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優しい嘘
私達は工場跡地に儲けられた記者会見場にいた。
海翔さん曰く。『痛くもない腹を探られてもいけない』そうで其処には列席していなかった。
初めての経験で、作法も知らない。
情けないと思ったけど、全て父が頼りだった。
開場はざわついていた。
其処に私が居たからだった。
【アラサー橘遥。新たなる決意!!】
そう週刊誌に取り上げられて以来……、姿を消した私。
非難されても仕方ない。
私は愛する人の傍に居たかっただけなのだ。
代役は、海翔さんが働いていたホストクラブオーナーの娘。
事務所社長の大特訓の末に、彼女は見事にスーパーモデルの一員となれるだけの物を身に付けていたのだった。
それ故に……
逃亡説。
死亡説。
僅かの間に私は、ネット上では既にこの世に居ないことにされていたのだった。
「皆様本日は御忙しい中をお集まりいただきましてありがとうございます。今日此方へ御越しいただきました理由は二つございます。一つは……」
社長は軽く私達を見てから会場に目を移した。
「何故此処に彼女居るのか? 皆様の疑問にお答え致します。彼女は……、橘遥は私の行方不明になっていた娘でした」
社長の娘が行き方知らずになっていたのは記者なら皆承知しているはずだった。
でも事故が起きて以来二十八年もの時を経て、その事実を把握している者は皆無だった。
「見つけた経緯を教えていただけますか?」
「どのようにして行方不明になられたのですか?」
「彼女がデビューしてもう十年近くになると思いますが、何故すぐに解らなかったのですか?」
そんな初歩的な質問ばかりだった。
「経緯は話ば長くなります。私の家内は、私の負担を考えて故郷で出産しました。その帰りに、高速バスで事故に合い死亡しました。その時、三ヶ月の彼女はこの方に託されました。家内の友人の橘はるかさんです」
「橘遥?」
「そう、監督は育ててくれた人の名前を私の娘に名付けたのです」
それは、私と第二の母を守るための優しい嘘だったのだ。
「監督は、彼女のことを知っていました」
「全て知ってて撮影した。ってことですか?」
「だと、思います。娘を育ててくれた両親が、借金を苦に自殺をして……。それでも残る借金を娘に払わさせようとした。『お前は育児放棄された子供だ』と言うことを知らしめるために名のらせたのです」
「育児放棄!?」
「監督は確か以前、報道畑だったですね。だから当然、その事実を把握していた。ってことですか?」
「だと思います。調べると判ると思いますが、私と家内は監督の古い友人でした」
「だったら何故、社長の行方不明になった子供だと気付かなかったのですか?」
「何故だか私にも解りません。それに、此方におられる橘はるかさんが育児放棄したと言うのは事実無根の判断でした」
「事実無根? そちらにおられる方は、育児放棄をしていないってことですか?」
「はい。その通りです。彼女は家内の乗ったバスで東京へ帰る途中でした。実は彼女の父親のお墓が其処にありまして、新生児突然死により亡くなった子供を埋葬した帰りだったのです」
私の知らない真実が、父の口より語られようとしていた。
「彼女は、その時の事故の後遺症で、記憶障害を起こしていました。それとこれは良くあることだと聞いていたのですが、頭を打った時に脳に血が溜まり意識混濁を起こすこともあり得ると……。彼女は正にそれでした」
少し興奮しているらしく、気持ちを落ち着かせようとして時々水を飲む父。
それだけ第二の母のことが心配だったのだ。
第二の母は未だに事故の後遺症に悩まされていたのだった。
全身打撲に脳挫傷。
だから母は事故の記憶を失っていたのだった。
第二の母は本当は母から私を託された訳ではない。
母から私を奪ったのだ。
それは解っていた。
「彼女の子供は亡くなった時三ヶ月でした。だから彼女は自宅に戻った後勘違いしました。私の娘を自分の子供だと思ったのです。それが……この行方不明事件の発端でした」
「それが何故育児放棄に繋がるのですか?」
「検診です。妊娠した時に渡される赤ちゃん手帳の中に記載されている月齢から見ると、娘は小さすぎたのです。当たり前なのです。娘はその娘より三ヶ月遅く産まれて来た訳ですから……」
「つまり、育児放棄ではない。か……」
「その通りです。彼女は今でも後遺症に悩まされています。特に大きな音に敏感に反応します」
――ドッシャーン!!
いきなり記者席から物凄い音がした。
恐る恐る其処を見ると、折り畳みの椅子が投げ出されていた。
誰かが父の言った、その反応を見るためにやったことらしい。
私は何事も無かったような素振りをみせた。
本当は心臓が飛び出すくらいに驚いていたのだ。
でも……
頭を抱え込み、育ててくれた母が蹲っていた。
突然のことで頭が混乱したのだろう。
ワナワナと震える体は誰かを求めるように立ち上がり、両手を伸ばしながら徘徊を始めていた。
私を探しているのだと思った。
大きな音が、きっとあの事故現場を思い出させたのだ。
(あの時も母はこのようにして……だから私は助かったのだ)
事故の模様は判らない。
でも私の小さな命はその時救われたのだ。
私は急いで第二の母の元へと駆け付けた。
「お母さん、大丈夫よ。私、此処にいる。今のお母さんには判らないと思うけど、あの時助けられた三ヶ月の赤ん坊は此処にいるよ!!」
私は泣きながら母を抱いて、床にゆっくり腰を下ろした。
「悪戯にもほどがあります。そんなに、この方を傷付けたいのですか!?」
父は怒りをぶちまけた。
「これで、タイトルは決まりですか? 橘遥の父、記者会見場で暴れる。とか? 私は何時でも受けて立ちます。全力でこの娘を守ります。どうか、この娘を幸せを奪うような行動はお控えください。よろしくお願い致します」
父は椅子から立ち上がった。
「お願い致します。もうこれ以上……、この二人を傷付けないでやってほしいのです」
そして記者席に向かって土下座をした。
「私からもお願い致します。どうか彼女を好奇心の目から御守りください。彼女を静かに暮らさせてあげてください」
彼も、そう言いながら父の隣で土下座をしていた。
一斉にフラッシュが炊かれる中で、微動たりしない二人。
彼も父も、思いは一つ。
それは私の幸せだった。
「出来ることなら、娘のことは記事にしないでやってほしいのです。インターネット上では、娘は既に死亡していると聞きました。だったらそのままにしておいていただけますか? 確かに橘遥はもうおりません。この娘は今日より別の人生を歩んで行きます。だから……、どうかよろしくお願い致します」
父は記者席に向かって頭を下げた。
「最後にこれだけは言わせてください。私はこの娘を傷付けようとする者を決して許さない。これ以上、興味本意での取材等行わないでください。お願い致します」
父は泣いていた。
会場からもすすり泣きが聞こえていた。
二十八年を経てやっと出会えた父娘。
その姿に、惜しみ無い拍手が贈られていた。
「それではそろそろ記者会見は終了させていただきます。最後にご質問はございませんか?」
会場を取り仕切っていた関係者が言った。
でも誰からも質問は出て来なかった。
父が泣いている傍で、私が第二の母を抱いて号泣していたから躊躇したのだ。
「それではそろそろ、質疑応答の時間は終了させていただきます。最後にこれだけは言わせてください。私は又此処に工場を復活させます。させてみせます。いえ、させてください。どうか皆様のお力をお貸しください。よろしくお願い致します」
父はもう一度深々と頭を下げた。
小さな控え室に第二の母と向かう。
その時、不思議な感覚にとらわれた。
何故か歩き方が若いのだ。
それはまるでモデル歩きのようだった。
私と会えて嬉しいからなのか、とも考えてみた。
それでも違和感がある。
私は首を頻りに傾けていた。
「どうしてくれるの私の美貌?」
控え室に入り辺りを見回してから第二の母が言った。
その声に聞き覚えがあった。
「もしかしたら社長?」
「えっ、えっーー!?」
彼も突拍子のない声を上げた。
「うまく誤魔化せたね」
社長は誰かに話し掛けていた。
「無理なことを引き受けていただきましてありがとうございました」
そう言いながら姿を現したのは海翔さんだった。
「やっぱりな」
彼が言う。
私は呆気に取られていた。
「大きな音がした時、記者席を見たんだ。皆呆気に取られていた。そして誰がやったのかと探りを入れていた。何となくだが、コイツ等じゃないと思ったんだよ」
「もしかしたら、父に頼まれて?」
「いいえ、違うよ。社長は私の話を信じてた。私を橘はるかさんだと信じていたわ。だから、一緒に愛の鐘を鳴らしてくれたの」
「あっ、お色直しの」
「あんまり貴女達が遅いから、強引に誘っちゃったわ。中で何をしていたか知らないけど……」
社長は上目遣いで彼と私を交互に見た。
「社長、それを聞いちゃ野暮だよ。彼処で遣ることは一つだよ」
「貴様、解っていてワザとアレを用意したな?」
「アレって何だい?」
海翔さんが悪戯っぽく言った。
その途端にあの椅子が脳裏に浮かんだ。それと同時に、何もかも計算されていたことを知った。
思わず俯く私を彼が背中に隠す。
「彼女が悪いんじゃない。あんな場にアレを置いておくからだ」
「やっぱりな。遣ると思った」
海翔さんは又笑い出した。
「もう……、海翔さんの意地悪」
私はきっと今耳まで真っ赤になっているだろう。
それでも言いたくて仕方なかった。
「ありがとう。夢がやっと叶った」
耳元で小さく囁くと海翔さんの腕が伸びた。
私は彼と海翔さんの腕の中で抱き抱えられた。
「ところで、貴女のパパさん独身?」
「だと思いますが……」
「だったら立候補しても良い?」
社長が突然言った。
「結婚式はもう済んだのよ。あの鐘には、そう言う意味があるのよね。違った?」
「もしかしたら社長、父を好きになったの?」
「えっ、えっーー!?」
彼が又突拍子のない声を上げた。
「そうよ、悪い? 私もそろそろ、女の幸せ味わいたいのよ。貴女みたいにね」
社長は私にウィンクをした。
――ドッサ。
いきなり、大きな音がして慌てて見たら父が書類を落として震えていた。
「貴女は一体……、私を騙したのですか?」
「違うんです社長。橘はるかさんはまだ生きてます。でも頭を手術されて、彼女との記憶を無くしています。パートナーもおられますから、来ていただくことは叶いませんでした」
海翔さんが頭を下げた。
「それにしても、君はサプライズ好きだね」
「はい。社長のお相手にと、とびっきりの美女もご用意させていただきました」
「えっ!?」
「少々お待ちください」
海翔さんの言葉に応じるように、社長が部屋を出て言った。
それはまるでお色直し。老けメイクを落とした社長が其処にいた。
「貴女は?」
「私の所属していたモデル事務所の社長。十歳離れているけど私の親友なんです」
「美しい……」
「でしょ? 世間では美魔女って評判なんです」
「美魔女!? そうか、あの言葉は貴女のためにあったのですね」
父はまんざらではない顔をしていた。
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