GOサイン

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 秋の恒例行事である大運動会が終わった。  成績はまだ発表されていない。それというのも最終競技であるリレーを前にして突然雨が降り出したからだ。  結果は二着であったが、その時はまだ、誰も優勝を疑ってはいなかった。 「親父(工場担当職員)の胴上げと行きましょうや」大阪の反グレ、湯葉がいった。  その言葉を俺は黙って聞いていたが、先輩が怒りをあらわにした。 「なあ、宮原よなんかおかしくねえか、ここは高松、四国だぞなんで大阪の人間があんな仕切りを取らなくてはならないんだ」先輩はわたし栃木の先輩で現役の不良である。たまたま高松に移送され偶然の再会を果たしていた。  先輩は栃木では殺しの軍団と呼ばれる組織に属していて、それはそれは恐れられていた。  俺も同じ系統の組織に属していた時はあったが、いまは堅気だし面倒はごめんだという意識もあった。 「ここは関西一本締めで行きましょう」そんな先輩の思いを無視するような形で、事が推移していく。 「おお、清水、俺はおかしいと思うんだけど、オマエはどう思う」太田先輩の言ってることはもっともだと思った。地元の不良の人間がいなかったからいいものの、組織の人間がいたらただ事ではなかったであろう。なんで高松で関西一本締めをしなくてはならないのか?  工場内にあるスピーカーから場内アナウンスが流れた。成績発表だ。二工場は二着。その発表を聞いた途端、おやじとみんなに慕われてる工場担当の松下は、がくりと肩を落とした。  胴上げも済ませ、関西一本締めとやらも済ませ、その気になっていただけに、おやじの落胆した様子は誰の目から見てもすぐに分かった。 「いわんこっちゃないだろうが!」先輩が怒気を張り上げた。「まだ勝っちゃかわからない勝負を早とちりするからこんな目にあうんだ」もっともである。 「宮原!明日行くぞ」 「どこへですか」 「湯葉に話つけに行くんだよ」 「何の話ですか」うすうす感づいてはいたが、あえて俺は聞いた。 「関西一本締めはおかしくないかと聞きに行くに決まってるだろうが」先輩は言い出したら止まらない。ここはおとなしく聞くことにする。 「先輩が直接会って話をするんですか」 「そんなわけないだろうが!オマエが行って話をするんだよ」先輩には逆らえない。なんて言っても殺しの軍団と呼ばれる若い衆の一人なのだ。今回の懲役も拳銃不法所持でそれは銃刀法違反であったがその務めもまだ二年の刑期が残っている。  俺は覚せい剤取締法違反の罪で三年の懲役刑を打たれ、残刑期一年余りだったが、あと少し真面目に務めてれば仮面接があるのではないのかと親父に言われていた。仮釈放はもらいたい。だが先輩の命令は絶対だ。 「どんな話をすればいいですか」恐る恐る聞いた。  次のような事柄であった。まず、これは本題だが、なぜ、高松で関西一本締めをしなければならないのか。関東の人間だっているし、地元の人間だっているのだから失礼だとは思わないのか。極めつけは“俺らの事を軽く見ているのではないか? 先輩は話し合いをしたいのではなく喧嘩がしただけなのだ。  先輩はいつでも加勢できるように待機しているので話は俺が進めろという事だ。  先輩は極真空手初段であった。喧嘩もめっぽう強い。おそらく俺の知ってる限りでは素手で先輩に勝てる人間はおそらくいないであろう。  合図も決まっていた。俺が左手を上げたらGOサインだ。話がこじれたという事で先輩が助太刀に来ることになっていた。 その日の昼休みそれは工場の片隅で囲碁を打つふりをしながら話をすすめる。背後に先輩の視線を痛いほどに感じる。  俺はもう腹をくくってしまった。まどろっこしい話はしたくない。単刀直入にきりだした。 「湯葉さん、俺らの事軽く見ていませんか」 「えっ、どういうこと?」湯葉は驚きの表情を浮かべた。 「昨日の運動会のことですよ」 「わし、なんか、わるいこというた」湯葉は自分の事をわしと呼ぶ。関西の人間はおおい。 「ここは高松ですよ。なんで関西一本締めをしなければならないのです」 「それ、わしにいちゃもんつけてんかいな」どうしようか迷った。はなしの内容は聞きとられていない。ただせんぱいには湯葉の面白くなさそうな顔は見えているに違いない。 「俺は話をしたいだけです」 「あかん、あかん、そんなもん話にならんわ」その一声を聞いて俺は左手を上げた。  先輩が駆け足で駆けつけてくれた。いきなり湯葉の顔を殴りつける。湯葉はとっさのことで何が起きたかわからない。椅子から立ち上がろうとしたが、今度はそこに先輩のローキックが炸裂する。  俺は何一つ手を出すことができなかった。情けないことにすべて先輩任せだった。  野次馬が集まってきたが警備隊が来るのも早かった。  俺を含めた三人は、すぐさま大勢の警備隊に取り押さえられる。  調査房に行く羽目になってしまった。これで仮釈放もなくなってしまったんだろうか? そればかり考えていた。  調査には全面的に協力したというか、全てを自供した。先輩の事は伏せておいた、話せば余計面倒くさくなるだけだ。それにすべてを話せば、チンコロ扱いされる。  調査の期間は一週間ばかりで終わり、わたしは不問に付された。何のお咎めもなく工場に戻ることができたのだ。正直嬉しかった。仮釈放の目はまだ摘み取られていないわけだ。  工場に戻ってからが大変だった。質問攻めを受けた。特に関西の連中ときたら容赦がなかった。それもそのはずである。なんで湯葉と太田先輩が喧嘩になったのか知らないのだから。  そこらへんはだてに懲役をこなしているわけではない。うまくごまかしておいた。と、言っても疑われてしまったのでは元も子もないので、ある程度の事実は小出しにして話した。  先輩には気の毒だがもう工場へは戻ってくることはないだろう。湯葉にしてもそうだ。  先輩が関西一本締めに対して怒りをあらわにしていたこと。その事実を関西の連中に話したら、反感を覚えるどころか、多少は理解してくれた。物事は人の顔色を見て進めるのが、得策であると改めて感じた一瞬であった。それでも大阪の現役のヤクザは、なんでそんな大事なことをわしに言ってくれなかったんだと、俺に対し先輩に対しても、文句を垂れた。  それでも二週間も過ぎるとその話題は自然と消えていった。ここは世渡りが上手な俺が勝っていた。  だが、安心したのもつかの間、恐るべき日が来ることになる。あろうことか先輩が軽塀禁十五日の懲罰を終えて我が二工場に戻ってきたのだ。これにはぶったまげた。普通、喧嘩事犯の場合、両者とも同じ工場へ戻ってくることは有り得ない。二人別々の工場へ追いやられるのだ。それがどうしたことか、どんな理由があったかは知らぬが、先輩が戻ってきた。嬉しさはあったが、また一波乱ありそうだ。関西の連中も集結している。 「先輩、すいませんでした。何もできずに」素直に詫びた 「普通、仮にも先輩と呼んでいる人間が目の前で喧嘩してたら加勢するだろうが、情けない奴やのう」 「すみませんでした」再度頭を下げた。 「湯葉は一工場に配役されたぞ」 「なんで先輩は戻ってこれたんですか」 「そんなこちゃあ、俺が知りたいぐらいだよ。でもありがとうな、余計なことは一切言わなかったみたいじゃないか、感心したよ」 「工場に戻ってきてからいろいろと関西の連中に聞かれました」 「それで」 「ある程度は正直に話しました」 「いいよ、気にすんなよ、いずれわかることだったんだから」 「俺からも報告が一つあります。パロールが入りました」これは本当の事だった。パロールとは仮釈放にあたっての事前のアンケート用紙みたいなものだ。この用紙が入ると大体のものが用紙配紙後、六か月以内に釈放される。 「よかったじゃねか、こんなとこ一日も早く出るべきだよ」嬉しかった。。先輩はそれほど怒ることもなく、またわたしを祝福してくれた。  それでも問題はあった。喧嘩の当事者のうちの一人が同じ工場に戻ってきてしまったのだ。  関東の人間は俺を含めて三人しかいない。後は関西の人間が多く、地元の人間がほとんどである。九州や東北または北海道を地元とする人間もいたにはいたが、何せ、関西からの移送者が多い。  その関西の人間が先輩だけが帰ってきたのを不思議に思っている。首をかしげると同時に不快に思っている。 「また、一波乱ありそうですよ」俺は今の現状を、何も起こらず穏便に話を終えることができないであろうか。そればかりを考えていた。  パロールが入ったのだ。先輩の言う通りこんなところ一日も早く出たい。 「なるようにしかならんだろうが」先輩は強気の姿勢を崩さない。できる事なら喧嘩は避けたい。話し合って解決するべき問題は話し合いで済ますべきだ。それが俺の持論である。 「なんなら、俺が探りを入れてみましょうか」うまく立ち回って喧嘩だけは回避したかった。立ち回る自身もある。 「そんな心配いらねよ。話があるなら向こうからくるだろうが」先輩のいう事はもっともである。  ただわたしは一日も早く出所したかった。せっかくパロールが入ったというのに、つまらぬことで仮釈放を棒にはふりたくなかった。そんな心境を悟ってか先輩は言った。 「何かあったら、次は俺が直接話に行くから安心してろや」その一言を聞き俺はそっと胸をなでおろした。 「俺は、何もしなくていいのですね」恐る恐る聞いた。 「馬鹿野郎!関東の人間は3人しかおらん。俺とオマエと中島だ。それに中島はすっかたぎだ。巻き込むわけにもいかんだろう」 ―俺も今は堅気ですけど。 そんなこと言える状況ではなかった。 「そしたら、どないしたらいいでしょう」 「もし掛け合いになって、交渉決裂になったら俺が左手を上げる。そうしたら加勢しにこい。相手の骨が折れない程度にな。怪我を負わせたら増刑になる。そこのところは自分で考えてうまくやれよ」先輩の言葉が厳しくも優しくも感じられた。ただ先輩は大事なことを忘れている。わたしはじきに仮釈放の面接を受けるのだ。その思考に先まわったように先輩がいう。 「仮釈なんてもらったって、たかが三ヶ月だろう。なんてこたあ、ねえよ」  仮釈放は何が何でももらいたい。それに喧嘩もしたくない。だが先輩の命令は絶対だ。ここでそむけば地元に帰った時、何をされるかわからない。わかりましたとしか頷けない自分がいた。  関西との話し合いはきな臭い空気になってきた。接触があったようだ。  掛け合いの日時も決まったことを先輩に知らされた時、俺のなかに動揺が走った。  先輩は工場の隅で関西の親玉と話をしている。食堂では数名の親玉の子分たちが待機をしている。もちろん俺も待機をしている。  俺はただ先輩の左手が上がらぬことを祈っているばかりであった。
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