重い鎖

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「あのう、北川さん。田川の兄貴はどうしてますかね」 一条が出所してから一月になるというのに、ドス謙の田川は一度も事務所に顔を出してこない。事務所で話題に上ることもない。奇妙だった。もちろん、積極的に顔を突き合わせたい相手ではない。だが、あのドス謙の田川が何処で何をしているのかさっぱり見えて来ないのは気持ちが悪かった。だから一条は我慢できなくなって北川に訊いてみたのだ。 「あいつか」 北川は顔を曇らせた。 「あいつ、シャブ食いやがってよう。しょうがねえから破門にしてやった」 暴力団にとってシャブとは食うものではない。売り物だ。商品だ。それにシャブは脳と心と体を腐らせる。ヤクザというものは常に頭と心と体がシャキッとしてなければ務まらない。だから人体と精神を腐らせる劇毒物である麻薬覚醒剤の類いに手を出したヤクザは、掟によって組織から排除される。 「破門だよ。破門」 「そうですか。破門ですか」 「あれも無茶苦茶なやつだったからな。まあ自業自得だろ」 「田川は、まだ同じ場所に住んでますか」 「引っ越しはしてないはずだ」 「そうですか」 一条は深く息を吐き出して、そのまま沈黙した。 「おまえ、まさか変なこと考えてねえだろうな」 「変なこと?」 「わかってんだぞ。おまえ、あの馬鹿にオンナを貸したそうじゃねえか。しかもあの馬鹿、無理矢理に――おまえ、ドス謙に仕返しをしてやろうと思ってるんだろうが、そんなことはやめておけ」 「やめる?」 「そうだよ。今の田川は仕返しする価値もねえぞ」 若頭の北川は、言ってからしばらく沈黙し、やがて重い口を開いた。 「てめえの目で見れば納得するか。好きにしろ。田川は破門になったんだ。煮て食おうが焼いて食おうがおまえの勝手だ。だが田川を殺ったら刑務所にまた逆戻りだぞ。それを忘れるな」 夜。繁華街をぶらついていると、裏路地の電信柱にしがみついて嘔吐している女が目についた。まだらに脱色した汚い金髪。丈の短いくたびれたボディコン。艶のない両足。派手な化粧。 「くっそ。くっそジジイ。汚えモノ舐めさせやがってよう。ばっきゃろう。風俗来るなら金玉ぐらい洗ってから来いよ。馬鹿野郎。馬鹿野郎。馬鹿野郎」 女は泥酔している。女と視線が交わった。そうではないかと思っていた。ボディコンの背中を見ながら、心のどこかでそうではないかと思っていた。そう思いながら、心の中のどこか片隅で、別人でありますようにと願う自分がいた。だがやはり目の前の泥酔した女は紛れもなく茉莉その人であった。 「なに見てんだよ。ヤー公てめえ、こっち見てんじゃねえよ」 茉莉が野良猫のような目で挑んでくる。一条は黙って頭を垂れ、その場から立ち去った。背中に茉莉の罵声が突き刺さる。茉莉が金切り声を上げている。一条は耳を塞ぎたくなるのを耐えながら、ただ真っ直ぐ歩いてあの男の住む安アパートを目指した。
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