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だが三年が過ぎたところでTにこう切り出された。「もうやめた方がいい」と。バーナーをおろし「どうして」と尋ねると「君には無理だ」と端的に返された。「いや、人間には無理なんだ。前にも言ったけどね」
この頃のTはガラスペン作家として一躍有名人になっていた。Tの生み出すペンは、高いものだと数十万円で取引きされ、この工房を訪ねてくる人間も指数的に増えていた。
「……そう。私がここにいると邪魔なのね。ごめんなさい。出ていきます」
厚手の手袋と制作中だったガラスペンを机に置き、立ち上がる。私がいてはTは新たな弟子をとることもできない。だがTは「違う」と怒ったように私を引き留めた。
「君のその雨音への執着は一体何なんだ。ほとんど休みもとらず、朝から晩まで」
「執着?」
思わず平手で机を叩いた。
「そんな俗人めいた言葉を私に使わないで」
二人きりの工房に嫌な音が響いた。古い机のきしむ音と、中途半端に溶かされたガラス棒が落ちて割れる音が。しかし、まなじりをあげた私に対し、Tは冷静だった。
「執着も度を過ぎると自らを傷つける行為にしかならない」
「だから……!」
「雨は今も外で降っている。耳をすまさなくても聴こえるほどに。なのにどうしてあの音をペンに閉じ込める必要があるんだ」
確かに今日は朝から雨が降っている。と、いうか。この地には一年の半分は雨が降る。雨は決して珍しいものではない。
だがそういうことではないのだ。
「……あなたにはわからないわ」
Tの瞳をじっと見つめる。
「この強い衝動がどこから来たのかなんて、そんなことには興味ないの。根源を探ることには意味がないのよ」
「僕には君のことがわからないよ」
「わかってもらう必要なんてない。私にだってわからないのだから」
この衝動は私が物心ついたときには宿っていた。
「だったら僕はどうしたらいいんだ」
「だからどうもしなくていいのよ」
親ですら私を狂人のように扱ってきたのだから。
「でも僕はそうやって心身をすり減らしていく君を見るのが辛いんだ」
「わかりました。やっぱりここを出ていきます」
「だから……! そういうことじゃないんだ……!」
Tが頭を乱暴にかきむしった。その手が頭頂部から顔へと降り、やがて指の隙間から濡れた瞳が現れた。見つめられた瞬間、はっとした。それは毎日鏡の中で見る私の瞳そのものだったからだ。
「僕では……僕の作るペンでは君は満たされないのか……?」
静かに、ふり絞るように発せられた声。その声にも私はTの真意を感じ取った。
「……どうしてもダメなのか?」
「ごめんなさい」
視線を振り切るように首を振る。
「妥協できるほどやさしい願望ではないの」
私が初めてTという人間の真相に触れ、共感したこの日。私はTに永遠の別れを告げた。
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