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10.生まれる思い(佐藤健太)
今だに笑っている未来ちゃんを、健太は呆れるように見つめた。
「未来ちゃん…」
「ごめんなさい。あっ!そう言えば健太さんは今日はお仕事お休みだったんですよね?どこかお出かけしてたんですか?」
「あー、うん。ちょっと近くの公園を散歩をしてきたんだ」
「散歩ですか?何で雨の中わざわざ公園を散歩してたんですか?」
まだ、笑いすぎて目に涙を浮かべている未来ちゃんが健太に聞いてきた。
「いや写真を撮る時は、まだ雨降って無かったんだよ。撮り始めてから降りだしてきて途中で帰ってきたんだ」
「写真?なんの写真撮りにいったんですか?」
「これだよ」
健太は、未来ちゃんに今日撮った写真を見せた。
「正直言っていいよ。下手だろう」
「うーん、私は、写真は良く分からないからな」
そう言いながらも、ちょっと困った表情した未来ちゃんを見て健太は笑った。
「未来ちゃん、正直すぎ。答えが表情に表れてるからね」
健太が言うと慌てて自分の顔を触る未来ちゃんを見て、また笑ってしまった。
「健太さんも笑いすぎです」
「ごめん」
未来ちゃんはちょっと膨れっ面をして健太を見た。
「私、健太さんが写真が趣味だなんて知りませんでした。最近始めたんですか?」
「趣味って言うか、願掛けかな」
「願掛け?」
「うん、このカメラは倒れていた場所に残されていた俺の荷物だったんだ」
健太は、未来ちゃんにカメラをもう一度見せた。そして、記憶を失う前の自分はどうやら写真が趣味だったようだと話した。なぜなら、カメラに残っていた写真はどれも美しくて、写真の腕はかなり良かったようだということも。
「だから、いつか昔の自分みたいな写真が撮れたら記憶が戻るような気がしてね」
健太が、そう言うと未来ちゃんは少し寂しそうな顔をした。
「未来ちゃん、どうかした?」
「健太さんはやっぱり過去を思い出したいですか?」
未来ちゃんからの想定外の質問に健太は驚いた。
「え?うん、やっぱり気になるかな」
「そうですか…」
なぜか、未来ちゃんの声のトーンをますます落とした。
「どうしたの?俺、何か変な事言ったかな?」
健太の言葉に未来ちゃんは首を横に振った。
「もし、健太さんが過去を思い出したらここから居なくなっちゃうのかなと思って…」
未来ちゃんは、傘で顔を隠すようにしながら言った。
「いなくならないよ。例え、過去を思い出してもここにいるつもりだよ。マスターやここにいる人にはたくさんお世話になったしさ」
健太は未来ちゃんが言った事を否定したが、未来ちゃんは、すっかり足を止めて、立ち止まってしまった。
「どうしたの?今日の未来ちゃん、ちょっとおかしいよ。何かあった?」
健太は、傘の中を覗きこむようにした。すると、未来ちゃんはゆっくり傘をあげると健太を見た。
「私、健太さんが好きなんです」
傘の中から現れた未来ちゃんの目にはさっきとは違う涙が溢れていた。
「でも、健太さんが過去を思い出したらって思うと不安で…。だって、その記憶の中にもし愛する人がいたら、きっと健太さんはその人の所に行ってしまうでしょ」
「それは…」
健太は、未来ちゃんの言葉に何も言えなかった。そんな健太を見て未来ちゃんはまた悲しい顔をした。
「ごめんなさい。私、先に帰りますね」
そう言うと、未来ちゃんは雨の中走って行ってしまった。
健太は、家に帰るとテーブルにカメラを置き、ソファーに座った。
あの時、涙をたくさん浮かべた未来ちゃんを見て、健太は彼女を抱き締めてあげたいと思った。でも、実際には出来なかった。
記憶を無くしてから気がつけば数年がたっていた。
振り返ってみれば、健太は未来ちゃんの太陽のような明るく元気な笑顔にたくさん癒されていた。
そして今日まで、健太は、はっきりと自覚してはいなかったが、今なら分かる。
(俺もまた彼女に好意をもっている。でも、…)
健太はソファーから立ち、引き出しに仕舞ってある写真を手に取った。それは、あのスカイブルーの傘をさした女性の後ろ姿が写った写真だ。
(もしこの写真の彼女を過去の自分は愛し、そして彼女がまだ俺を待っていたとしたら…。いや、もし写真の彼女と既に家族となっていたら…。俺は過去を思い出した時、この気持ちはどうすればいいのだろう)
健太は、未来ちゃんに対して自覚してしまったこの思いをどうしたらいいのか正直分からずにいた。そして、結局結論が出ないまま、健太は、写真をまた引き出しへと戻した。
降りだした雨は、ますます強くなり、部屋の窓を激しく打ち付け始めた。そして、その音は静かな部屋に響き渡り、まるでその音は優柔不断な健太の心を責めるようで、健太は自分で耳をふさいだ。
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