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◆
冬の入り口に差し掛かった頃。
結さんが完成した絵を見せてくれた。
やっぱり少し美化されている気がするけど。
綺麗に描いてもらえて嬉しかった。
「個展に出すの?」
「いや、出さない」
「どうして」
「この絵は……誰にも見せたくない」
「こんなに良い絵なのに」
「良い絵だからだ」
どういうこと?良い絵なら見て欲しいと思わないのかな。
結さんが指先で絵の中の私の頬を撫でた。
慈しむように細められた目。
直接、触れられた訳ではないのに恥ずかしくなる。
「この絵を見たら、皆が蓮の魅力を知ってしまう」
「……大袈裟だなぁ結さんは」
「知っていいのは私だけだ」
「……知りたいの?私のこと」
「当然だろう」
今までの態度からはそんな気持ち、微塵も感じられなかったけど。
結さんの指先が、今度は本物の私の頬を撫でる。
「……蓮」
名前を呼ばれただけで心臓が破裂しそうだ。
結さんの顔が目の前に迫る。
私は思わず両手で押し返した。
「……嫌なのか」
「あ……あの、そうじゃなくて!心の準備がまだ、出来てなくて」
早く先に進みたいと思っていたのに。
いざ、そうなると怖い。
「なら待つ。あと何分だ」
「そんな、カップ麺が出来上がるくらいの時間じゃムリ」
「では、明日になれば出来るか」
「それは……」
自分でもわからない。
結さん、黙った。怒ったよね。
「……まあいい。何百年も待たされたんだ。今更あと何年待たされても同じだ」
「……そういうもの?」
「だから気にするな」
申し訳なくて消えてしまいたかった。
でも、結さんが私を女性として見ていたことがわかって安心した。
私の記憶は結さんほど鮮明には残っていない。
それも申し訳なかった。
想いが足りない気がして。
昔の結さんが大好きだったことは覚えてる。
でも何で結ばれなかったのかは覚えてない。
結さんは覚えてるはずなのに教えてくれない。
江戸時代の頃だから身分の違いとかなのかな。
結さんは奥絵師で、きっと私は貧しい民だったんだ。
それに彼には奥さんが居たから。
私の想いは届くはずがなかった。
気づいたら結さんが私を見つめてた。
優しい眼差し。
昔と変わらない。
昔の私もこうして彼に見守られてた。
そして私も。ずっと彼だけを見ていた。
大丈夫。怖くない。
「……結さん」
「ん?」
「……よろしくお願いします」
何て言っていいのか分からなくて、とりあえず頭を下げる。
鈍い結さんに伝わるのか不安だったけど。
結さんは微笑んで、私を抱き寄せた。
数百年分の想いを込めて、交わす口付けは。
甘く甘く、心まで溶け合うようだった。
【 完 】
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