愛しい人

3/3
前へ
/3ページ
次へ
◆  冬の入り口に差し掛かった頃。  結さんが完成した絵を見せてくれた。 4c75a5fd-3d3d-4831-a324-340e9fe2178b  やっぱり少し美化されている気がするけど。  綺麗に描いてもらえて嬉しかった。 「個展に出すの?」 「いや、出さない」 「どうして」 「この絵は……誰にも見せたくない」 「こんなに良い絵なのに」 「良い絵だからだ」  どういうこと?良い絵なら見て欲しいと思わないのかな。  結さんが指先で絵の中の私の頬を()でた。  (いつく)しむように細められた目。  直接、触れられた訳ではないのに恥ずかしくなる。 「この絵を見たら、皆が蓮の魅力を知ってしまう」 「……大袈裟だなぁ結さんは」 「知っていいのは私だけだ」 「……知りたいの?私のこと」 「当然だろう」  今までの態度からはそんな気持ち、微塵(みじん)も感じられなかったけど。  結さんの指先が、今度は本物の私の頬を撫でる。 「……蓮」  名前を呼ばれただけで心臓が破裂しそうだ。  結さんの顔が目の前に迫る。  私は思わず両手で押し返した。 「……嫌なのか」 「あ……あの、そうじゃなくて!心の準備がまだ、出来てなくて」  早く先に進みたいと思っていたのに。  いざ、そうなると怖い。 「なら待つ。あと何分だ」 「そんな、カップ麺が出来上がるくらいの時間じゃムリ」 「では、明日になれば出来るか」 「それは……」  自分でもわからない。  結さん、黙った。怒ったよね。 「……まあいい。何百年も待たされたんだ。今更あと何年待たされても同じだ」 「……そういうもの?」 「だから気にするな」  申し訳なくて消えてしまいたかった。  でも、結さんが私を女性として見ていたことがわかって安心した。  私の記憶は結さんほど鮮明には残っていない。  それも申し訳なかった。  想いが足りない気がして。  昔の結さんが大好きだったことは覚えてる。  でも何で結ばれなかったのかは覚えてない。  結さんは覚えてるはずなのに教えてくれない。  江戸時代の頃だから身分の違いとかなのかな。  結さんは奥絵師(おくえし)で、きっと私は貧しい民だったんだ。  それに彼には奥さんが居たから。  私の想いは届くはずがなかった。  気づいたら結さんが私を見つめてた。  優しい眼差し。  昔と変わらない。  昔の私もこうして彼に見守られてた。  そして私も。ずっと彼だけを見ていた。  大丈夫。怖くない。 「……結さん」 「ん?」 「……よろしくお願いします」  何て言っていいのか分からなくて、とりあえず頭を下げる。  (にぶ)い結さんに伝わるのか不安だったけど。  結さんは微笑んで、私を抱き寄せた。  数百年分の想いを込めて、交わす口付けは。  甘く甘く、心まで溶け合うようだった。 【 完 】
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加