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1-6
【朔夜】
ドアは明らかに、自分の意志でもって閉じた。
朔夜は、何度もドアノブをまわしたり、半ば体当たりで扉を押したりした。
しかしまるで手応えがない。外側から押さえつけられてでもいるのか。固く、びくともしなかった。
そうこうしているうち、何の前触れもなく、ドアの重みは消えた。
簡単に開いた扉。
外には誰もいない。
凛も、あの少女も。
朔夜は玄関ポーチの階段を駆けおりて、あたりを見渡した。
(どこだ……凛)
街頭に照らされた細雨が、白く光って見える。静かなものだった。
「朔ちゃん? そんなところで何してるの。傘もささないで。こっちへいらっしゃい」
声をかけられ振り返る。
凛の母親がいた。
玄関先で、壁に寄りかかり、血の気の引いた顔で朔夜を呼んでいる。
「先生、あの、いま凛が」
「朔ちゃん、うちの流生を知らない?」
「えっ?」
思わず訊き返した。
なぜ流生の名前が出てくるのだろう。
「流生……くんのことは知りません。一緒に二階にいたんじゃないんですか」
「そうよ。そうなの。わたしが具合を悪くして、ソファで寝ていたときに、すぐそばで学校の宿題を広げてたのよ。そのはずなんだけど、しばらくして、急に立ち上がって」
きょろきょろと、部屋の中を見まわして。
少しの間、考え込むように顔をうつむけて。
『お姉ちゃんが呼んでる』
流生はそう言って、一階へおりて行った。
「だから、下で凛たちと一緒にいると思ったんだけど」
「『お姉ちゃんが呼んでる』って、言ったんですか? 流生が? そんなはずありません。だって凛は、俺とふたりで、ずっと練習室にいたんだ。流生を呼んだりしてない」
「え……でも」
朔夜はぞわぞわと、得体の知れない感覚に身を震わせた。
あれは本当に、誰だったんだ。
凛も、流生もどこへ行ってしまったんだ。
そういえば、学校からの帰り道、凛が言っていた。体育の授業で、変なやつに会ったと。
さっき見たのが、例の変なやつなのか?
最初は凛と瓜二つだと思った。
しかし、すぐに違うと気付いた。今は、どこをどう見てそう感じたのかわからない。
凛のように、ふっくらと健康的な肌艶でもなければ、どこか鋭利な雰囲気を漂わせていたわけでもない。
まっすぐ背中にかかる黒髪と、制服を着た背格好が似かよっていただけだ。
いなくなってしまった。
自分が、彼女の手をつかみきれなかったせいで。あの場で、凛を助けられるのは、自分しかいなかったのにーー。
「俺、ちょっと行ってきます。凛がさらわれたんだ。まだ追いつけるかもしれない」
「ちょっと待って。朔ちゃんまでいなくなったら困るわ。主人に連絡するから……。だから、あなたはもう帰りなさい」
「そんな、だって凛が……! 流生だって。あいつがヤバいやつだったらどうするんですか。例えば、凛に恨みを持ってたりしたら」
「あいつって? 誰のこと。いいえ、どちらにしても、他所様の子まで巻き込みたくないの。あなたもまだ子どもなのよ。あとは大人にまかせなさい」
「話にならない。そんな悠長なこと言ってる場合ですか。今すぐ探しにいかないと」
朔夜は恩師に背を向けた。
鉄格子の門扉に手をかけたとき、朔夜の脳裏に、いくつも悪い想像が浮かんだ。
朔夜を振りまわし、好き勝手に振る舞うくせに、愛おしくて仕方ないという眼差しを向けてくる少女。
時おりひどくわずらわしく、距離を置きたいと思うことさえあったのにーー。
今は、不安と焦燥感で、身が焼き切れそうだ。
自分は凛に、心臓を握り込まれ、爪でもたてられてるんじゃないか。
そんな考えが頭をよぎって、すっと身体の芯が冷たくなる。
なぜか、二の足を踏んでしまった。
朔夜はこれ以上、一歩も、進むことができなくなってしまったのだ。
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