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男はひったくりで生計を立てていた。
男には十分に働く体力と知恵を持っていながら、働くことへの意欲が沸かなかった。それは怠惰から始まるのではなく、彼の日常への不満への静かな反抗心からくるものであった。
男の朝は早く、まだ赤い陽が登ったばかりにはすでに走り出していた。幼い頃の習慣が抜けないためだった。彼はそれからトレーニングを重ねて、他の人々が街に出る頃には汗をシャワーで流していた。
それからベランダより他人がそれぞれの持ち場へ向かう姿を眺めながら、煙草だの酒だのを嗜むのだ。
彼は持ち金が尽きるまでこうして過ごし、無くなったときは夜の繁華街に出ていき、盗みを働いた。相手とするのは決まって鍛え上げてそうな男や威勢の良い若者と決めていた。仁義だの哲学だのではない。それでは意味がないのだ。
目標との距離がある程度、彼の目安では大股三歩程度、そこまで迫ったら彼は全速力で駆け出す、そして対象の手元や鞄、懐に無理やり手をねじ込み、掴み取ったら一気に人混みへと消えていく。背中から浴びる罵声や怒声に耳を貸さず、彼は人と人の間を掻き分けていく。
このとき、彼の心臓は壊れそうなほど早鐘を打つ。血が湧き上がる感覚に呼吸を忘れてしまう。捕まる恐怖はない。あるのは己が走れなくなる未来への恐怖だけだ。
彼の友人は忠告した。
「こんなこと、いつまでやるの?」
彼は答えた。
「死ぬまで。」
友人は息も絶え絶えに伝えたにも関わらず、その真意が伝わらずため息をついて、財布の中身の現金以外を溝に投げ捨てた。
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