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2-4
しばらく、立ち上がる気になれなかった。
ぼんやりと川向こうを眺める。
マンションや、商業施設の明かりが見える。今まで真っ暗なところにいたせいだろうか。やけに光が目にしみた。
あの薄気味悪い橋はかかっていなかった。
島の影も形もない。
流生と一緒に消えてしまったんだ。
凛は、重い腰を上げた。
しばらく膝が震えていたが、そのうち、普通に歩けるようになった。
方向感覚がおかしい。
どっちへ行けば家へ帰れるのだろうか。
とにかく、土手の上を目指せばいいか。
足元を見て、ひたすら坂をのぼる。
伸びすぎた草に足を取られそうになった。
舗装された道が見えてきたとき、自転車のライトが目の前を横切った。
凛は顔をあげる。
走り去ったと思った自転車が止まっている。
乗り手の黒い顔が、こちらを見つめている。
妙にドキドキして、凛もそちらを見返すと、相手は自転車を降りてこちらへ近付いてきた。
「凛……?」
耳馴染みのある声だった。
「やっぱり、凛だな!? 良かった。母さんから連絡をもらって、探してたんだ。川縁にいるかもしれないって言うから」
「お父さん」
凛の父親ーー大輔だった。
いつもと雰囲気が違うと思ったら、メガネをしていない。顔も髪の毛も、雨と汗でぐしゃぐしゃだった。
「怪我は? おかしなやつに連れてかれたって聞いて、気が気じゃなかったよ。すぐに見つかって良かった。犯人はーー凛をさらったやつはどこだ。学校の友達とかじゃないんだよな? やっかいなことに巻き込まれてないか。……いや、それより」
父の声が不安に揺れる。
「流生は一緒じゃないのか」
「流生……。流生は」
「場所を知ってるんだな?」
凛はこくんと頷いた。
「なら、父さんが行く。どこにいるんだ、教えてくれ」
凛はかぶりを振った。
今は行くことができない。橋がかかってないから。
もし仮にかかっていたとしても、誰かを連れて行かなければ、意味がない。
「なあ、頼む、凛」
父は何度も繰り返し、流生の居場所を尋ねた。
凛はそのたびに首を振った。
困り果てた父親は、流生もさることながら、青白い顔の凛のことも心配だったのだろう。
「ひとまず、家に帰ろう。けど、家に着いたら、ちゃんと話すんだ」
大きな手のひらが、凛の頭を撫でた。
だいぶ久しぶりだ。思春期の娘に気を遣って、凛が大きくなってからは、あまりスキンシップをとらなくなっていたから。
そして、凛は気付いた。
父はスーツのままだった。
母から連絡を受け、職場を抜けてから、着替えもせずに探しに来てくれたのだろう。
父は自転車を取りに戻ると、押しながら家へ向かって歩き出した。
凛がついてくるのを確かめてから、ケータイを取り出す。
電話の相手は、凛の母親のようだった。
「七子、凛が見つかったよ。今からそっちに向かう。いや、流生はいない。なぁ、やっぱり……はぁ。帰ってから話す。うん、うん。わかったよ。ーーそれから」
通話する父の後ろを、凛は無言で歩いた。
ふとスカートのポケットに違和感を感じ、探ってみる。
小さな、ゴロゴロとした何か……。
流生が、凛のために作った紙粘土のスズメだった。
弟は手先が器用だ。工作が好きで、折り紙やビーズで、何かしら作っては凛にプレゼントしてくれる。
凛の宝物。
手のひらの重みを握りしめると、ようやく、凛の中の凍結した感情が戻ってきた。
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