ラインの向こう側

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     「隣、いいっすか」  唯一機械音が止む休憩時間。姿を見かけて三日目、初めて声を聞いた。   「どうぞ」 「ここ、長いんすか?」 「まあ、そこそこ。社員なので」 「へえーそうなんすか。凄いっすね」 「オレはとっぱらいで日当貰えるバイトで、月曜から来てるんすけど」  四日目か。食堂に貼られているデカいカレンダーを目視した。同じラインにいて、見かけてから誤差はあまりないな。  期間を真面目に答えず、数ターン会話が端折れる返事をして正解だった。 何が『凄い』のか、言葉尻を捉えて掘り下げる気も無い。どうせ碌な意味を持っていないだろうし。  自分が着ている物と似て非なる、日払いバイト用の作業着が不釣り合いな若者の姿を横目で見た。  遠目で見た三日前と印象は同じだ。工場内でもこの食堂でも異質で浮いている。  背は高そうだけれど線が細い。そんな作業員はたくさん居るが、なんというか。  やっぱり。菓子パンを持っている手が綺麗だ。節くれても居ないし、汚れや傷がしみこんでもいない。  開ける所が無いほど厳ついピアスを耳や口元や鼻にしている奴もいるけれど、完全なおしゃれ用の繊細な金の小さいフープピアスがパンを囓る度に揺れている。  薄茶色した瞳が零れんばかりに目を見開き、好奇心一杯で俺と、この空間を眺めている。   「ここの作業、見た目と違ってどれもキツいっすね。日払いの訳がなんとなくわかりました。一緒の日にバスで来た奴、初日の午前中で帰っちゃったし」  日常茶飯事だ。毎日いや半日で人が入れ替わる。 「だから、社員さんでずっと続けてるの凄いな、って思ったんすよ」  意外だった。『凄いの』意味が良い方だとは思わなかったから。  初対面相手にお喋りな性格なのか、知り合いがいないこの空間で人恋しいのか、俺に向かってまだ話し掛けようとしてきた時、昼休みの終わりを告げる音が鳴った。 「じゃあ。また……A型の、戸川さん」 「え?」  突然言っても無い個人情報を告げられ、驚いた。何処かで会った奴? 何かで探られている? と高速で妄想が駆け巡ったけど、相手の目線で即解決した。  隣の椅子に置いた被らない安全用ヘルメットに、血液型と名字が正々堂々と書いてある。自ら情報公開していた事に気付き、少し笑った。 「おいくつですか?」 「26、あ」  ヘルメット外の情報を聞かれ、無意識に答えてしまった。 「オレ望月、21っす。明日起きられたら、来てます」  雑な自己紹介と責任のない予告を残し、走り去っていった。
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