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はい、あーん。
白い皮にほんのり淡い薄紅の色をのせた甘ぁい桃饅頭。それをつまんで皇帝の口もとへと差し出した私の前で、ぐらくら煮え立つ麻婆豆腐の鉄板を持った賢妃が、その鉄板を床に投げつけた。
「主上! もう我慢なりません! 我が辛家(しんけ)の料理を食すことなく膳を下げさせるなど、あんまりではございませんか!」
「お、落ちつけ。辛賢妃。これには深いわけが……」
「いいえ、いいえ! 深いわけがあろうとなかろうと、これは我が辛家に対する愚弄でございます!」
激高した賢妃は誰にも止められない。あぁ〜、熱々の鉄板が大理石にひびをいれていないと良いのだけれど。
私はそんなことを考えながら、無惨に打ち捨てられた麻婆豆腐を見た。口紅のように真っ赤なそれは、食べるのを想像しただけで舌が燃えてしまいそう。
ここは百膳後宮。美食家で健啖家な皇帝(だんなさま)が自分の舌を満足させるために国中より集めた、素晴らしき料理人の集まる花園。
調理や技や皿の魅力、実食の味までを見初められた姫君たちが集められたこの花園で、いつかは起こるだろうと思っていたこの悲劇。
そう、自分の膳が皇帝の前に並べられなくなることに対する抗議の声。
それが今、私の前で起きた。
「辛賢妃、落ち着いてくれ。私の話を聞いてくれ」
「聞いたところで我が料理は食していただけないのでしょう! 私が丹精込めてハバネロなるものを種より育て上げて作り上げましたこの麻婆豆腐すら、食していただけなかったではありませんかっ!」
「うっ、それは……」
しどろもどろになる皇帝陛下。
皇帝陛下の言いたいことはよく分かる。いくら健啖家っていっても、あんな暴力みたいな辛いご飯は食べたくないよねぇ。
私がすまし顔で皇帝と賢妃の修羅場を傍観していると、賢妃が私の方を向く。
「こうなる上は、点貴妃(てんきひ)に妃嬪の地位をかけた百膳遊戯をお挑みいたしますわ!」
賢妃の言葉に、皇帝を含め、この場にいた女官たちが騒然となる。
あらぁ、私巻き込んじゃったか。
私は少しばかり困った顔をつくって、賢妃に語りかけた。
「辛賢妃はたしか、この百膳後宮にいらして半年ほどでしたかしら」
「そうですわ。この三ヶ月、いいえ後宮へとあがる以前より、私は己の料理の腕を研鑽してまいりました。そうして百膳遊戯にて勝利を収め、今の地位を頂いております」
なるほど、それは確かにその自信につながるだろう。
百膳遊戯。それはこの百膳後宮で生まれた妃たちの戯れ。
料理を作り、より美味しい方が勝ちになる。下級妃が上級妃になりあがるための、単純明快な下剋上。
もちろん料理の腕だけではなくて、お家の家格も考慮されるから、貴族出身の妃はある一定以上の地位より下に行くことはないけれど。
でも、たしかこの賢妃は、下級貴族の出身であったはず。そんな彼女が賢妃という上級妃にまでのし上がってきたのだから、それは相当な矜持だろう。
それなのに、皇帝は賢妃の食事を食さない。
これは確かに怒髪天ものだ。
私は一つうなずくと、すっと立ち上がった。
美しい絹がさらりとなびく。
「いいでしょう。百膳遊戯、受けて立ちます」
「貴妃……!?」
皇帝が驚いたように私を見上げるけれど、私は微笑んでみせた。
「一等あまぁい点心(おやつ)をお作りいたしますから、お待ちくださいませね」
「きゅん」
皇帝の顔がとろけてしまう。
どんな美味しいものを期待しているのかは分からないけれど、それに答えてあげるのが貴妃である私の努め。
では、いざ尋常に―――百膳遊戯!
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