7.失った記憶(佐藤健太)

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7.失った記憶(佐藤健太)

「健太君、これ一番のテーブルに持っていって」 「はい、分かりました」 「いらっしゃいませ。こちらの席でいかがですか?」  ここは、町にある小さな喫茶店だ。そこで一人の男性が働いていた。  彼の名前は、佐藤健太(仮名)  何故(仮名)かと言えば、健太にはここで働き始めるきっかけとなった出来事があるのだが、それより前の記憶がないのだ。つまり、彼は記憶喪失だった。  ある日、彼は喫茶店からさほど離れていない公園で、1人倒れていた。そして、そこを喫茶店のマスターに発見されたのだった。直前まで雨が降っていた事もあり、彼は足を滑らせ頭を打ったのだろうと思われた。 「ちょっと、君!大丈夫!?」  彼の一番古い記憶は、一人の男性が声をあげ、倒れている自分にかけよってきてくれるものだった。その男性とは、今、彼が働いている喫茶店のマスターである。  倒れている彼を見つけた喫茶店のマスターは、すぐに救急車を呼んでくれた。そして、彼とともに救急者に載り、病院に一緒に行ってくれた。そして彼は、頭を打ったこと以外にも低体温症を起こしており、数日間病院に入院する事になった。  目覚めた彼の目に一番最初に映ったのは、見知らない天井だった。  彼のうめき声に気がついた看護師が彼に声をかけた。 「目を覚まされましたか?」 「あの、ここは?」 「ここは、病院です。すぐに先生をよびますね」  看護師は、医師を連れて戻ってきた。 「俺は、どうしてここにいるんですか?」  戸惑う彼に、医師は優しく答えてくれた。 「あなたは、公園で倒れているところを発見されたんですよ」 「公園…」 「多分、転んで頭を打って気を失っていたのだと思われます。必要と思われる検査はしています。今のところ大きな怪我は見られませんが、念のため数日間入院していただきます」 「そうですか…」 「倒れた時に頭以外にも体のいろんな箇所もぶつけているので、しばらく痛むかと思いますが、その他に体調に何か変化あれば必ず言ってください」 「分かりました」 「では、入院に関しては看護師に引き継ぎますね。何か質問は、ありますか」 「あの…」  そう言うと、彼は目を泳がせた。 「どうかしましたか?」 「俺、思い出せないんです」 「思い出せない…?」 「あの、俺って誰ですか…?」  病院で目を覚ました彼は、頭を打った後遺症か、名前を含め、あの公園にくるまでのすべての記憶を無くしていた。あの日、彼が倒れていた近くには、傘などいくつかの彼のものと思われる持ち物が落ちていた。  しかし、彼の身元が分かるものはなかった。  入院中、大きな体調の変化も起きる事なく退院の日が近づいていた。そして、そんな彼には一つの問題があった。記憶が戻らない中、彼には体がよくなった後、行く場所が無かった。 「どうしよう…。しかも入院費や治療費だってどうかしないといけないのに…」  彼が悩んでいると、彼を見舞う為に一人の男性がやってきた。それは、あの日彼を助けてくれた喫茶店のマスターだった。彼は、記憶を無くした彼を心配して何度も見舞いに来てくれていた。 「何をそんなに唸っているの?」  優しいマスターの声に、彼は不安のたねについて話した。 「退院してからどうすればいいか不安で…」 「なんだ。それならしばらくうちにくればいいよ」  正体不明の彼を喫茶店のマスターは、自分が彼を見つけたのも何かの縁だからと記憶が戻るまで自分の所に来たらいいと提案してくれた。 「そんなの申し訳ないです」 「大丈夫だよ。気にする事ないよ」 「でも…」 「だったらさ。君の体調が良くなったらうちの喫茶店で働いてくれるかな」 「いいんですか?それこそ迷惑じゃ」 「喫茶店は夫婦で営んでいるだけどさ、年齢的にも少しだけきつくなってきてね。新しくアルバイトを雇おうか悩んでいたから、君が働いてくれたら私も嬉しいよ。それに、君は、病院代も払わないといけないんでしょ」 「はい、そうです…」 「じゃあ、決まりね」  マスターは、優しく笑って言った。マスターは、住む場所だけでなく、元気になった後の仕事にマスターの喫茶店で働くのを提案してくれた。  そんなマスターの優しさに彼は泣いてしまった。  こうして、退院後、彼はマスターの所に身を寄せる事になった。彼の名前「佐藤健太」は、マスターがつけてくれた。マスター夫妻には子供がおらず、もし男の子がいたら『健太』という名前をつけたかったのだと恥ずかしそうに彼に教えてくれた。  こうして彼は、まっさらなページに佐藤健太としての人生を新しく書き始める事になった。  あれから健太が、記憶を無くしてからかなりたつが、いまだに何も思い出せずにいた。健太は、あれからあの倒れていた公園に何回も足を運んだがやっぱり何も思い出せなかった。  そして、今日も健太は、公園にやってきていた。あの日と同じように雨上がりの公園を歩いてみたが、やはり何も思い出せないでいた。 「俺は、どこからここにやってきたのだろう…」  昔の記憶は無かったが、新しい記憶が少しずつずつ増えていくたびに空虚だった健太の心も少しずつ癒されて行った。  でも、何故か雨が降るたびに健太は胸が苦しくなった。その原因が分からず、健太はただ雨粒が落ちてくる空を見上げるしか無かった。
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