手を繋いで走って逃げた

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 ゴウゴウと白い煙が立ち昇っている。結界を張っていても汗は噴き出て、異臭が漂う。  ここが世界の釜なのかと思いながら、私は一歩一歩進んでいった。  ここに来るまでに、いったいどれだけの困難が待っていただろうか。  私をここまで運んでくれた傭兵は、最後の最後で私の有り金を全て持っていなくなってしまった。もう使う予定のないお金だから、言ってくれたらあげたのに。ここまで運んでくれたんだから、それで充分だ。  私にしきりに馴染みのない言葉を囁いてきた吟遊詩人は、途中でいなくなってしまった。たしかに彼の歌は素敵だったけれど、彼の瞳にこの光景を映すのはよくない。彼はどこかで幸せに歌を歌っていて欲しい。  私に着いていきたいと言ってくれた巫女はいたけれど、危ないからと途中通り過ぎた寺院に置いていくことにした。彼女は私がいなくなっても、元気に奉仕活動を続けて欲しい。  本当だったら結界を張らずにこのまま歩いて行きたいところだけれど、膜一枚でも張っていないと歩いて行けなかった。  トプン、と音がした。  川の水音だったらよかったのに、私が歩いたときに小石が火山口に落ちたのだ。その石はあっという間に見えなくなってしまった。  だんだん昇っていった先。そこに祭壇がある。火山口の一番上であり、ここから聖女が降りたら、儀式は完遂する。  もし結界を張って、今の光景を膜一枚先のものにしていなければ、私は怖くて動けなくなってしまったかもしれない。でも。これで儀式は達成される。  いよいよ私は飛び込もうとしたとき。 「見つけた! 間に合った!!」  大きな声が響き渡り、驚いて私は振り返った。  その声は私にとって平和の象徴であった。  私の故郷に残してきた幼馴染のリッツの声だった。 「なによこれ、マール以外誰もいないじゃない!? 聖女の巡礼の旅に、お供がいたんじゃなかったの!?」 「リッツ……どうして来たの?」 「追いかけるに決まってるじゃない! あなたがいきなり聖女に選ばれて、聖都に連れて行かれてしまったんだから、連れ戻しに来たのよ!」  あまりにも当たり前のことを言い出したのに、私は顔を強張らせた。そして首を振る。 「帰らないわ。ううん、帰れない……」 「マール、あなたまさか洗脳を受けたの!?」 「だって……私が死なないと、世界は平和にならないんでしょう?」  そう言った途端に、リッツは目を大きく釣り上げた。それに私は慌てる。 「待って! 怒らないで! 聖都の寺院でいろいろ教わったの。この世界に病が広がり、蝗害が発生し、災害が広がるのは……神に対する祈りが足りないからだって。そんなときに聖女が選ばれて、巡礼の旅を経て成長した末に、神の祭壇にその命を捧げるって……ねっ? これは世界のためなのよ。誰に強制されたものでもないのよ」 「なに言ってるの! あなたひとりの命で、災害なんて終わる訳ないじゃない!?」 「え……?」  リッツはなにを言っているのだろう。それとも私が伝え方を間違えたんだろうか。私のことを、先生たちは「そそっかしい」「おっちょこちょい」だと言っていたから、そのせいで大切なリッツに伝わらないんだろうか。  私はなおも言い募ろうとするけれど、リッツが一気に切り捨てる。 「あのね、聖女に故郷も、夢も、やりがいも、命すら捨てさせる宗教も国も、信用できるの!? 前に聖女の巡礼が行われて、まだ一年も経ってないのよ!? 一年ごとに聖女を洗脳させた上で、旅の真似事させた末に火山に捨てれば世界が救われるんだったら、楽でいいわね! どうせこんなに、国のお偉いさんが聖都のやり口に乗っかっていかにも国を救ってますアピールするためのパフォーマンスじゃない!」 「リッツ? なにを言っているの? そんなこと言っちゃ駄目よ?」 「国が悪くなったのなんて、勉強嫌いな王様が、学者を片っ端から追放したからじゃない! おかげで災害のことについて書かれた石碑は壊されて、代わりに変な歌の石碑が建てられちゃうし、お医者さんや薬師が足りなくって病気の人が診てもらえないし、代わりに変な踊りを踊らされる! 病気で苦しんでる人に踊れって、死ねって言っているのとおんなじじゃない!!」 「そ、そんなことないわ? リッツ、落ち着いて……!」 「私のお父さんだって、国を追い出されてしまったのよ! この国はその内絶対に立ちゆかなくなるから、逃げられるようになったら逃げなさいって言ってたわ! 私もお父さんを追いかけるためにお金を貯めて……マールと一緒に逃げるために準備をしていたのに! 目先のお金欲しさに村長があなたを売ってしまったんだもの!!」  そうだ。神の教え以外のいかなる教義も悪の誘いだからと、他の教義や主張を持つ学者は一斉に追い出されてしまったんだ。リッツのお父さんも、毎日毎日星の動きを見て天気を占う星読みだったから追い出されてしまった。今は寺院の先生たちが占っているけれど、聖女の守りが弱くなっているから外れてばかりだと言っていた。  リッツはもう一度声を荒げた。 「あなたについてたお供たちだって、わかっていたから逃げたんじゃない! 皆死にたくないから逃げたのよ。もうあなただって逃げてしまえばいいんだわ!」 「で、でも……リッツがお父さんに会いたいのはわかったわ。でも……聖女は、死なないとこの国は……」 「こんな国、滅んでしまえばいいのよ」  リッツは力任せに石を火山口に投げ捨てた。真っ赤な血の色のマグマは、あっという間に石を溶かしてしまう。  なにも残さない。  それを指差してリッツは言う。 「こんな骨も残らないところで死ねって言って、なにが残るの? 奇跡の力なんて起こらないし、あなたは骨ひとつ残せずに死ぬのよ。ただの神殿のパフォーマンスだわ。そんなものにうつつを抜かしている国なんか糞食らえよ」  そう言われて、私はたじろいだ。  私が死んでも、なにも変わらない。  怖くなくなる結界を張れるようになっても、相変わらず熱いし、喉が渇くし、くたびれる。そんな長い旅をしてきても、それが全部無駄だった……?  去年に亡くなった聖女さんは、それに気付かなかった……?  骨ひとつ残さずに亡くなっているのだから、聖女が儀式を完遂させたのかがわからない。成功したのかさえ、実のところはわかってはいない……。  本当に、私が死ぬ必要はないの?  途端に私は震えが止まらなくなった。 「……私、死んでも意味がないんだったら、死にたくない」 「それでいいのよ。もう逃げよう。この国を捨てて、自由に生きるの」 「……逃げられるかなあ」 「あなたのお供なんて皆逃げたじゃない。きっと大丈夫よ」  私は死ぬんだ。私が死なないと世界は終わるんだ。私は選ばれた存在なのだから。  それは私が村から連れて行かれて、聖都で朝から晩までずっと聞かされ続けた言葉だった。先生たちは、私が故郷が恋しくなって泣くたびに「あなたが聖女として振る舞わなければならないのです」と説教され、ご飯は抜きになった。私のことを「可哀想ね」と言った巫女や神官は皆いなくなった。あの人たちはどこに行ったのだろう。  この国はきっと、私がいてもいなくても、新しい聖女を探して、火山口に自ら飛び込むようにしっかりと洗脳を施してから、それらしい旅路を整えて送り出していく。  初めて、胸がドキドキした。  私はそんな想いから逃げ出すのだ……大切な幼馴染と一緒に。  私たちは手を繋いで走って行った。  この国の外は知らない。それでも、そこにはこの国よりもまだマシな未来があると信じて。
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