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生存者
「実は此処に来たのは、確かめたいことがあったからなんだ」
「一体何だい?」
「ホラ昔母さんが言っていた、社長の奥さんの事故だよ。俺の許嫁だった……」
「許嫁!?」
予想だにしない彼の一言が、私に重くのし掛かる。
彼には許嫁がいた……
それなのに私と結婚してもいいの?
私は突如降って湧いた出来事に心を乱していた。
そっと彼を見ると、心配要らないと言うように何度も何度も頷いていた。
(そんな……何で……何で平気な顔をしているの? やっと、やっと認めてもらったのに……もう私を苦しめないで!!)
心が悲鳴を上げる。
私は、又奈落の底に落ちるのではないかと震えていた。
「えっ。あぁー、 高速バスで事故にあった自動車会社の社長の奥さんのことかい? 確かに彼女は私の親友だったけど、あんなに呆気なく行ってしまうんなてね。で、その人が何か?」
「あっ、それ。確か、その人母さんの同級生だったよねその奥さん。ねえ、その事故って何年前?」
「うーん。確か二十七か八年前だったかな? 何聞いてるの? アンタが生まれた直後だって言ったでしょ?」
「あ、ゴメン。そうやっぱり、二十七、八年前なんだね?」
「その時、その人子供は産まれて三ヶ月位だったかな? その頃になると首がすわるの。首がすわるって言うのは、赤ちゃんが自分の意思でキョロキョロ出来ることのようだけとね。少しの移動が可能になったりするのよ。だから家に戻ろうとしたの。社長になったばかりの旦那さんを気遣って、実家に戻って出産したの。そう……、その娘はアンタの許嫁だったね」
「あぁ、知ってる。キレイな身体のままでいろ、と言う母さんの言葉も覚えてる」
彼はそう言いながら、スマホで過去のニュースを検索し始めた。
「そうよね。許嫁が……。だから本当はアンタを結婚させたくはなかったの。でもね。こんな可愛いお嬢さんなら……」
そう言われても私は不安におののいた。
(何故? 許嫁が居るのならどうしてプロポーズなんかしたの?)
心が砕けてしまいそうだった。
何故だか良く判らないけど、私は彼に運命を感じていた。
彼に遣られた時、きっと肌が合ったのだと思う。
この人以外居ないと思ったからかも知れない。
だから怖くて仕方なかったのだ。
「あった。これだ」
彼はそう言いながら、母親に画面を見せた。
「あっ、それそれ。それが何か? あっ、もしかしてその娘さんが見つかったんかい?」
「いや、違うかも知れない……」
「一体、何なの?」
私もその画面を見せて貰った。
「あれっ? この会社確か……」
「そうだよ。詐欺罪で告発する時にお世話になった、神野海翔君の父親の勤め先だよ」
「それが一体何なの。私早くその後を聞きたい」
「実は、彼女の母親かも知れないんだ」
「えっ!?」
一番驚いたのは私だった。
「嘘。私の母は育児放棄で逮捕されたって。事故で亡くなったのがその社長さんの奥さんだったら……」
「その人は子供を亡くしたばかりだったようだ。貴女が泣き叫んでいたから、自分の子供だと勘違いして連れて帰ったようだ。でも、決して育児放棄なんかじゃない。事故の時に頭を打っていて、その後遺症だったんだ」
「ああ、良く聞くわ。頭を打って暫くすると意識混濁になる場合もあるって。えっ!? 本当に本当の話なの?」
母親の質問に彼は頷いた。
「当時のことは事務所に行く前に調べた。本当のことだ。俺はずっと、貴女が許嫁なら良いと思ってきた。でも所詮夢だと諦めてた。だからかも知れない。俺の目には貴女の顔が、子供の頃に見た許嫁の母親に似ているような錯覚を起こしたんだ。ただの俺の願望に過ぎないのかも知れないけど……」
彼はそう言いながら私の手を取った。
「あっ、そうだ!! お父さん思い出したわ。ホラこの娘、あの娘にそっくりだ。だからね。だから会ったことがあるって思ったんだ」
母親は更に強く私を抱き締めた。
「そうよ。間違いない。この娘はあの人の子供よ。赤ちゃんの時行方不明になった私の同級生の娘さんだ。そうよ。そうよ。まるで生き写しみたい。やだ、私……、なんで気付かなかったんだろう?」
「何でそんな大事な話を最初に言わなかった!! そうすりゃお母さんだって……」
「ごめん親父。俺だって半信半疑だったんだ」
「本当に本当なの?」
私だって半信半疑だ。
育ての親の借金で監督にがんじがらめにされていたからだ。
「俺、社長にも言ったんだけど……。貴女が許嫁ならいいのにとずっと思っていたんだ。その思いからか、どうか解らないけど、小さい頃に見せられた写真が貴女そっくりだったように思えて仕方なくなっていたんだ」
彼は泣いていた。
「あっ、そうだちょっと待って、今写真持って来る」
母親はそう言いながら部屋を出て、すぐに写真立てを持って来た。
「あぁ、やっぱり間違いない」
母親の目が滲んだかと思うと、大粒の涙が頬を伝わった。
私は慌ててその写真に目を移した。
其処には、私が居た。
私に良く似た人に抱かれた私が居た。
「貴女のお母様よ。出産で里帰りして、帰りの高速バスで事故に合い亡くなられたの。貴方はその時行方不明なった……」
「生まれ日が違うんだ。きっと、二十歳のバースデイプレゼンショーの時は、貴女はまだ二十歳になっていなかったんだ」
「えっ!?」
「俺の許嫁だった社長の娘は、俺と誕生日が一緒だったんだ。十二月二十三日。今は違うけどあの頃は天皇誕生日だった。貴女の二十歳のバースデイプレゼンショーの時、俺はまだ十九歳だったんだ。だから気付かなかったんだ。やはり貴女は育児放棄された訳ではなかった。生後九ヶ月の子供が、六ヶ月にも満たなくて逮捕されたんだ。その時貴女はお腹は空かせていたことはいたが、本当はまだ六ヶ月の子供だったんだ」
「嘘……、嘘……」
私はまだ彼の言葉が信じられずに戸惑っていた。
「やはり貴女は……」
さっき笑ったかと思ったら、今度は泣き出した彼。
「嬉しい。やっと夢が叶った」
そう言って、手で顔を覆った。
「う、うっ……」
私は泣いていた。
そんな優しい彼を見て、堪え切れずに泣いていた。
後から後から涙が溢れてくる。
でもそうさせたのは、彼が優しいからだ。常に私を大切に思ってくれていたからなのだ。
まだその社長が、私の本当の親だと決まって訳でもないに、感極まって泣いていた。
遂にそれは号泣へと変わっていき、辺り構わず泣き叫んでいた。
「何してるの? さあ早く行きましょう」
母親は立ち上がるが早いか上着を出した。
「此処はこのままでいいから、すぐに行って来い」
そう言うが早いか、父親は車の準備を始めた。
「あ、待って。ホラ早くそのパンツ……」
「大丈夫よ。ねえ、そうでしょう?」
母親がウィンクすると、彼は照れくさそうに俯いた。
「貴女を笑わすための芝居なのよ。ねえ、そうでしょう?」
母親はそう言いながら、優しそうな眼差しで彼を見つめていた。
私達は駅中で弁当を買ってから電車で東京を目指すことになった。
彼は見慣れない切符を手にしていた。
「それ、なあに?」
「来る時も使ったよ。これが例の青春十八切符だよ」
「あっ、海翔さんとみさとさんが良く使うと言ったヤツ? へー、初めて見た」
「五回分あるんだ。快速も使えるから便利なんだって」
「ごめんなさい。来る時緊張していて……、良く覚えてない」
そう……
いくら彼が心配要らないと言っても、ご両親に会いに行くのが怖かったのだ。
「特別快速なんだこれ。帰りも使えて良かったよ」
特別快速と聞き辺りを見渡して青ざめた。
ボックスシートの車内では周囲が見難い。
私を橘遥だと気付く人もいるかも知れない。
途端にそう思った。
自意識過剰かも知れないけど、楽しいはずの彼の隣が怖くなった。
私はなるべく発言を控えようと思っていた。
「インターネットで調べたんだ。未成年者保護法が使えないかと思ってさ。でも、十八歳以上は対象外らしい。悔しくてね。でもそれ以上に、俺は俺を許せないんだ」
「あの八年間かい?」
「うん」
彼は項垂れた。
「監督の仕組んだバースデイプレゼンショー当日は本当の誕生日ではなかった。貴女はまだ未成年で……」
彼の言葉を止めるようにと、私は手をそっと伸ばした。
「ごめんなさい。誰が聞いているか解らないから」
私の発言にハッとして、彼は押し黙ってしまった。
「じゃあ私が……」
母親は写真立てをバックから出して、懐かしそうに撫でた後で、それを取り出した。
「貴女のお母様とは幼稚園の時からずっと一緒で親友だったの。久し振りに会ったのが、あの産婦人科だった。彼女は恋人が自動車会社の社長の息子だと知らなかったんだって。プロポーズされた時初めて打ち明けられたそうよ」
「まるで映画みたい」
私は母親の持っている写真にそっと手を添えた。
目が霞み、頬を涙が伝わっていくのが判る。
写真の母は笑っていた。
彼の母親と肩を並べて笑っていた。
「これを見て」
そう言いながら裏を見せた。
「許嫁記念日? 」
「貴女のお父様が書いてくださったの。二人を忘れないでくれって言うメッセージかも知れないと思ったの。遺留品のカメラ中にあったそうよ。私達は事故のあの日に、高速バスに乗る前に主人に頼んで撮影したの」
私は高速バス事故の生存者だった。
母親の胸にしっかりと抱かれていたから助かったようだ。
「きっと、近くで貴女の泣き声を聞いたんだ。自分の子供だと勘違いして抱き上げた。だからその人の子供だと思い込まれて一緒に救急車で運ばれたんだ。貴女を育ててくれたお母さんの名前が橘はるかだったんだ。だから監督は……、つまり監督は育児放棄をして逮捕されたお母さんのことまで調べたんだ。だから俳優陣に後腐れのない娘だと言ったんだ」
「なんてことを……、人間のすることじゃない」
母親は私の手を取って握り絞めた。
「遂勢いで此処まで来ちゃったけど、私社長さんこと良く知らないのよ。ねぇ、どうしよう?」
「どうしようって今更言われても……。俺、てっきり母さんの知り合いだとばかり思っていたよ」
二人は会社の前でうろうろしていた。
でも一番ドキドキしていたのは私だった。
AV女優を遣らされていた橘遥が実の娘だと知ったら、きっといい気持ちはしないだろう。
そんなことは解りきっていた。
父が社長をしていると言う本社ビルがあまりにも大きくて、私は戸惑っていた。
「ヨシ、こうなったら強行突破」
弾みを付けて手を引く彼に私は同行した。
手に力が込められているのが判るほど彼は興奮していた。
「申し訳ありません。此方の社長さんにお会いしたいのですが……」
受付まで言ったのはいいけれどどうやら息切れのようで、目が游いでる。
私も隣で溜め息を吐いていた。
「アポイントメントはお取しておりますか?」
「いいえ……」
なんて言ったらいいか解らなくて困っていたら、神野海翔さんのお父様がタイミング良く出て来られた。
でも、お父様は気付く素振りもなく玄関に向かわれた。
気付いてもらいたくて手を振ってみた。
でも駄目だった。
それに気付いた母親が、お父様を追い掛けてどうにか振り向いてくれた。
「あれっ、君達は息子の知り合いだった?」
「あっ、はいそうです。その節はご迷惑をお掛け致しました」
「この方々とお知り合いなのですか? 社長にお会いしたいそうですが……」
「あのぅ、社長さんに伝言をお願いしたいのですが……」
母親はそう言いながら持参した写真を見せた。
海翔さんのお父様の顔付きが変わった。
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