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やがて、涼夜が立ち止まったかと思うと、そっと床に降ろされた。
そのまま黙って自分の下駄箱まで行き、靴を履き替えていると、
「……怒ってる?ごめん、チカ」
静かに謝られた。
別に怒っていた訳でなく、他の生徒たちからの視線が少し怖かっただけだから、慌てて「怒ってない」と伝える。
「そっか」と少し微笑ったあと、涼夜がまた話しかけてくる。
「ね、チカ」
「なーに?」
「……。俺に言いたいこと、ない?」
「んー。特に、ないよ。なんで?」
「……。雨、苦手でしょ。今も。具合悪いんじゃないの」
「え……」
なんで分かったんだろう。ばれてしまった。心配される。めいわく、かけちゃう。きらわれる。やだ。どうしよう。どうしよう、どうしよう……。
ぐるぐると「どうしよう」ばかりが浮かんできて、頭痛がまた少し酷くなる。いたい。
「千影!」
「っ!なに……」
怒ってる。涼夜が。いつも通りの無表情だけど、滅多にしない名前呼びだし、なんだか、目つきが、怖い。
少し身体が震える。絶対きらわれた。どうしよう。
はああ、と深い溜息をついて涼夜の雰囲気が少し和らぐ。
次いで、正面からそっと肩と腰に腕をまわされた。抱きしめるというよりは緩く、しかし互いの体温が感じられるくらい距離は近く。僕が突っぱねれば簡単に抜け出せるくらいの優しさで。
肩にまわした腕でゆっくりと背中を撫でられる。無意識に固まっていた身体から自然と力が抜けていく。
それを確認して、涼夜は身体を僅かに離して、僕の顔を覗き込みながら話し始めた。
「ね、チカ。雨、苦手なんでしょ。なんで黙ってたの?俺には言いたくなかった?俺には頼れない?」
「違うよ!」
「じゃあなんで」
さっきよりは幾分柔らかいけれど、すべてを見透かすような鋭さを宿した目にじっと見つめられる。
言ってしまって、良いものだろうか。
優しい君に心配されるのが、嫌われるのが、面倒だと離れられるのが、怖かった、なんて。
それだけで嫌ったり離れたりするような人じゃないとわかっているから、そう思ってしまう自分がますます嫌になっていく。
「俺に嫌われるのが、嫌だった……とか?」
「っ!!」
思わず肩をびくつかせると、涼夜が少し嬉しそうにする。けれど直ぐに目線を険しくして、でも少し寂しそうに問い詰めてくる。
「俺がそんなことでチカを嫌いになると思った?俺、そんな風に」
「違う!」
違うよ、と小さく呟く。言葉の続きが、涼夜が今どんな気持ちなのかが分かってしまったから、咄嗟に遮る。
「違うよ。……涼夜がそんなことしないのはわかってるよ。」
そう。嫌というほど知っている。
「涼夜がどれだけ僕を守ってくれてるのか、知ってる。どれだけ大切にしてくれてるか、わかってるよ。」
一度口を開いてしまえば、後は止まらなかった。
学校の玄関でするやり取りじゃないことも、通り過ぎていく生徒達の好奇や嫉妬の視線も、今は気にならない。
「どれだけ一緒にいたと思ってるの。涼夜が僕を大切にしてくれてるように、僕だって涼夜が大切なんだよ?」
一度言葉を切る。
軽く息を吸い込んで、覚悟を決めた。
いつの間にか後ろの廊下は静けさを取り戻し、開いているドアの向こう側で降り続いている雨の音だけが聞こえている。
「嫌われたくない、……離れたくないって思うのは当たり前だよ。僕は、涼夜に心配されるのが……面倒に思われるのが怖かったんだ」
そう、僕は怖かったのだ。面倒だと思われて、嫌われて、涼夜が離れていってしまうことが。優しい彼は、心配こそすれ、絶対にそんなことはしないだろうと理解はしていても、僕は面倒くさい性格だからどうしても不安になってしまう。
「涼夜はそんなことしないって思っても、そう考えたことが涼夜に失礼で申し訳なくてたまらなかったし、こんなに優しくてかっこいいから、ずっと僕のそばにいてくれるのは嬉しいけど、もっとふさわしい人のそばにいた方が、」
いいと思う、という続きは声にならなかった。涼夜に腕を引かれてバランスを崩したから。
無言で抱きしめられる。
最後の方は辛くて涼夜の方をみて話すことが出来なかったけれど、ずっと前から考えていたことだった。
入学してから幾度となく向けられた嫉妬の視線。小さな、けれど地味に傷つく嫌がらせ。中学で慣れたとはいえ、全く気にならないわけじゃない。ちゃんと傷ついたし、ちゃんと痛かった。でも、僕が笑っているから、大したことないと思われる。涼夜が気づいて止めてくれていたけれど、"涼夜の隣にいる水城千影"が邪魔だったのだからあまり意味は無い。それでも恨む気にはならなかったし、離れる気もなかった。
ただ、「地味なくせに」「涼夜くんに釣り合わない」という理由めいた悪口には妙に納得した。
確かに僕は地味だし、涼夜に釣り合っていないとはずっと思っていた。なんで僕が隣にいるんだろう。もっと似合う人はいっぱい居るのに。
でも面と向かって言ってくる人は今までいなかったし、何より涼夜が気にしてなかったから。まあ、いっか、って感じでずっとそばにいた。
でも、最近ずっと言われていたから。「涼夜くんだってきっと面倒だと思ってる」そう言われたから。そんなことないって否定しながら、心のどこかでは「まあそうかもね」って思っていたのかもしれない。
ひどく、疲れた。
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