時計職人

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時計職人

「ぎゃああああっ!」 「叫びたいのはこっちだが」 落ち着いた声の主が、眼鏡をずらして顔を近づけてくる。 ここの持ち主は外人さんだったのか。 きっと手入れは日本(こちら)の人に任せてごく(たま)に訪れるだけ。 だから誰も知らなかったんだ。 とがった鼻。(しわ)の寄った眉間。綺麗に分けたグレイヘア。 まさに洋画の中で片目にレンズをはさみ、複雑な時計でもいじっていそうなおじいさんだった。 「濡れ鼠だな」 「あ、あの、帰ってくる途中雷にあって、それで足を(ひね)ってしまって」 独りではなくなったこと、どうやら殺人鬼ではなさそうなこと。 そして、目の前でを聞いているような流暢な日本語に、私は少しの間寒さを忘れた。 「こんな時間にこんな天気の中を、君のような女性が一人で歩いていたのかね?」 「うちの部署、残業断れる雰囲気じゃなくて。それに今、 転んで携帯もなくしちゃってほんと焦って、で、シャッターが開いてたからあの、緊急避難とでも言うか」 老人は黙ってしまった。 駅で携帯を見たのが二十二時。 早く話を切り上げてこの足で枝でもついて歩けたとして、 とても今日中には帰れない。  か。 いつの間にか流れ出した涙がお湯のように熱い。 ごめんね‥‥‥。 ──ごめんね。チロ。やっぱり怒っているんだね…… 冷えた身体が私から意識を奪った。
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