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珠里ちゃんが気まずそうなそぶりで、教室の四つある照明のうちの一つだけを点けた。少ないながらも光が確保され、同時に声を殺して泣きながら立ち尽くす彼女の姿があらわになる。
その足元には、横倒しになった机と椅子。テキスト類や学用品、その他私物などが投げ捨てられたように散乱していた。意図的に踏みつけたりしたのか、著しく破損しているものもある。
とうに私達の存在には気づいているはずなのに、聖嶺ちゃんは何も言わなければ振り向くこともしない。ただ苦しそうな呼吸を繰り返しながら、足元の惨状を見据えている。
座席の位置で、その混沌が誰に向けられたものか確認するのはいとも容易だった。答えが分かっていながら、私はその中から一冊の教科書を拾い上げる。裏表紙に小さく書き込まれている百華ちゃんの名前を見て、推察を確信に換えた。
下駄箱を荒らしたのも彼女だったのかとか、その実ただの仲違いでは済まない切迫した事情があるのではないかとか、さりとてそれを然程親しくない私が触れても良いものかとか、雑多な考えが頭を駆け巡る。
私が次の言葉を発せずにいる後ろから、珠里ちゃんが聖嶺ちゃんに向かって声をかけた。
「何してるの、聖嶺……」
問いにも糾弾にも聞こえる珠里ちゃんの言葉が、まるで誘因のよう。
瞬きの間ともいえる寸刻、不穏な静寂が走った。
その直後。
聖嶺ちゃんは、既にめちゃくちゃに散らかった足元から無造作に拾い上げたものを、百華ちゃんの机に向かって叩きつけるように投げた。どれを投げるかなんて全く選ばず、右手でも左手でも手当たり次第に拾っては放っている。その動作に攻撃の感情を含んでいることは一目で分かった。
しまいには、自らの足で音を立てながら机を踏みつける。
そんな彼女の姿を見て、私は堪らなく悲しく、胸が締めつけられた。
「やめな、聖嶺……!」
珠里ちゃんが聖嶺ちゃんの傍へ駆け寄り、肩を両手で強く掴んで彼女の行動を牽制する。
だけど、そんな力で収まる衝動ではない。
「――――うわああぁあぁああぁん……!!」
火がついたように泣き叫ぶ聖嶺ちゃんは、抑えを振り切ろうと身体を捩った。
後ろからホールドする相手の腕のなかでもがく彼女は、あまりにも幼く拙い言葉で、しかし切実な憐情をしゃくりながら訴える。
「うちのせいじゃない……っ……うちは悪くない……!」
繰り返される言葉は私達ではなく、自分へ言い聞かせているようでもあった。
「だって百華が……百華がぁ……うわあぁあ……っ!」
何がどうしたという筋道立った事情は全く説明されていない。だけど私達は、直接は語られないそれを、それぞれが抱くネガティブに穿った想像力で窺い知る。
聖嶺ちゃんのしたことは決して肯定はできない。けれども、怒りか悔しさか、あるいはそのような言葉にも表せないようなものかもしれないけれど、抑えられない気持ちに襲われて泣きじゃくる彼女を、否定する気にもなれないのだ。
だから私は彼女に近寄りはしたけれども、何も言うことができなかった。
でも、珠里ちゃんは、
「……だからといって、こんなことしたら駄目だ」
と、とても苦しそうに正論を突きつける。正義感が強い彼女らしい判断だと思う。
「……良い子面してんじゃねーよ……っ」
聖嶺ちゃんはもう暴れたりはしなかったけれども、僅かな隙を狙って背後の腕から逃れ、正面に向き直りつつ珠里ちゃんに詰め寄る。
「お前だって同じ癖に……!」
「何が……?」
珠里ちゃんの表情に動揺が滲んだ。
聖嶺ちゃんは言う。
「しらばっくれんじゃねーよ。知ってんだかんな……お前だって、百華にムカついてんでしょ」
教室で私達の会話を聞いたのか、それとも桐矢くんを巡る一件を既に認知していたのか。何を根拠にしたのかは分からないけれども、珠里ちゃんの隠している胸の内を暴いて指摘する聖嶺ちゃん。
「お前だって、たかが男一人のことでしょうもないくらい苛立ってさ、百華のこと恨んでんでしょ……!」
「それは――」
珠里ちゃんは目を伏せた。悔しそうに頭を抱えながら少しの間逡巡する。相手の言い方こそ乱暴だけれども、きっと思い当たる節はあるのだと思う。
しかし、彼女はスタンスを変えなかった。
「――――それとこれとは関係ない。百華が気に入らなかったとしても、私はこんなことしない……!」
そう言い切ることで、珠里ちゃんは迷いを断ち切り、同時に自分を守っているのだろう。強くて、実直な性格だからこそ言えることだと思う。
だけど、それは今の聖嶺ちゃんに言うことではなかったかもしれない。
「何それ……」
凄むように距離を詰めていた聖嶺ちゃんの勢いが失われ、再び声が震え始める。
「それじゃあ、うちだけじゃん……うちだけが、馬鹿みたいじゃん……っ」
文脈だけだと酷く自虐的な捉え方に思える。珠里ちゃんだって行動の是非については言及したけれども、聖嶺ちゃん本人を貶めるようなことは言っていない。でも、聖嶺ちゃん本人は本当に自分のことを「馬鹿みたい」と思っているのだと、私は直感した。
彼女は、この机荒らしも誰を共犯にすることもなく一人で実行していた。それは友達を巻き込みたくないという思いに加え、そんなことをする自分を恥じ、友達にさえ知られたくないという思いがあったからなのではないか。
更にいえば百華ちゃんへ復讐するにしても、机や下駄箱に対する嫌がらせなどではなく、もっと相手に確実なダメージを与え、なおかつ自分の身は守りやすいやり方が他にもあったはず。それにもかかわらず、これほどまでに粗雑で分かりやすい方法を選んだのは、もしかしたら誰かに知って欲しかったからではないか。
抑えがたい感情に振り回され、未熟ではしたない攻撃でしか示すことしか出来なかった彼女。そんな自分を助けて欲しい一方で羞恥心を逆手に取られ、苦しみを一人で抱えざるを得なかったのかもしれない。
これは私の勝手な推測。人の心に踏み込んだ、不躾な推測。
けれども、その推察が掠る程度には当たっていると踏んで、私は自分が言うべき言葉を選択した。
「聖嶺ちゃん……聖嶺ちゃんだけじゃないよ……多分、私は同じだから……」
再び溢れ出しそうだった涙を堪え、彼女は意外な顔をして私を見た。
何があったかも知らない癖に、踏み込み過ぎた言葉だとは思う。けれども私は、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
無秩序に散らばったもののなかから紙類を集めて束にし、私は続ける。
「……とりあえず一緒に片付けよう。それで、もし嫌じゃなかったら話して……私、絶対絶対、聖嶺ちゃんのこと責めたりしないから」
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