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11.雨がつれてきた赤い傘(佐藤健太)
あれから未来ちゃんへの思いとしっかりと向き合えないまま、時間だけが過ぎていった。
(どうすればいいんだ…)
健太は、問題を先伸ばしている事で胸が痛んだが、それでもやはり自分の中のはっきりと結論を出す事が出来ずにいた。
そんな中、あの日はやってきた。
その日は、空が久しぶりに青く澄み渡っていた。
雲一つない青空にどこか後ろめたい思いを抱きながら健太は、仕事へと向かった。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよう」
店に着いた健太はマスターと奥さんに挨拶をすると一緒に開店準備に取りかかった。
「健太さん、おはようございます」
健太が店先を掃除していていると、未来ちゃんが店の前を通りかかった。
「未来ちゃん、おはよう」
健太が挨拶を返すと、未来ちゃんはにこりと微笑みを浮かべながら行ってしまった。
前ならこうやって朝に会えば軽く立ち話をする事もあったが、あの日以降、未来ちゃんと健太はこうやって挨拶をかわすぐらいしか関わりがない。
でも、こんな挨拶をかわすだけの関係だが、どんなに細くてもまだ未来ちゃんと縁が繋がっている事に健太は悲しくも喜んでしまっていた。
(今は少し寂しいけど、これでいいんだよな。やっぱり自分の中でしっかりと結論が出るまでは、しょうがない。結論が出て、初めて未来ちゃんの気持ちとちゃんと向き合えるんだから…)
だからこそしっかり考えなくてはいけないんだと、健太はおのれに言い聞かせた。
やがて、あれほど晴れていた天候が崩れ始めたのは、お昼をだいぶ過ぎた頃だった。
「健太君、雨が降りそうだからひとまず外の立て看板を中に入れておいてくれますか?」
「分かりました」
健太は、外に出していたメニューの立て看板を中に入れる為に外に出た。空を見上げるといつの間にか朝の面影がなく黒い雲が空を覆っていた。
「これは、一気に降り始めるかな…」
そんな健太の予想は見事に当たり、店内へと立て看板を入れしばらくすると、お店の窓を強く打ち付けるほどの強い雨音が店内に響いた。やがて、何人かのお客さんが慌てて店内に駆け込んできた。
「大丈夫ですか?」
「すみません、ありがとうございます」
入ってきたお客さんはやはりずぶ濡れで、お店にあるタオルを貸すことにした。
「すぐやみますかね?」
先ほど駆け込んできたお客さんに注文のコーヒーを持って行くとふいに尋ねられた。
「どうですかね?」
健太が様子を確認する為に外を見ると、窓の向こうにいる赤い傘をさした後ろ姿が目に入った。
そして、何故か健太はその後ろ姿から目が話せなかった。
「すみません。突然聞かれても困りますよね」
健太が、外を見て固まっているのに気がついたお客さんは、健太が返事に困って固まっていると思ったのか、申し訳なさそうに謝ってきた。
「あっ、いや、そう言うわけではないんですが…」
健太が慌てて返事をすると、店内の別の場所から声がした。
「お客さん、心配いらないよ。そこの健太は晴れ男だから、すぐに晴れてくるよ」
気まずい雰囲気を変えてくれたのは常連のおじさんだった。
「そうなんですか?店員さん、晴れ男なんですか?」
期待を込めた目で見られた健太は苦笑いするしかなかった。
「たまたまなだけですよ。今だってまだすごい雨が降っているじゃないですか」
「まあ、確かにそうですね」
健太は、お客さんから濡れたタオルを受けとると、「ゆっくりしていってください」と告げて席を離れた。
健太が窓の外を見ると、まだあの赤い傘が見えていた。
雨は相変わらず強く降っており、あの赤い傘の人も軒下とはいえ雨を防げているとは思えなかった。
そこで健太は、店内の席の空きを確認すると、赤い傘の人に声をかけることに決めた。
健太はドアをあける前に一度深呼吸すると、気持ちを整えた。そして、ドアを開けると、赤い傘に向かって声をかけた。
「良かったら、お店の中に入りませんか?」
すると、赤い傘がこちらを向き、傘の下から綺麗な女性が現れた。その人は、健太を見ると何故かすごい驚いた顔をした。
(どうしたんだろう?俺なんか変な言い方したかな?)
そこで、驚いたまま固まっている女性に健太はもう一度声をかけた。
「そこにいてもきっと濡れてしまうと思いますよ。良かったら中で休んでいかれたらどうですか?」
(まあ、突然知らない男から話しかけられたらビックリするよな…)
俺は、怪しくないですよという気持ちを込めて、できるだけ親しみやすいだろう雰囲気を健太は、必死にだしてみた。すると、そんな健太の様子に、心を許してくれたのか、女性は健太の言葉に答えてくれた。
「すみません。ありがとうございます」
健太は、店の中に入る女性の為にドアを支えた。
すると、健太は、自分の脇を通るその女性の横顔を見た時、何故か胸がギュッとなるのを感じた。
(えっ?なんだ今の…)
その事で今度は健太が一瞬固まってしまったが、我にかえると慌てて、健太は、女性を空いている席へと案内した。
健太は、赤い傘の彼女を空いた席に案内すると、彼女の為にタオルを準備するべくカウンターに急いだ。
「マスター、乾いたタオルってまだありますか?」
「もしかして、今入ってきた女性の分かい?実は、予備の綺麗なタオルはもう全部お客様に貸しちゃったから乾いているものがないんだよ」
「そんな…」
俺は、彼女の方を見た。彼女は、自分のタオルで髪や体を一生懸命拭いていたが、やはりそのタオルはもう給水出来ないほどに濡れているように見えた。
(どうしよう…。あ!そうだ)
健太は、持ってきたカバンの中に入れっぱなしなっている未開封のタオルの存在を思い出した。それは、福引きでこの前当たった末当の景品だった。
しかし、まさかこんな時に役立つとは。健太は、急いでバックヤードに向かうとバックからその新品のタオルを持ってきた。そして、向かおうとした時、彼女は手が冷たくなってしまったのか自分の手に息を吹き掛けているのが見えた。そこで、俺は進む足を止め、またカウンターに戻った。
「すみません、マスター。ホットを1つ入れてもらえますか?代金は俺が払います」
「健太君が?どうかしたの?」
マスターが不思議そうな顔をした。
「さっきの彼女、濡れて寒いみたいなんです」
「確かに、かなり濡れちゃったみたいだね」
「そうなんです。それに実は、彼女にさっき声をかけて、俺が無理やり店に招き入れたんです。だから、せめて温かい飲み物でもと思って」
「なるほど、そうだったのですか。では、代金は頂かなくていいから、あの女性に健太君の入れたコーヒーを持っていくのはどうですか?」
「えっ俺がですか?いや、でも俺はまだ、練習中で…」
「大丈夫ですよ。それに、おかしなところがあればすぐに言いますから」
(確かに、いろいろマスターに教えてもらって練習はしているけど)
「どうしますか?やっぱり無理かな?」
「いや、やらせてください」
俺は、緊張しながら彼女の為にコーヒーを入れた。そして、そのコーヒーとタオルを持つと彼女の元へと向かった。
彼女は自分のタオルでまだ髪を拭いていたがやっぱりタオルはかなり濡れていた。
「そのタオル、もしかしてもう濡れてしまって役に立たないんじゃないですか?」
俺は、私にホットコーヒーとタオルを彼女の前に置いた。
「あの、これは?」
彼女は突然目の前に置かれた物に驚いたようで戸惑いの表情で俺を見た。
「タオルはみなさんに渡していますから気にしないでください。あと、コーヒーはサービスです」
俺は、最後の言葉は内緒話をするような小さな声で言った。すると、彼女は慌ててお金を払うと言った。
(ヤバい、余計気を使わせちゃったかな。それなら…)
俺は、テーブルの近くにしゃがんだ。
「実は、今マスターにコーヒーの入れ方とか習っていて、目下練習中なんです。そして、実はこのコーヒーは俺が入れたやつなんです。もし良かったら試飲に協力してもらえますか?是非、意見聞かせてください」
彼女は、最初キョトンとした顔をして俺を見ていたが、やがて納得したように頷いた。
「分かりました。でも、私はコーヒーにはうるさいですよ」
そう言って微笑む彼女に、俺は一瞬、心を奪われた。
(おかしいな…。いったい今日の俺は、どうしたんだ)
突然の事で驚いたが、慌てて健太は、言葉を返した。
「どうぞ忌憚のないご意見をお願いします」
健太がかしこまったお辞儀すると、彼女は控えめながらも声を出して笑った。
「健太君、ちょっといいかな」
彼女と話をしていると、突然、マスターに呼ばれた。
「すみません。では、ごゆっくり」
健太は慌てて彼女に挨拶をすると、マスターの所に向かおうとした。その時、視界に彼女の驚くような表情が視界に入った。でも、健太は、彼女にその表情の意味を尋ねる事ことは出来なかった。
健太がカウンターにいくと、マスターが遠慮がちに尋ねてきた。
「健太君、あの人はもしかして昔の知り合いなの?」
「いえ、初めていらっしゃった方です。どうしてですか?」
「何となく二人を見ていたが、気心を知った友人のように見えたからね。もしかして何か思い出したのかなと思って」
「残念ながら、何も」
健太が首を横に振ると、マスターは複雑そうな表情をした。やがて健太は視線をマスターから彼女へと移した。すると、彼女は、ミルクと砂糖をコーヒーにいれて飲む所だった。
なぜだろう。健太はそんな彼女の様子に違和感といはうからしくないと思ってしまった。健太は、一瞬自分の中に浮かんだ考えに驚いてしまった。
(初めてあった人なのに、この感覚はなんだろう)
しばらくすると、彼女は、コーヒーを飲み終わったのか外をボーッと見ていた。
「雨、なかなか止まないですね」
健太は、彼女の元へと行くと声をかけた。
「そうですね」
彼女は、一瞬俺の顔を見たが、また視線を外に戻した。そんな彼女の姿がどこか寂しそうに見えて、健太は元気付けようともう一度彼女き声をかけた。
「でも、安心してください。もう晴れると思いますよ」
「そうなんですか?」
やっぱり彼女の声は力なさげで視線は外を見たままだった。
「俺、晴れ男なんです」
彼女は俺の言葉に驚いたのか突然振り向いた。
「あの、あなたは晴れ男なんですか…?」
「たまたまかも知れないですが、意外と天気に恵まれていて。だから、安心してください。憂鬱な黒い雲なんて吹き飛ばして見せますから」
彼女に元気になって貰おうと、俺がそう言って胸を張ると、何故か彼女の顔が健太の気持ちとはうらはらに少し陰った気がした。
(あれ?何でだ?)
健太は、彼女の予想外の反応に本当に困ってしまった。
「雨はやっぱり嫌いですか?」
すると彼女が、少し寂しそうに健太に尋ねてきた。
(彼女は雨が好きなのかな?でも、さっき外を見ていた目はどこか寂しげだった)
「う~ん、正直あまり好きでは無いかも知れません。やっぱり晴れている方が気持ちいいと思いますし。実は、雨の日は頭痛が出たりするので苦手で」
健太は、素直な気持ちを彼女に伝えた。すると、彼女はそうですよねと答えると下を向いてしまった。
「すみません、俺、何か…」
「本当に大丈夫ですから」
彼女は健太の言葉にかぶすように言うと、もう目を合わせてはくれなかった。
帰り際に彼女は、借りたタオルを洗濯してから返したいと言ってくれた。俺がそのままで大丈夫だと言ったが彼女は頑なに納得しなかった。そして、何回もそんなやり取りをしていると、美味しいコーヒーをサービスで頂いたからそこはちゃんとしたいと言ってくれた。
そこで彼女には、来週土曜日にタオルを持ってもう一度お店に来てもらうと言う事で話がついた。
では、お待ちしていますと俺が彼女に言うと彼女も最後に笑顔を返してくれた。
彼女が出ていったドアを見つめているとマスターに声をかけられた。
「健太君?」
「あっ、はい!」
健太は、慌ててカウンターに急いだ。
「どうかした?」
「いえ、何でもありません」
「そう?それなら、もしかして健太君はさっきの彼女にひとめぼれでもしたのかな?」
「そんなわけないじゃないですか」
マスターにからかわれた健太は必死に否定したが、彼女を前にして不思議な気持ちになったのは確かだった。健太が彼女に抱いた感情の意味は正直わからないが、何故か彼女を見た瞬間に、健太に彼女を守ってあげなければと言う思いが生まれたのは本当だった。
そして、健太が彼女のカップを片付けながら窓越しに見た空は、綺麗なスカイブルーの青空が少しずつ顔を見せ始めていた。
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