14.ごまかせないこの気持ち(篠原花菜)

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14.ごまかせないこの気持ち(篠原花菜)

 あの日から、花菜は、毎週土曜日に喫茶店を訪れるようになった。 「こんにちは」 「篠原さん、いらっしゃい」    花菜が店のドアを開けると、マスターが花菜に声をかけた。花菜がいつもの定位置のカウンターの端に座ると、健太がやってきた。 「篠原さん、いらっしゃい。いつもので大丈夫?」 「うん、お願いします」  花菜が行く時間帯は、だいたいランチで混む少しまえだった。そして、コーヒーを一杯だけ飲んで、花菜は帰るのだった。  花菜がその時間を選ぶのには、理由がある。それは、その時間は、店が比較的空いている事もあり、花菜は健太と会話を楽しむ事が出来るからだ。  花菜は、話題が尽きない健太との会話はとっても楽しんでいた。それに彼が修哉ではないと頭では分かっているが、花菜は健太との会話がまるで修哉と話しているようなどこか懐かしい不思議な気持ちになった。  そして、梅雨が終わり眩しいくらいの夏がやってきた頃には、花菜達の関係は、知り合いから仲が良い友人と呼べるくらいに格上げされていた。  健太との会話を楽しみながら、花菜はつい考えてしまう。 (こんな感じがいつまでも続けばいいのに…)  でも、そんなある日、健太からの提案に花菜は戸惑いを隠せなかった。それは、名字で呼ぶのをやめて下の名前で呼びあわないかと健太から提案された時だった。 「俺の事、みんな下の名前で呼んでるから、良かったら篠原さんも下の名前で呼んでほしいな。友達なんだし、そろそろ互いに下の名前で呼ぶのはどうかな?ずっと名字で呼ばれているとなんか他人行儀な気がしてさ」 「ごめんなさい。まだ、私はお互い名字がいいかな。それに、私が佐藤さんの下の名前で呼んでたら佐藤さんの思い人に変な誤解されちゃうかもしれないし、困るでしょ」  花菜は、素直に頷けなかった。なぜなら、あの人に似た彼に名前を呼ばれたら、きっと勘違いしてしまうのではないかと花菜が怖くなったからだ。それに、花菜は、彼には大切な思い人がいるのを知っている。  彼から、未来ちゃんの話を聞いた時、花菜は少し胸が傷んだ。この胸の痛みが何なのか花菜は一瞬考えたが、すぐに考えるのをやめた。なぜたら、花菜にとって健太は気の合う友人のはずだから。それに、彼が心から未来ちゃんを好きなんだとわかっていたし、大切な友達なら応援してあげようと花菜は心に決めた。  だから、うじうじと悩む彼に花菜は、早く告白した方がいいと背中を押した。  花菜のように突然好きな人がいなくなることはそうそう無いかもしれないが、この先何が起こるか分からない。伝えたい気持ちがあって相手が近くにいるなら絶対に伝えた方がいい。自分のように引きずるようになってはいけないと。  それは、花菜の本当の気持ちだった。  今だって、花菜は分かっていた。本当なら、修哉から卒業する為にはここに来てはいけないのだろう。  でも、花菜には出来なかった。健太にこうやって会いにきては、彼に修哉の面影を探してしまう。 「告白する日は決まったの?」 「来月の未来ちゃんの誕生日にしようかなって思ってる」 「そっか。頑張ってね」   だから、花菜は彼の恋を応援する事でしっかりと線引きが出来ているつもりになっていた。  その日も花菜は喫茶店に向かって歩いていた。まさに喫茶店に入ろうとした時、突然花菜は腕を捕まれた。驚いて振り向くと、そこには、爽太がいた。 「爽太、どうしてここにいるの?」 「それはこっちのセリフだよ。たまたま先週、花菜を見かけて声をかけようとしたら喫茶店に入るのを見かけてさ。今週も、もしかしてと思って来てみれば…。もしかして、最近ランチに誘っても断れていたのはここに来ているからか?」 「あー、ここのコーヒーが美味しくてね。だから、よく飲みにきていただけだよ。でも今日はやめとこうかな。そうだ、一緒にどこかでランチしようか」  花菜の言葉に、爽太は花菜をじっと見つめた。 「爽太、どうしたの?行こう?」  「一緒に入るよ」 「え?」 「俺もこの店に入る。それとも、俺はここに来ちゃ駄目だったか?」 「そんな事はないけど…」  花菜の返事を聞くと、爽太が喫茶店のドアを開けたので、促されるように花菜は店内へと向かった。 「いらっしゃい。いつもの席空いてるよ」  カウンターの向こうからマスターが声をかけてくれた。花菜は、とぼとぼといつもの席へと向かった。花菜と爽太が席に着くと、健太が水を持ってきてくれた。 「いらっしゃいませ」  水を置く健太の顔を見て、爽太が驚いて固まっているのが分かった。  花菜は爽太に修哉の写真を見せた事があった。だからきっと、健太を見て驚いているんだろうと花菜は思った。だって、あまりにも修哉と健太は似ているから。 「何か?」  健太が凝視する爽太に戸惑っているのが花菜には分かった。もう、限界だった。 「佐藤さん、ごめんなさい。今日は帰ります」 「え…?」 「爽太、行こう」  花菜は、爽太の手を引くと店を出た。  店を出てしばらく歩くと、花菜はようやくその手を離した。すると、今度は、爽太が花菜を問い詰めた。 「花菜、説明して。さっきのは行方不明の元彼?」 「違う。あの人は佐藤健太さんって言って別人よ」 「じゃあ、何であそこに通っているんだ?」 「それは…」  花菜には、答えられなかった。 「彼が好きなのか?」 「違う。彼とは友達なの。それに彼には好きな人がいるから。私は彼を応援してるし」  花菜の答えに爽太はため息をついた。 「元カレに似た友達の恋愛を応援してるって?本気で言ってる?」 「本当だよ。彼には上手くいってもらいたいって思ってる」 「ねえ、花菜。花菜は、元カレの事乗り越えるって言ってなかったか?あそこに通っていて本当に出来る?」  花菜はまたはっきりと答えられなかった。 「きっと、もっと辛くなると思うよ、俺は」 「分かってる…」  家に帰って携帯を見ると、健太からメッセージが届いていた。 『今日はどうしたの?大丈夫?』  メッセージを読んだ時、優しい笑顔が浮かんだ。でも、それが健太なのか、それとも修哉なのか花菜には分からなくなっていた。 (やっぱり、無理だ) 『今日はごめんなさい。大丈夫だから気にしないで。あと、しばらく忙しくてお店には行けそうにないかな。ごめんね』 『分かった。落ち着いたらまた遊びにきて』 『うん、ありがとう。あと、告白頑張ってね』  そして、頑張れと言う意味のスタンプを送った。 『ありがとう。頑張るよ』  健太のメッセージを読むと、花菜は携帯の画面を暗くした。 「もう、彼には会っては駄目だよね…」  呟いた花菜の目には涙が浮かんでいた。
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