1-6

1/1
前へ
/36ページ
次へ

1-6

【朔夜】  ドアは明らかに、自分の意志でもって閉じた。  朔夜は、何度もドアノブをまわしたり、半ば体当たりで扉を押したりした。  しかしまるで手応えがない。外側から押さえつけられてでもいるのか。固く、びくともしなかった。  そうこうしているうち、何の前触れもなく、ドアの重みは消えた。  簡単に開いた扉。  外には誰もいない。  凛も、あの少女も。  朔夜は玄関ポーチの階段を駆けおりて、あたりを見渡した。 (どこだ……凛)  街頭に照らされた細雨が、白く光って見える。静かなものだった。 「朔ちゃん? そんなところで何してるの。傘もささないで。こっちへいらっしゃい」  声をかけられ振り返る。  凛の母親がいた。  玄関先で、壁に寄りかかり、血の気の引いた顔で朔夜を呼んでいる。 「先生、あの、いま凛が」 「朔ちゃん、うちの流生を知らない?」 「えっ?」  思わず訊き返した。  なぜ流生の名前が出てくるのだろう。 「流生……くんのことは知りません。一緒に二階にいたんじゃないんですか」 「そうよ。そうなの。わたしが具合を悪くして、ソファで寝ていたときに、すぐそばで学校の宿題を広げてたのよ。そのはずなんだけど、しばらくして、急に立ち上がって」  きょろきょろと、部屋の中を見まわして。  少しの間、考え込むように顔をうつむけて。 『が呼んでる』  流生はそう言って、一階へおりて行った。 「だから、下で凛たちと一緒にいると思ったんだけど」 「『お姉ちゃんが呼んでる』って、言ったんですか? 流生が? そんなはずありません。だって凛は、俺とふたりで、ずっと練習室にいたんだ。流生を呼んだりしてない」   「え……でも」  朔夜はぞわぞわと、得体の知れない感覚に身を震わせた。  あれは本当に、誰だったんだ。  凛も、流生もどこへ行ってしまったんだ。  そういえば、学校からの帰り道、凛が言っていた。体育の授業で、変なやつに会ったと。  さっき見たのが、例の変なやつなのか?  最初は凛と瓜二つだと思った。  しかし、すぐに違うと気付いた。今は、どこをどう見てそう感じたのかわからない。  凛のように、ふっくらと健康的な肌艶でもなければ、どこか鋭利な雰囲気を漂わせていたわけでもない。  まっすぐ背中にかかる黒髪と、制服を着た背格好が似かよっていただけだ。  いなくなってしまった。  自分が、彼女の手をつかみきれなかったせいで。あの場で、凛を助けられるのは、自分しかいなかったのにーー。 「俺、ちょっと行ってきます。凛がさらわれたんだ。まだ追いつけるかもしれない」 「ちょっと待って。朔ちゃんまでいなくなったら困るわ。主人に連絡するから……。だから、あなたはもう帰りなさい」 「そんな、だって凛が……! 流生だって。あいつがヤバいやつだったらどうするんですか。例えば、凛に恨みを持ってたりしたら」 「あいつって? 誰のこと。いいえ、どちらにしても、他所様(よそさま)の子まで巻き込みたくないの。あなたもまだ子どもなのよ。あとは大人にまかせなさい」 「話にならない。そんな悠長なこと言ってる場合ですか。今すぐ探しにいかないと」  朔夜は恩師に背を向けた。  鉄格子の門扉に手をかけたとき、朔夜の脳裏に、いくつも悪い想像が浮かんだ。  朔夜を振りまわし、好き勝手に振る舞うくせに、愛おしくて仕方ないという眼差しを向けてくる少女。  時おりひどくわずらわしく、距離を置きたいと思うことさえあったのにーー。  今は、不安と焦燥感で、身が焼き切れそうだ。  自分は凛に、心臓を握り込まれ、爪でもたてられてるんじゃないか。  そんな考えが頭をよぎって、すっと身体の芯が冷たくなる。  なぜか、二の足を踏んでしまった。  朔夜はこれ以上、一歩も、進むことができなくなってしまったのだ。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

55人が本棚に入れています
本棚に追加