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 「ルイーゼ様ったら、閨の中ではとんでもなくつまらないんですってね。この前もアルセニオ様が呆れていたわ。毎日疲れて帰ってくる旦那様を満足させられないなんて……今までなにをお勉強してらっしゃったのかしら?」  胸元が大胆に開いた、真紅の豪奢なドレスを身にまとったご令嬢の名はカミラ。  闇夜の中で燃え上がる炎のような赤毛。それを上品にゆるく内巻きにした彼女は、自分より少し背の低いルイーゼを上から見下すように睨みつけている。  カミラはルイーゼの夫である第一王子アルセニオの愛人だ。  夫の浮気は一度や二度のことではない。  ルイーゼがこの国に嫁いで六年になるが、夫が流した浮名の数はその数倍に上る。  「あなたの祖国ったら、最近は我が国の援助無しでは立ち行かなくなっているそうじゃない。子も産めない上に利益も生まないあなたに一体なんの価値があるのかしら?ああ、可哀想なアルセニオ様!」  まるで舞台の上の主人公のように大袈裟に嘆いて見せるカミラと、その後ろに控えていた彼女の取り巻きたちは、それぞれ派手な扇で隠した赤い口元を歪ませて嘲笑っている。  「カミラ、なんの話をしているんだ?」  「まあ!アルセニオ様」  どこからかこのちょっとした騒ぎを見ていたらしいルイーゼの夫アルセニオが、ルイーゼとカミラたちの間を割るように入って来た。  しかし彼の立ち位置はいつもルイーゼの向かい側。夫なら隣に立つべきなのに。  「アルセニオ様……」  アルセニオは、夫の名を呼んだルイーゼを一瞥するなり舌打ちをした。  「せっかくの夜会だというのにお前ときたら、役に立たない上に陰気ときた。本当に鬱陶しい女だな!」  周囲が嘲笑に包まれ始めると、悪者中の悪者、大トリのご登場だ。  「一体なんの騒ぎなの。まあルイーゼ、またお前?」  アルセニオの母で、このフォルメントスの王妃ヴァレンティナ。  職人が丁寧に磨き上げた象牙を透かし彫りにした骨に上質なサテンを張り、縁には繊細なレースをあしらったご自慢の扇を広げ、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。  ヴァレンティナはアルセニオの隣に立ち、眉根を寄せてルイーゼを睨む。  「まったく……夫の機嫌を取ることもできないの?これでは世継ぎの誕生は永遠に無理ね」  そんなことを言われても、最近ではもうアルセニオはルイーゼと閨を共にするどころか顔すらろくに合わせようとしない。  最初の頃はそれでもなんとか歩み寄ろうと努力はしたが、この頃は彼付きの侍従にまで馬鹿にされ追い払われる始末だ。  「まあヴァレンティナ様。そんな言い方は可哀想ですわ。ですが六年も閨を共にしていらっしゃるのにお子ができないなんて……やはりルイーゼ様になにか問題があるのかしら?」  「お黙りなさい」  調子に乗ったカミラが許可も得ずに発言すると、ヴァレンティナはそれを一喝した。  扇に隠れて半分しか見えないが、それでもカミラの顔が青ざめたのが十分わかった。  ヴァレンティナは、カミラの母親が平民出身で、しかも愛人であるという理由から彼女がアルセニオの側に侍ることを嫌っている。愛人の子など汚らわしいと思っているのだ。  その理由は彼女の夫であるフォルメントス国王ロドルフォにあった。  ロドルフォは好色な王で有名だった。  気に入った女はたとえどのような出自であろうとまったく気にせずに、次々と自分の寝所にあげた。  しかし幸いというべきか、理由は定かではないが彼はなかなか子ができない体質だったようで、どんなに遊びを繰り返しても彼の子を孕む女性は現れなかった。だがそんな中ヴァレンティナは、見事世継ぎの君である第一王子アルセニオを授かった。  待ち望んだ王子の誕生に国民は喜び、浮気三昧のロドルフォもこの時ばかりは遊びを控えるようになった。  その後、やはりロドルフォの悪い癖は治らなかったが、世継ぎの君の母という矜持がヴァレンティナを強く支えてくれたため、夫の不貞に目を瞑り続けることができた。  それなのに、アルセニオがもうすぐ五歳の誕生日を迎えようというある日、ロドルフォが手を付けたうちの一人、王宮に勤める平民出身のソフィアというメイドが妊娠していることがわかった。  腹の子が無事に生まれれば、たとえ母親は平民出身だとしてもその子はフォルメントスの王子か王女と認められてしまう。  そして万が一王子が生まれ、その王子を推す派閥が出来上がってしまったら……  ヴァレンティナは嫉妬と恐怖に追い立てられて、ソフィアを亡き者にしようとした。  遊び相手を亡き者にすることくらい簡単だとヴァレンティナは高を括っていた。  しかし好色のロドルフォにしては珍しく、遊びであったはずのソフィアの身を案じ、彼女を王宮の奥深くに住まわせ、身辺には信頼できる護衛を置いたのだ。  そのせいでヴァレンティナの計画はことごとく失敗に終わってしまった。  そしてソフィアはロドルフォの計らいで、国内の有力貴族の養女となり、フォルメントス国王の第ニ妃に収まった。  ロドルフォの庇護の元腹の子は順調に育ち、稀に見る安産で生まれてきたのはなんと王子だった。  第二王子レイナルド。彼は今、王宮の奥深くに幽閉されていると聞く。  理由は第一王子アルセニオの暗殺未遂だとか。  それは噂でしかなかったし、おそらく第二王子は無実だということをルイーゼは祖国の父から聞いていた。    「母上、カミラをあまりいじめないでやって下さい」  アルセニオが、顔面蒼白で下を向くカミラの肩に優しく手を添えて言うと、ヴァレンティナは仕方がないという風に息を吐いた。  そして再びルイーゼにきつい視線を向けると、信じられない言葉を浴びせたのだ。  「ルイーゼ、皆さんに謝罪なさい」  「え?」  「せっかくの夜会にこんな騒ぎを起こしておいて、謝ることもできないの?」  「で、ですがわたくしはなにも……」  「お黙り!役に立たないばかりか本当に生意気な子ね。わたくしの言うことが聞けないというの!?」  周囲にルイーゼを哀れむ者は誰もいない。  皆が静まり返ったのはルイーゼの謝罪を待ち侘びている証拠だ。  (口惜しい)  けれど逆らう訳にはいかないのだ。  ルイーゼの祖国アヴィラスは、フォルメントスからの軍事援助があるからこそ平穏な日々を送れている。  ルイーゼが逆らえば、ヴァレンティナもアルセニオも、すぐさまアヴィラスへの援助を止めるよう国王に進言するだろう。  「……申し訳ありませんでした」  ドレスの裾を持ち、深く頭を下げたルイーゼだったが、ヴァレンティナはそれでは許さなかった。    「跪き、頭を垂れなさい」  ルイーゼは耳を疑った。  ルイーゼは王族だ。そしてこのフォルメントスの第一王子の妃でもある。  それなのに臣下たちに向かって跪き頭を垂れろと?  しかし会場にはくすくすと、愉快そうな笑い声が響き出し、やがて渦を巻き出した。  縋るような気持ちでアルセニオに視線を向けると、彼も周りの貴族たちと共に、嘲るような笑みを浮かべルイーゼを見ていた。  「さあ!早くなさい!」  できない。それだけはできない。  ルイーゼは血が滲むほど強く唇を噛んだ。  するとどういうつもりなのか、カミラがルイーゼを庇うようにして前へ出た。  「フォルメントスの美しき女神ヴァレンティナ様。どうかルイーゼ様にお慈悲を」  カミラは祈るように胸の前で手を組み、ヴァレンティナに向かって訴えた。  「皆の前でこのようなお姿を見せては、ヴァレンティナ様が誤解されてしまいますわ!」  「誤解?」  「ええ!フォルメントスの女神。世継ぎの君の麗しき生母ヴァレンティナ様の御名は大陸中に知れ渡るほどですもの!ですからどうか、どうか怒りを鎮めて下さいませ!」  ヴァレンティナは納得がいかないようだったが、煽てられて少し気を良くしたらしい。  「よろしい……では今日のところは許しましょう。ルイーゼ、お前もよく努めるように……」  ヴァレンティナがその場を立ち去ると、周囲はルイーゼを庇ったカミラに称賛の声を上げ始めた。  「さすがカミラ様!」  「役立たずの王女を助けるとは、なんて懐の深い!」  カミラは周囲に向かって微笑んでいたが、しばらくしてルイーゼの方を振り向くと、次々と上がる声に紛れるよう言ったのだ。  「私、必ずアルセニオ様の子供を身ごもって見せるわ。そしたらあなたも、あなたの国ももう用無しね」  カミラの顔は酷く醜くかった。
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