花火の夜に君と

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たぶん、あれが分岐点だった。 そう気づくのは、だいたいもう取り返しのつかないことになってから。 「何の花?」 「はい?」 「名前。何の花が由来なのかと思って」 「……ちょっと、わかんないです」 「そう」 最初の会話は、ゼミのクラス分け後の親睦会だった。 偶然にも彼の近くに座っていた私に、そう声をかけてきてくれたのだ。 彼にとっては他愛も無いことだったかもしれないけれど、20年近く生きてきて初めてそんな質問をされたものだから、相手のことが気になってしまうのも仕方ないと思う。 里野 開(さとや かい) 優秀な頭脳を持つ彼は、学内でも有名人だった。遠目からでも目立つ長身と、スタイルの良さ。少し長めの黒髪が縁取る綺麗な輪郭、すうっと通った鼻筋、薄く形の良い唇。はっきりとした二重にわずかに下がり気味の目尻。優しさと憂いをバランス良く混ぜ合わせたみたいな瞳には、思わず吸い寄せられてしまう魅力がある。周囲がざわつくほどの美形なのに、同い年とは思えないほど浮ついたところがない。そこにいるだけで存在感を放つような、意識せずとも人の目を惹いてしまうような人。 どこか浮世離れしている感じがあって、何となく近寄りがたくて。たとえ用があっても話しかけるのに気後れしてしまうような空気があった。 だから、話しかけられた時はびっくりしたのだ。 同時に、何の上手い返しもできなかった自分にがっかりもした。 遠巻きに、でもしっかりと彼の様子をうかがっている、目立つタイプの女子たちがいつ彼に声をかけるかタイミングを計っているなかで、不意打ちでこんな地味な私に話しかけてくるなんて、誰が想像しただろう。 幸か不幸か、私との会話はものの1分にも満たないものだったので、圧の強い女子たちに嫉妬されてお先真っ暗、なんてことにはならなかった。 地味で平凡な私の心のアルバムに、「美」という表現がものすごくしっくりくる『あの里野くんに話しかけられた』という華々しい思い出が刻まれただけだ。 少しの間だったけれど、彼と目を合わせて会話できた。 その瞳に吸い込まれそうになった。 それだけで、ちょっとだけ、好きになってしまいそうだった。 免疫が無い自分のチョロさにげんなりしながら、もう一度、心の動きを確認する。 目が合って、名前を呼ばれて、その由来を尋ねられた。まともに答えられなかったけれど。その瞬間だけ、彼の視界に私がいて、私の存在を認識してくれていた。すごい。『花』って名前をくれた両親に感謝だ。思い返しても眼福だった。いい思い出ができた。それで終わるはずだった。 はず、だった。
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