交差点にて

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 大雨警報の文字が遠くの電光掲示板に表示され、行き交う人で傘を差していない人はいない。例外的なのは黄色い合羽を着ている僕くらいなものだ。  誰も彼も下を見て、自分の家路に急ぐ者ばかりだ。  信号の青い目玉が交差点への突入合図。皆一斉に歩き出し、道路を埋め尽くす。ざあざあと降りしきる強い雨はいよいよ人の視覚と聴覚を奪う。  そんな中、一人の女性に僕の視線は釘付けになった。  濡れそぼった真っ黒な長い髪を揺らして、まるで踊るようにそこにいた。喪服を思わせるような黒のトップスと、同じく黒のロングスカート。そこからスラリと白い手足が伸びていて、スカートの裾など掴みながら、まるで辺りに誰もいないかのようにくるくると回っている。  驚くべき事に、彼女は素足であった。ぱちゃぱちゃと音を立てて水たまりを踏み、あるいは爪先立ちでくるり。それに合わせて髪もふわり。  こんな所でこんな事をしている人は、一体どんな顔をしているのだろう。そう思った僕が彼女の顔を見てまた息を飲んだ。真っ白い顔色と真っ黒い顔の隙間から覗く瞳は、青く宝石のように輝いていた。無表情で、さも当然のようにその場で回っている。  僕が見とれていると、信号が点滅を始める。彼女に見とれていた観衆達も早足に信号を渡りきる。僕も急いで渡る。  渡りきって、交差点の真ん中の彼女を振り返る。そこには赤信号になった誰もいない交差点があるだけだった。  それから何度もその道を通るたび、彼女の姿を探す。雨の日も晴れの日も、雪も風も関係なく。  どうしてって言われると答えられないけど、ただもう一度彼女の姿を見たいというだけ。 何故あんな土砂降りの日に、裸足で交差点にいたのか。へいちゃらな顔をして、静かにくるくると回っていたのか。気になって仕方がなかった。  そしてあの青い瞳。宝石のようにキラキラとしていて、僕の心はすっかり吸い込まれてしまっていた。  もう一度会ってみたい。  そう願っても、何十年経っても、叶う事はなかった。  ただ一瞬交わっただけの、他人の人生。それだけだったんだ。  今日も僕は、あの信号を渡る。白と黒のストライプ、そして交差点へ入る為の青信号の合図。彼女の事を思い出しながら、今日こそ会えるんじゃないかと淡い期待を持ちながら、生きている。
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