必然

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必然

『花火大会あるの知ってます?』  いやいや、小谷に聞いて知ってるだろう。 『花火大会、一緒に観に行きませんか?』  ちょっと直接的すぎるかな。ただの職場の後輩なのに。  ダメもとだ。なんの準備も下調べもしてないし、こんな混み合う行事は当日に誘うものではないとわかっている。ただ、一緒に花火を見れたらいいな、とふと浮かんだ願望が、頭の中を占めているだけ。  業務が終わり、いつものようにパソコンの前に座る中野を追いかけて、奈央はうしろから声をかけた。 「中野さん、帰らないんですか?」  自然に、気負わず、意識せず、口に出せるかな。  その意気込みは、中野の言葉に打ち砕かれた。 「戸締まりはしておくから、須藤さん先に帰ってね」  断られることを見越して期待なんてしていなかったはずなのに、気持ちが挫けて口に出すことすらできなくて、予想以上にしゅんとしてしまった。気づかれないうちに、そそくさと立ち去る。 「お先に失礼します」  落ち込んだ気分を少しでも持ち直そうと、更衣室で髪を結び直した。着替えを終えて外に出て、自転車にまたがる。  恋じゃない。ただ少し、寂しいだけ。  中野が風邪をひいて以来、今日のようにタイミングが合わないことばっかりで、一緒に帰っていなかった。  それだけのことでなにかが欠けたみたいで。中野と二人で帰る時間が、心を満たしていたのだと気づく。  恋じゃない。あの時間が、あの空気が好きなだけ。  言い聞かせていないと、心の奥にあるものがこぼれ出してしまいそうだった。  マンションの近くのコンビニの前を通るとき、店内に目を向ける癖がついていた。中野が頻繁に利用しているからだ。  ただ、今日は奈央のほうが先に職場を出たので彼はいるはずがない。それでもいつものように店のガラス扉の向こうを見ると、手前の棚に花火が並んでいることに気づいた。  吸い寄せられるように、自転車を止めて店内へ入る。  このコンビニは店長の意向なのか、手書きのポップが多かったり、遊び道具が棚の面積を占めていたりと遊び心があって面白い。  棚を見ながら考える。花火に必要なものは全て並んでいるし、奈央は手持ち花火も大好きだ。だけどこんなの、一人でするものじゃない。  頭に浮かぶのはただ一人。でも、また誘えずに挫けてしまいそう。  それに、春に越してきたばかりの奈央は、近所に花火のできる場所なんて知らない。中野は知っているだろうか。  また明日聞いてみようかな――  ウィーン、と自動ドアの開く音がして振り返る。そこに見えた姿に奈央は、口元に喜びが抑えられなかった。 〜本編39ページ前の奈央でした〜 おまけまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
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