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講師に絵を褒められた。
山村は調子を良くして、また絵を描こうとやる気になったがレンタル分があったので、その気持ちはぱっと消えてしまう。
――まあ、またやる気が必要になったらまた借りればいいか。
そう思うと、焦る気持ちがなくなって、山村はすっかり胸を軽くした。
課題の期限が近づけば、またレンタル・モチベーションを使った。やる気を借りられれば、すぐに絵が描けた。描きかけの絵があればやる気もまたわいて、褒められるとまたやる気になる。
いい循環だ。
山村は満足していた。
無理にやる気を出す必要がなくなって、描きたいときに絵が描ける。
腕前も順調に上がっていく。
――返却期限切れだけは気をつけないと。
山村は何度か他の事にもレンタル・モチベーションを使おうと思ったが、債務者になるのが怖くて結局絵を描くことだけにアプリを使った。
それが功を制したのか、山村は債務者へならず無事半年の月日を過ごした。
二年への進学を前に、山村は春休みの課題をやろうとしたときだ。
「あれ、アプリがつかない」
山村は慌てて岡部に連絡した。
やる気さえあればすぐ終わると思っていたから、春休みも残り僅かだ。
岡部からの返信に飛びついたが、
「俺も驚いたけれど、サービス終了になったみたいだ」
「そんな! あれがないと困るよ」
「まあ今まで世話になれただけ感謝だろ。こっからは自分で上手いことやるしかないさ」
と助けにはならず、ただレンタル・モチベーションのことを諦めるしかなかった。
――自分でやるしかない、か。アプリがなかった頃はそうだったんだし、また自力で頑張るか。
そう考えるのだが、山村はキャンパスといくらにらめっこしてもまるでやる気が出てこない。
家ではダメだ。そう考えて美術室へ行き、いつもの特等席に構えたが、やはり上手くいかない。
頭を抱えて、無理矢理に筆を握ってみる。それでもダメだ。
どしてもやる気にならない。
やがて日が暮れてくる。休みの間でも、美術室にはまばらに部員が来ていたが、その生徒達も既に帰ってしまっていた。
残ったのは山村だけだ。
帰るべきだろうか。
しかし帰って家でもやる気が出るとは思えない。明日も、そのまた次の日も。
大きくため息をついて、山村が途方に暮れていると、こんな時間だというのに誰かが美術室へと入ってきた。
眠そうな顔に、頭からかけたヘッドホンからは微かに音漏れしている。
加瀬だ。彼女の顔を見て、山村はもう一度大きなため息をついた。
――よりによって。
「無気力人間の加瀬じゃ、なんの助けにもならないよ」
ヘッドホンで聞こえないと思ったのか、それともあまりに追い詰められて口に出してしまったのか、けれど山村のぼやきはしっかりと聞こえてしまった。
「ずいぶんな挨拶ね」
「あ。ごめん、聞こえると思ってなくて……じゃなくて、その」
「別にいいけど」
「ちょっと今煮詰まってて」
山村が情けない顔をすると、加瀬は眠たそうな顔のまま少しだけ笑った。
「それ、誤用」
「え」
「……絵、描けないんでしょ」
「どうしてわかったんだ」
そりゃね、と加瀬は顎で真っ白のキャンパスをしゃくる。
「あのさ、やる気のことばっかりあんまり考えない方がいいと思うよ。筆使わないなら借りていい?」
加瀬はつまらなそうに言って、ヘッドホンを頭から外して首にかけた。
それから山村の横に、キャンバスを引っ張り出して、山村の絵の具と筆を勝手に握ると、そのまま描き始めた。
「加瀬が描いているの、初めて見た」
「私夜行性だから。昼間は元気出ないんだよね」
「無気力人間じゃなかったんだ」
驚いた。しかし山村がなにより驚いたのは、加瀬がすごく楽しそうに絵を描いている姿だった。
絵を描く、楽しいんだ。
「レンタル・モチベーション、やってたんでしょ?」
「……加瀬もやっぱ使ってたのか?」
「ううん、私はやってない。だってやる気はいつも私の中にあるから」
加瀬はそれだけしか言わなかった。
何かアドバイスをしてくれたわけでもない。
だけど、山村は早く自分も絵を描こうと思った。
「ねえ、やる気出た? 私のおかげ?」
「……かも知れない」
「じゃあお礼は?」
「筆貸したから、とんとんだろ」
彼女への恩はいずれ返そうと山村は思った。
――だって、あいつ絵はあんまり上手くなかったしな。
どうやら加瀬が毎月課題を出していないのは、自分の絵を見せるのが恥ずかしかったらしい。
けれども、誰かに見てもらい、指導を受けてこそ、絵は成長するものだろう。
山村と加瀬は、これから色々な貸し借りをするだろう。
けれど、やる気だけは、もう誰からも借りないはずだ。
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