プラチナ)の指輪。捻梅(ねじうめ)の中心では金剛石(ダイヤモンド)が輝いている。それが意味することを考えて、(おと)はめまいがした。 「どうか、これから先もずっと僕と一緒にいてください」 「……はい」 「それでは、あなたが成人を迎える日にこの土地を出ましょう。これからは、何か困ったことがあったら、僕のことを呼んでください」  嬉しげに引き寄せられ、薫重(くんじゅ)の香りに包まれた。  甘いお菓子につられて、知らないひとについていってはいけない。それは小さな子どもだって知っていること。けれど、(おと)は夢を見たいと思った。  例え最後は苦界(くかい)に売り飛ばされることになったとしても、あの家で静かに朽ちていくよりはきっと幸せなはず。  薫重(くんじゅ)の腕の中で、(おと)は淡く微笑んだ。
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