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2-6
【朔夜】
朔夜は翌日、学校に行くのがしんどかった。
凛とあんな別れかたをして、探しに行くこともせず、ただ彼女の母親に促されるまま、帰宅したことが情けない。
今日、凛に会えなかったらどうしよう?
一年三組に足を踏み入れた朔夜の不安は、しかし、あっけないほど簡単に払拭された。
机の端に腰かけて、隣の席のやつとしゃべっているのは、凛だ。
無事だった。拉致されたと思った彼女は、戻って来たのだ。
すぐに昨日のこと謝って、胸中のもやもやを晴らしたかった。しかし、なんとなく、そのタイミングを逃してしまった。
どうして昨日、すぐに追いかけてきてくれなかったの、と言われたら気まずいし、返す言葉がない。
そうこうしているうち、先生が来てしまい、本格的に声をかけづらくなってしまった。
一限目、二限目……時間は逃げるように過ぎる。
昼休みを挟み、五限目の英語の授業。
隣の席の生徒と、英語で「好きな教科や習い事について話す」というペアワークである。
スタートの合図とともに、テキストに軽く目を通した朔夜は、右隣の河本を見た。
ペアの河本は、テキストなど開きもしない。
朔夜へ向かい、授業とはまるで関係ない話をはじめた。
「あのさぁ日高クン。日高クンて、白石サンと仲いいよな?」
またこの手の話題か……。
朔夜がうんざりした気色を見せると、河本の視線がさまよった。
「あーいやな? 今日、白石サン、機嫌いいよなぁと思って。オレなんか普段、接点ないけど、今朝は何でか声かけてくれたんだよなぁ。誤解すんなよ、ちょっと世間話した程度だから」
「凛が? 珍しいな」
「凛……ね、あのさ。日高クンと白石サンて、ほんとに付き合ってないんだよな」
「前も説明したろーが。また同じこと言わせる気か」
「あーいやいや。怒らないで、悪い。でもさ、やっぱチラッとでも話すと、気にはなるだろ? そんでちょっと見てたんだけど、白石サン、やっぱりいつもよりニコニコしてるっつーか。壁がないような気がするんだよなぁ。ホラ今も」
河本が興味本位で示したほうに目をやると、凛が、ペアの男子と打ち解けた様子で会話している。
もとから、愛想は悪くない凛である。
ただし、他人とは明確に一線を引いていることを、朔夜は知っていた。彼女のテリトリーに入ることができるのは、自分と、彼女の家族だけだった。
だからこそ、今の凛の姿には違和感を覚える。
「あ、ペアワークの時間、終わっちゃったなぁ」
河本は確信犯か。
結局、少しもスピーキングの練習にならなかった。
このスッキリしない気分はなんなんだ。
凛が変に愛想がいいから?
それとも、昨日のことがあったにもかかわらず、平然と過ごしているから?
水曜は五時間授業だから、この英語が終われば、すぐに帰りの会となる。
放課後になったら、話しかけに行こう。
この際、もう人目は気にしない。
変なプライドや羞恥心は捨てる。
そう心に決めて、じっと、もどかしい時間を過ごした。
終会とクラス清掃のあと、朔夜は、教室を出ようとする凛に声をかけた。
「凛、ちょっといいか?」
ゆく手を遮ってまで、引き止めた朔夜の行動に、凛は思いがけないという表情を作る。
「えっと、今日は火曜日じゃないよ?」
「火曜じゃなきゃ、話しかけちゃいけないのかよ」
少しむっとする。
むしろ、凛のほうから報告してくれてもいいはずだ。
「あーごめん。言い方が悪かった。ピアノの日以外はほら、あんまそっちから来ることないじゃない?」
謝るつもりが、逆に凛に謝らせてしまった。
朔夜は次にかける言葉を探す。
「もしかして、昨日のこと心配してくれてた? そうなんだね朔夜。ありがと。でも大丈夫なの。意外と早く消えてくれたもんだから」
「もういいよ。そうだ、流生はどうした? 帰って来たんだろ」
己の願望も込めて、朔夜はそう決めつける。
「流生……」
その名を乗せた凛の唇が、震えたように見えた。一瞬のことだ。まばたきすれば、いつもの凛の笑顔がある。
「もちろん。ちゃーんと、見つかったよ!」
彼女の顔に咲いた華。
朔夜の目に飛び込んできたそれは、ひどく、鮮やかな色をしていた。
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