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 しばらく、立ち上がる気になれなかった。  ぼんやりと川向こうを眺める。  マンションや、商業施設の明かりが見える。今まで真っ暗なところにいたせいだろうか。やけに光が目にしみた。    あの薄気味悪い橋はかかっていなかった。  島の影も形もない。  流生と一緒に消えてしまったんだ。    凛は、重い腰を上げた。  しばらく膝が震えていたが、そのうち、普通に歩けるようになった。    方向感覚がおかしい。  どっちへ行けば家へ帰れるのだろうか。  とにかく、土手の上を目指せばいいか。  足元を見て、ひたすら坂をのぼる。  伸びすぎた草に足を取られそうになった。    舗装された道が見えてきたとき、自転車のライトが目の前を横切った。  凛は顔をあげる。  走り去ったと思った自転車が止まっている。  乗り手の黒い顔が、こちらを見つめている。    妙にドキドキして、凛もそちらを見返すと、相手は自転車を降りてこちらへ近付いてきた。 「凛……?」  耳馴染みのある声だった。 「やっぱり、凛だな!? 良かった。母さんから連絡をもらって、探してたんだ。川縁(かわべり)にいるかもしれないって言うから」 「お父さん」  凛の父親ーー大輔(だいすけ)だった。  いつもと雰囲気が違うと思ったら、メガネをしていない。顔も髪の毛も、雨と汗でぐしゃぐしゃだった。 「怪我は? おかしなやつに連れてかれたって聞いて、気が気じゃなかったよ。すぐに見つかって良かった。犯人はーー凛をさらったやつはどこだ。学校の友達とかじゃないんだよな? やっかいなことに巻き込まれてないか。……いや、それより」  父の声が不安に揺れる。 「流生は一緒じゃないのか」 「流生……。流生は」 「場所を知ってるんだな?」  凛はこくんと頷いた。 「なら、父さんが行く。どこにいるんだ、教えてくれ」  凛はかぶりを振った。  今は行くことができない。橋がかかってないから。  もし仮にかかっていたとしても、誰かを連れて行かなければ、意味がない。 「なあ、頼む、凛」  父は何度も繰り返し、流生の居場所を尋ねた。  凛はそのたびに首を振った。  困り果てた父親は、流生もさることながら、青白い顔の凛のことも心配だったのだろう。 「ひとまず、家に帰ろう。けど、家に着いたら、ちゃんと話すんだ」    大きな手のひらが、凛の頭を撫でた。  だいぶ久しぶりだ。思春期の娘に気を遣って、凛が大きくなってからは、あまりスキンシップをとらなくなっていたから。  そして、凛は気付いた。  父はスーツのままだった。  母から連絡を受け、職場を抜けてから、着替えもせずに探しに来てくれたのだろう。    父は自転車を取りに戻ると、押しながら家へ向かって歩き出した。  凛がついてくるのを確かめてから、ケータイを取り出す。  電話の相手は、凛の母親のようだった。 「七子(ななこ)、凛が見つかったよ。今からそっちに向かう。いや、流生はいない。なぁ、やっぱり……はぁ。帰ってから話す。うん、うん。わかったよ。ーーそれから」  通話する父の後ろを、凛は無言で歩いた。  ふとスカートのポケットに違和感を感じ、探ってみる。  小さな、ゴロゴロとした何か……。  流生が、凛のために作った紙粘土のスズメだった。  弟は手先が器用だ。工作が好きで、折り紙やビーズで、何かしら作っては凛にプレゼントしてくれる。  凛の宝物。  手のひらの重みを握りしめると、ようやく、凛の中の凍結した感情が戻ってきた。
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