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2-2
「ねえ、何も見えないんだけど……」
本当の夜の闇ーー都会育ちの凛には、馴染みのないものだった。
この島には、街明かりも届かないらしい。
せめて月が出ていれば、空は明るく見えただろうが、それさえない。
肌に冷たい雨の感触があるだけだ。
霧が深く、一歩先へ踏み出すのもおぼつかない。
「ああそっかっ」
ランは急に、大きな声をあげた。
「しっぱいしちゃった。今日のりんは、あたしがつれてきたトクベツなお客さんだから、よくミエナイんだね」
ざんねんざんねん。
よくわからないことを繰り返す。
“凛はランが連れて来た特別な客”ーーということは、現時点では、招かれざる客ということか。
「しょーがないから、りん。あたしのあとについてきて」
ランはようやく、掴んでいた凛の手を離した。
もう、いつでも逃げられる。
しかし、ここからひとりで帰る気にはなれなかった。
ランを見失ったら、二度と戻れくなる。
そんな気がして、凛は彼女の後ろをぴったりと歩いた。
これだけあたりが暗いと、狂った女の手すら恋しく思えるから不思議だ。
「ねえ、何かいない……?」
視界が悪いぶん、他の感覚が鋭くなる。
息遣い。
明らかに、自分たちのものじゃない。
もっと大きなモノの、息遣いが聞こえる。
凛の頭の上からだ。
「ラン、聞いてる? ぜったい、何かいる」
「いると思ったらイナイ。イナイと思ったらいるよー」
意味不明な答えをどうもありがとう。
いつもの凛なら、嫌味のひとつでも言ってやるところだ。しかし、凛もそろそろ、気付きはじめていた。
この島で、命綱を握っているのは、目の前の少女しかいないということに。
「目をあわせちゃダメだよぉ」
何と?
何と目を合わせたらいけないの。
心の中の疑問は、外へもれることはなかった。
暗闇、雨のにおい、誰のとも知れぬ吐息……すべてが不安に思える。だが、一番気になって仕方ないのは足元だ。
今、踏みしめているこの地面、妙にぐにゃぐにゃして気持ち悪い。
雨でぬかるんでいるのかと思えば、そういう感じでもない。
何だろう。
例えば、巨大なミミズでも、踏んづけているような……。
「んふ。りぃん、みてみて! ここだよぉ」
ランがはしゃぎ出した。
幼子が、友達に宝物を見せびらかして喜んでいるみたい。
祠がある。
いや、実際には、祠のような影が浮かんでいただけで、はっきりと形を認識できたわけではない。
「え……、ちょっと」
凛は、祠の前の何かに気付いて、目を見開く。
すぐに駆け寄りたいが、できない。
足が、思うように動いてくれない。
機械じみた、ぎこちない足どりになる。
見たくない、確かめたくない。
「流生……?」
「ふふっ、ふっ……、く。はっはははははは」
「あんたこれ……どういうこと? なんで流生がここにいるのよ」
凛は、横たわった流生のそばに、ひざまずいた。
「あぁおかしい、うれしいぃ。りんがびっくりしてくれたー」
ランは手を広げて、くるくる踊っている。
わざわざ、こいつに訊かなくとも、分かる。
流生をこの島に連れて来たのは、この女だ。
流生は、横向きの体勢で倒れていた。
ただ、地面についているほうの肩が、顔が、半ば地面に埋もれている。
どう見ても、普通の状態ではない。
瞼は薄ぼんやり開かれ、目の焦点が定まっていない。
わずかに痙攣していなければ、死んでしまったと思っただろう。
流生は生きてる、まだ。
きっとそう。
すぐに助け起こそうとして、凛は息を詰めた。
流生を持ち上げることができない。
どうして。弟の身体が重くなった?
いや、違う。そんなんじゃない。
「なにこれ……くっついてる。なんなの、なんでこんなことになってんの!?」
流生の身体は、ミミズの肉に似た土に、わずかにめり込んでいる。
引き剥がそうにも、引き剥がせない。
癒着している、といった表現がしっくりくる。
「ムリに、はがさないほうがいいんじゃなぁい? やぶけちゃうよお」
「ラン!! いい加減にして、流生を元に戻して!」
凛が泣き叫ぶと、ランは急に真顔になった。
「いまはムリだねぇ。あたしたちのルイは、カハハギさまの一部になったの」
空おそろしいことを告げた。
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