雨音

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 どうぞ、ご遠慮なく。もう一杯いかがですか?ええ、どうぞどうぞ。なにしろ、こんな山の中ですから、碌なおもてなしも出来なくて、すみません。本当に、こんな地酒くらいしかお出しするものが無いんですよ。いえいえ、困った時はお互い様ですから。こんな山道で急にパンクなんてねえ。それもタイヤ二本も、本当についてないですね。道路に古釘が落ちてたんですか?無責任な奴がいるもんですね。大方、産廃を積んだトラックかなんかが通過してったんでしょうか。  まあ、一晩ここでゆっくりされていってください。明日の朝にはタイヤを調達出来ると思います。いえいえ、本当にお気になさらず。こちらも、たまに村の外の人とお話しするのは、楽しみなんですよ。   ああ、雨が降り出したようですね。微かに雨音が聴こえてきましたよ。ほら、聴こえません?ええ、地元の人間ならすぐ分かるんです。ねえ、やっぱり、一泊された方がよかったでしょ?ここんとこ、連日のように結構な雨振りなんですよ。いえいえ、命の恩人なんて、そんなおおげさな、アハハ。どうぞ、ゆっくりされていってください。  この辺りの伝承?はあ、民俗学にご興味があるんですか。なるほど。それで旅行に出られると、それぞれの土地の民話や伝承を聴いて回っておられる?なるほど、それはなかなか良い趣味をお持ちで。そうですか。それでこの土地の伝承は何かないかということですね。そうですね……伝承と言えば、一つ知ってはいますが、お眼鏡にかなうかどうか……まあ、隠すほどの話でもないので、それではお話しします。ああ、あまり期待しないでくださいね。多分そんなに面白くないと思いますので。  もう、何百年も前のことですが、ここら一帯が日照りに襲われましてね。もう、何か月も一滴の雨も降らない。当然、田んぼも畑もひびわれて、何の作物も出来ない。飲み水にも事欠くようになり、次々に人は死んでいった。昔は干ばつと言ったら、本当に死活問題でしたからね。  ああ、聴こえてきましたか?ね、聴こえるでしょう?そうですね。少し、雨音が大きくなったみたいですね。  それでね、追い詰められた村人は村の神主さんを通じて、水神様に祈りを捧げた。その結果、ご託宣が下り、村人の中から犠牲の人柱を立てることになった。昔は実際に人命を差し出すことは、普通に行われていたんですよね。山の向こうに鎮座する水神様に生贄を差し出せば、雨を降らせてやる、とのお告げに従って、村人から一人の若者が選ばれ、生贄に差し出された。すると、たちまち雨雲がこの村を覆いはじめ、村一帯に恵みの雨が降り始めた。水神様が祈りを聴いてくれたわけです。  水神様のおかげで、この村はずっと水に不自由することはなくなりました。ところが、その後も、水神様は生贄をお求めになりました。そうしないと、今度は何日も大雨を降らせ、山崩れや洪水といった、災いを起こされるようになりました。それ以来、この村では大雨が続くと、水神様が怒っておられると判断して、急いで生贄を捧げるようになったということです……。  かなり、雨音が大きくなってきましたね。ほら、すごい音でしょう。  これね、実は雨雲から降っている雨量はあまり変わらないんですよ。雨量がだんだん増えているわけじゃないんです。どういうことか分かりますか?  そう、近づいてきてるんですよ。  大きな雨雲の塊が、向こうの山の向こうから、だんだんこちらに近づいてきたんですよ。今では、もうこの村の真上まで来て、すっぽり包んでいます。ああ、大丈夫ですよ。この村ではもう、何百年に亘って、洪水は起きていませんから。ええ。だってこの村は水神様のご加護が……あれ、もしもし、眠いんですか?もしもし?  まあ、昼間の疲れが出たんでしょうかね。ふふ。もう、ぐっすりお休みのようですね。じゃ、起こすのもお気の毒ですから、このままお運びしましょうかね……  もしもし、井上さん?山本です。うん、”お客さん”はぐっすり寝ちゃいましたよ。ええ。まあ、酒に眠剤も入れておいたしね、へへ。それじゃ、若い衆をよこしてください、うん、2人もいりゃ、十分でしょ。はい、それじゃよろしく。 [了]
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