そこにいる。

3/5
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 新しい命を手助けするために、この仕事を選んだはずなのに。正直、気が滅入るような案件も少なくないのが実情である。お金と評判のためには、多少ヒステリックで無茶な注文をつけてくる客も簡単には追い返せないのが小さなクリニックの辛いところであるのだが。 「不妊治療で言うと……いざ妊娠した時に望んだ結果にならないことも少なくないんだ」 「と、言うと?」 「例えば多胎妊娠してしまっていることも少なくない。……本来なら、体外受精で子宮に戻す受精卵の数は原則三個までってことになってるんだが……人工授精の成功率は一割程度しかないからね。焦って冷静さを欠いている患者さんは、少しでも早く子供が作りたいと躍起になってる。妊娠できなければそれを我々のせいにする輩も少なくない。で、成功率が大きく上昇しないって説明しても関係なく、たくさん受精卵を戻してくれと言ってきたりもするわけだ」  その結果。何年も妊娠できなかったご夫婦が、何故か突然多胎妊娠をしてしまうなんてケースが稀に良くあるのである。少なくとも、医者を始めて十例ほどは経験している。しかもそのうち何例かは、双子どころではなく五つ子、六つ子なんてとんでもない有様になってしまうのだ。  そう語ると、彼女は目をまんまるにして言った。 「双子でも大変なのに、五つ子や六つ子なんて育てられるものなの?フィクションでは見たことあるけど」 「まあ、現実的ではないな。奥さんの負担も大きくなるし、子供達が誰一人無事に育たないなんてことにもなりかねない。経済的な問題もある。そうすると、仕方ないから減数手術をする羽目になるんだ」  はあ、とため息をつく私。 「つまり、女性のお腹の中の兄弟を減らす、ということだ。最低でも双子くらいにしておかないと、無事に生まれてこれないからね」  体がずっしりと重い。よく晴れた昼下がりなのに、怠くてたまらない。こういう話をするときはいつもそうだ。確実にストレスが体に来ていると感じる。――自分だって、できれば新しい命はみんな無事に育って欲しいと思っているのである。なんでやれ、双子で面倒だから兄弟の片方を殺してくれだの、散々無茶な注文をしてきたのはそちらだというのに減数手術で現実的な数まで兄弟を減らせだの、そんな話に付き合わなければいけないのか。命を救う、医者である自分がだ。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!