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第二章 こうかんこ
2-1
散々罵倒し、暴れたあとで、この少女には一切の抵抗は無意味だと気付かされた。
手首を掴む力が弱くなるわけでもない。
朔夜には到底聞かせられないような汚い言葉を浴びせかけても、弾んだ笑い声が返ってくるだけ。
結局、引きずってでも歩かされるのだ。
だから凛は、少女のことをよく観察してみることにした。
こうして見ると、横顔はそこそこ、整っている。まつ毛が長い。
あごのラインがすっきりしていて、きりっとした狐顔。可愛いか、美人かと問われれば、美人の素質はあるかもしれない。
ーー自分ほどじゃないけど。
「りん、もうすぐだよー」
突然、少女の首だけが、くるっとこちらを向いた。
(この動きの唐突さがなければ、気持ち悪さも半減するんだけどな)
凛は少女へ問いかけた。
「何がもうすぐなの。どこへ向かってるのよ?」
「カハハギさまのところだよぉ」
「カハハギ様? ふざけんなよ。私は家に帰りたいの、あんたのお遊びに付き合ってる暇なんかないの」
「なんどもいってるでしょお。みせたいモノがあるって。いまはかえしてあーげないっ」
繋いだ手をぶんぶん振る。
まるで幼稚園の子どもが、仲の良い友達にする仕草だ。
しばらく行くと、川向こうにぼんやり島の形が見えてきた。ただ、霧でかすんで、実態は定かではない。
凛の知るかぎり、自宅付近の川岸に、あんな不自然な盛り上がりなんてなかった。確かな記憶だ。だって、ここは通学時に何度も通った道だから。
凛は目をしばたいた。
橋がかかっている。
妙な存在感を放つ、島へ続く橋だ。
「ちょっと待って、ここを行くの……?」
さすがの凛も足を止めた。
ずいぶん古い木造のつり橋。
足元には隙間が空いて、タールのように黒くよどんだ川が流れる。
蔦が何重にも絡みつき、おそらくそれで支えているのだろうが、どう考えても安全とは思えない。
「いがいとゆれるよ」
「い、意外でもなんでもない!」
叫ぶと同時に、手を引かれた。
ひ、と喉の奥から声がもれる。
足を踏み出すと、きゅ、ときしむ音がした。
何か話していなければ、耐えられそうになかった。
「ねえ、あんた、なんで私の名前知ってんの」
沈黙。
「目的はなに? この先には何があるの」
ーー沈黙。
「……あんたの名前」
「りんとおなじがいいなぁ。なにもかもおんなじ」
ぞわっと鳥肌が立った。
やっと、返事がきたと思ったらそれか。
「やめて。ほんとにやめて。じゃあもう、ラン。これでいい?」
何かしら呼び名を用意しなければ、本当に「りん」と名乗り出しそうだった。それだけは絶対に避けたかったので、咄嗟に思いついた名前を口にした。
「ら、ん……」
彼女は、ご機嫌な様子でうふっと笑った。
気味の悪いやつなんだけど、妙に子どもっぽいところもあり、凛は毒気を抜かれる。
寒いな、と思うとくしゃみが出た。
鼻をすすっているうちに、向こう岸へたどり着いた。
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