お伽夜話「風の行方、空の行方」――魔人シリーズ15章

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お伽夜話「風の行方、空の行方」――魔人シリーズ15章

15.中学生編1. 「ねえ……、俺もうあなたの赤ちゃん産めるの」  今は妹な晶はそう言って、腕の中で身を竦ませていた。ユウは思う、昨日から腹が痛むと寝込んでいたのはそういうことかと。  そして潮時だと思った。  井上悠真は奈良都立中部中学校の一年生だ。幽霊部員だがサッカー部に所属し、生徒会の書記を任され、成績優秀者として特進クラスにいる。しかし特筆すべきは感応力の高さだった。それ故に国から支給されるブレスレット……能力規制具には真珠が二つ付いている。  そしてそれ以外は標準よりやや痩せ気味で、身体能力は並である。身体能力は本人がわざと抑えているのだが。  性格は一見おっとりとしており、無害に思われている。友人の一部は怒らせると怖い奴、そして本当は負けず嫌いの努力家であることを知っているが、とりあえず「のんびり屋の秀才くん」で通っている。そんな彼だが別の理由でも学年では有名人だ。  彼には普通クラスに成績は並、身体能力は並より劣る……というか虚弱な妹がいる。二卵性の双子故に全く似ていない。しかしこの妹がいるためにセットで何かと噂されている。  井上晶、感応力はなく、まだなんの能力を持っているのか判定されてもいない。ブレスレットも標準的なものしか支給されていない。そして保健室登校児だ。それがたまに教室に登校してくると騒めく。彼女は十二歳としては身長が高くすでに162センチあり、痩せ型、華奢で儚い風情を纏っている。でもそんなことより特筆すべきはその容姿だった。日に当たると肌が赤くなる、軽い火傷をして爛れてしまうとの理由で年中長袖を着て、日傘をさしている。そのため肌が抜けるように白い。それとは正反対に長く伸ばし切り揃えた髪は漆黒の艶を放っている。その中に収まっている小さな顔は、奥二重の切れ長の目が印象的で、長い睫毛を被らせ、どことなく潤んでいる。形のよい唇は何も塗っていないのにほんのりと紅い。美少女と言っていいだろう、憂いを帯びて幽けき雰囲気の、秀才くんの妹。  この病弱で手のかかる妹がいるから、悠真は嫌味な秀才くん扱いをされなかったし、晶はあの井上の妹だからとクラスメイトから遠巻きに見られていた。  晶は中学に上がってからは友人を作らなかった。小学校の友人たちとは運悪くクラスが離れ、時折忘れてきた教科書などを貸し借りする程度である。そしてたまに晶が特進クラスへ顔を出すと、男子生徒たちの一部は盛り上がる。普段無口で大人しい晶は兄の前では安心するのだろう、花のように笑う。かわいいのである。特進クラスの男子生徒の中では「姫」と呼ばれ、アイドル扱いされていた。  それもそろそろ終わるだろう。悠真はそう思っていた。  晶のクラスの女子から、また晶が保健室へ行ったと知らせがきた。悠真は悠真で一部の女子に人気がある。さて悠真が保健室を訪ねるともう帰ったという。保健医は薬を飲ませて痛みが薄れたから、一人で帰したと言った。 「お家に帰ったらお母さんに聞いてごらん」  そう言われた。少し心配だが、現世のユウは政府の管理下に置かれ、おいそれと術を使えないことになっている。便りの一つも飛ばせない。素直に頷いて生徒会の役員会へ行った。本音では晶の元にすぐ行きたい。学生ごっこもそろそろウンザリである。ユウはとっくに前世の記憶を取り戻している。  晶は表向き、現在日本の首都である「奈良都」に住む、中学一年生女子である。ただ父親が日本政府の議員であるところが、普通の女子とは違うかもしれない。そして母親は表向きは奈良大学英文科の教授だ。言わずもがな父親はシゲルで、母親はなぜか女性に転生したロウである。  晶はちょっとふらつきながら自宅へ帰ってきて、自室ではなく勝手に兄である悠真の部屋に入った。ポイポイと制服を脱ぎ捨てて部屋着に着替え、ベッドに寝転んだ。腹はジクジクと痛み、それとともに不鮮明だった記憶が、前世の記憶が蘇ってくる。 「風……」  小さく呟いてごく緩やかな風を起こす。カーテンがひらりと靡く。この程度なら制御装置であるブレスレットから、関係機関へ伝わることもあるまい。 「なんだ、お兄ちゃんは私の……俺の恋人だったの……」  思春期、兄を恋しく愛おしく思う気持ちに戸惑っていた。おかしなことだと。でも兄を大好きな気持ちは止められない。晶は自然と涙を零して、思い出したことと腹の痛みに耐えていた。 「でもこんなの意味ないんや」  そして今耐えている痛みを忌まわしく、悲しく思った。兄妹で子供を作ってはいけない。それを念押されて現代に転生してきたのだった。それだけは残念……そんな言葉では言い表せない。腸を断たれるほどに辛い。  そして保健医に指示されていたとおり、とりあえず牛乳を少し飲んで薬を飲み、まだ扱いが不慣れな生理用品を取り替えて、やっぱり悠真、ユウのベッドに戻り眠った。  十八時過ぎに帰宅した悠真は、晶の部屋をノックしたが出ないので、眠っていると思い自室へ行って、なぜか晶がベッドを占領していたのでちょっと困った。そして困惑しつつ晶の制服を片付け、念のため体温を測った。  現在晶は女性だ。少しの後ろめたさを覚えつつ、そっと襟を割って手を差し入れ体温計を取った。熱はない。どうしたものかと思った。  晶はまだ記憶を取り戻していない。今は「兄と妹」だ。しかし十歳頃から、晶は明らかに自分を異性として意識し始めている。予想していたことだけれど、扱いが難しい。これは現在父母であるシゲルとロウも慎重に見守っている。  悠真は風呂当番なので湯を張ったりしていると、母である佳子……ロウが帰ってきた。やはりこの時代の女性としては170センチと身長の高い佳子は、大きな瞳が印象的な美女だ。魔人はおおよそ二十歳前後で一旦成長が止まるため、佳子は人間の年齢で言えば三十五歳だが、若々しい。そして二人とも心中では馬鹿馬鹿しく思っていたが、まだ晶が前世の記憶を取り戻していないため、外はもちろん、自宅でもあくまで「母と息子」として過ごしている。 「母さん、晶が具合悪いって早退したけどさ。なんか俺の部屋で寝てる、様子見てやって」  佳子にそうお願いすると、悠真は味噌汁作ろうと思った。生殖により増えた「新魔人」とでもいうべき現在の日本人は、昔とは違い、食事を摂らなくては生きていけない。急速に瘴気の浄化、魔獣の駆除をし、能力者たちによって治安が保たれるようになった日本は、魔震前の生活を取り戻しつつある。現代では主に水力発電により電気も引かれ、各家庭で使える。  ロウ前世男だったのに、本当に柄ではないと思いつつ、一応女性として今生を生きてきた。物心ついた頃には前世を思い出していた。そして都合よく前世と同じく六歳年上に生まれてきたシゲル、彼も抜け目なく前世を思い出し、自分を探しにきた。二人、男女として出会った時八歳と十四歳、苦笑しあった。その後佳子は優秀な成績と能力を買われて、試験に合格し玲香に仕える。 「なんか変だよねこの国。いっちょ政権転覆でもやらかしますか」  これはやはりシゲルと時を同じく転生してきた直孝だ。自分たちが冥府で待機(直孝とシゲルはそう思っている)している間に、国家として機能しきれていない日本に、やきもきしている。当然玲香一人に「神子」としてオオナムチを担わせ、人心掌握のための飾り物として、軟禁しているのも気に食わない。しかし佳子ことロウは、今はただの仕事を持つ母である。とりあえずは。  静かに悠真の部屋へ行った。確かに晶が寝ている。ハンガーラックに晶の制服もかかっている。学校から帰ってきてここで着替えて寝たのだろうか。いくら兄が好きでも一個人として、プライバシーは尊重すべきと佳子は考えている。そっと呼びかけてみたが起きる気配はない。しかしかなり汗をかいているようだ。掛け布団を半分ほどはぐった。 (ああ、そういうこと)  タオルケットの下で眠っている晶は、腹を守るようにくの字に横たわり、そしてわずかに血の匂いがする。そして晶が目を覚ました。 「ママ、あの……」  晶はまだ甘えて親のことは「パパ、ママ」呼びしている。 「生理……始まったみたいなん……」 「おめでとう。痛みは? ひどいの?」 「うん、こんなに痛いんやね……」  ここで佳子は違和感を持った。口調が違う。現代を生きる晶は「標準語」で話していたはずなのに。 「ねえ、あのね……」  汗の浮く額をそっと手の甲で拭って、晶が見上げてきた。 「ママはロウくんやったんやね、俺思い出した……」  風呂へ行き着替えて食事し、鎮痛剤を飲んだ晶だが、リビングのソファでまた横になっている。なんとなくまだユウに話したくない。でも「兄」に側にいてもらいたい。ロウも晶の出方を伺っている。ユウは女性二人がなんとなく不穏なので、とりあえず風呂へ行こうとしたが、晶が服の裾を掴んで離さないから側にいる。シゲルこと井上繁仁は仕事でいつも帰宅時間が遅い。  今は兄と妹であるから、ユウは何もしない。側にいてやるだけだ。そのうち寝ると言いようやく晶が自室へ帰った。ロウは意外だと思った。晶であればすぐに前世を思い出したことを話し、ユウに甘えるものと思っていた。 「晶なんだったの?」  ユウは気遣わしげに晶を見送ってから、母に聞いた。晶が何も言い出さなかったから、今はまだ「母と息子」である。佳子はまだなにも言えない。 「お薬が効いて明日には治るから大丈夫」  そして念のため浴室や脱衣所が汚れていないか、見に行った。まだ始まったばかりの一日目、さほど出血は多くないようだと思った。  晶は多分ホルモン変化による不快感に悩まされている。同時に性的な欲求にも。自然とまた涙が溢れた。浅ましい、呪われた自分。思い出してしまったらもう止められない。 「抱いて……」  今になって両親が自分たち兄妹の部屋を隔てた意味が分かる。間に物置部屋が設置してある。自分の部屋は二階の奥にあり、逆に兄の部屋は階段を上ってすぐにある。そして向かいに両親の部屋、ウォークインクローゼット、サンルーム。自分が兄の部屋へ忍んで行く、そんなことはきっと無理だろう。  晶はまた考える、母親である佳子、ロウは当然前世を思い出している、知っていた。でも腹の痛みや思い出したことに混乱していて、兄であるユウのことを聞きそびれた。 「お兄ちゃん……ユウさんは俺のこと覚えとらんの?」  悲しい、聞きたい。そのうち薬が効いてきた晶は眠ってしまった。下半身の痛みと疼きを少し持て余しながら。  今はまだ十二歳の少女で、ただ胸が痛い。  ユウはなんとなく初潮が来たのだろうと推測している。しかし残念ながら男である自分には、現在女性の晶の心理は推し量れない。単に恥ずかしいのかと思っている。まさか初潮と共に前世の記憶を取り戻した、それらが同時に起こって晶が混乱し、悲しんでいるとは分からない。今自分はただの中学生で、晶の兄だ。  翌日。土曜だが、悠真はサッカー部へ顔を出しに行き、佳子も午前中だけ大学へ行った。繁仁はやはり朝早くから仕事へ行っている。  晶は案の定出血量が増え、薬を飲んで寝込んでいる。 「ママもこんなに痛かったの?」  晶はぐすぐすと痛みに耐えながら横になっている。佳子は晶の口調が直っているので、まだ完全に前世を思い出していないのだと思った。 「ママは軽かったけど、個人差があるから。なんとも言えないわね」  そして自分は使わなかったが買っておいてよかったと思いつつ、電気アンカを温め、低温火傷に気を付けてお腹に当てるよう教え、午前中で仕事を終わらせ帰ってくると約束して、出かけて行った。あとで懇意にしている長浜の人間に聞いてみようと思った。  晶は本当に温めたら楽になってきたので、またうとうとしている。  夢を見ていた。娘たちのこと。そういえば特に香澄が生理が重かったっけ。本当に蘭華がいてくれて良かった。そして玲香は今でも一人なのだろうか?   それからその娘たちを授けてくれたユウのこと。子供が欲しい、そう思うきっかけとなった湛のこと。昔の男の自分。今の女の自分。せっかく女なのに子を産めないなんて。 「嫌。ユウさんの子しか産まない」  だから、産めない。  悠真が予定より早く帰宅した時、母は帰ってきていなかった。仕事が終わらなかったのかもしれない。遅い昼食を適当に摂った。洗濯をしようと思った。二階から音がして晶が降りてきた。 「大丈夫?」  今は兄だ。さり気無く聞いたけれど。次の瞬間走った。いつかのようによろめいた晶を抱き支えた。階段を降りて目眩がしたのか腹を押さえた晶を、受け止めた。 「……お兄ちゃん、じゃ、ない」  少し汗ばみ、涙を零している幼い晶はでも知っている。女の顔をしていた。 「ねえ……」  熱い身体を寄せて、晶がもたれ掛かってきた。ユウは動けない。 「ユウさん……」  きゅう……と抱きつかれた。覚えている感触。身体は華奢で小さいけれど、覚えている。 「愛しています……」  晶が思い出したのなら、もう芝居をする必要もない。ユウは思わず抱き返して、驚いたけれど愛おしくて嬉しくて、そのままキスした。晶が泣き続けているからちょっとしょっぱい。 『今生では兄妹だから子供は作らない。でも愛してる』  これはシゲルとロウの子供たち、双子の中に入る前ユウが言ったこと。だからきっといつかこうなると分かっていた。 「昔みたいに抱き上げられたらいいけど。今は俺も子供だからね」  そう言ったら晶は笑った。そう、残念ながら二人ともまだ十二歳で、でもそれは身体の話だ。心は、魂はもう前世を思い出して成熟している。  手を握ってソファへ移動した。いつかのように、いつものようにソファの上で晶を足に乗せた。横抱きにして二人、抱き合っていた。ユウは現在身長165センチ、晶よりわずかに高い。 「ねえ、俺もうあなたの赤ちゃん産める、けど……。駄目なんやね」  晶はそれが悲しくて、昨夜から泣いていたのだと言った。ユウはだから様子がおかしかったのだと理解した。そして自分たちはまだ十二歳だ。キス以上のことは。 「しちゃ駄目なの? 抱いてほしい……」  これにはユウは答えなかった。ただ柔らかく晶を抱いてあやすに留めた。何度かキスをして二人寄り添っていた。運命の巡り合わせを思った。 「離さないって約束したろ? でもこうなっちゃって、なんかミスったなあとは思ったよ。ごめんね」  ユウは正直セックスしたい。してもいいと思う。今はたまたま兄妹なだけだ。それも緊急に訳あってのこと。今は単純に魔人とはいえ、幼い自分たちでは危険があると思っている。晶を傷付けたくない。もう一度キスをして抱き直した。幼気な少女の晶を、どんなに抱き締めたかったか。 「晶が思い出すの待ってた、良かったよ思い出して。また色々こなさなきゃならない手順がある、かな……」  ユウはたくさんやることがあると思った。今は保護者なシゲルとロウに相談しなくては。でもその前に。  腕の中で泣いている晶は可愛らしい。この子はずっと自分のもので、これからもそう。少し強引に晶を搔き抱いて、深く深く口付けた。こんなにも愛している。 「あっ、やんん……」 「ずっと愛してる、離さないから」 「はい……」  今はこの魂の器が血縁だから。でもそんなものに自分たちを制限はさせない、ユウはそう思う。この子を愛した時から自分は普通ではなくなった。必死に愛してきた。それは生きていくということ。  結局昨日と変わらない時間に帰宅した佳子は、バカップルが復活していたので、地に伏せる勢いで肩を落とした。 「まだ十二だよ⁉ ダメ! えっちはダメ‼」  現在母親な佳子はもちろん反対だ。というかあんまり考えたくなかったらしい。 「でも俺はともかく、晶に学校生活はもう無理だと思う。行かせる意味も見出せないし。俺は茶番劇続けてもいいけど」  そしてユウが言うには『前世の記憶を取り戻した晶は、やはり湛に魂まで弄られた晶であるから、この時代に他人と関わって生きていくのは難しい』と。 「まあそれは見てたら分かるけどさ……」  佳子はげんなりしている。目の前の小さな二人は幼いだけで、かつてのユウと晶そのままだ。十二歳のはずなのにあっという間に妙に大人びてしまったユウと、「兄」に抱かれてうっとりしている少女の晶は、すでに見知った「晶」の顔だ。 「でもじゃあどうするの? 昔みたいに生きていける訳ないし。もう時代も生活環境も身体も違うんだよ?」 「長野に帰るよ。タオの権力で転校したことにしてもらって、中学校からは記録を消してもらう。晶の病気の治療のためってことにすればいい。俺も付いて行ったことにしたらいい」 「無理だよ、特進クラスの生徒なんだからさ。それに俺もシゲルも双子がいることは世間に知られてる、俺たちは仕事も奈良だし離れられない。子供達だけ他所にやったってのは無理があるよ」 「じゃあ事故で死んだことにしよっか」 「えー……」  佳子は目の前の「息子」が遠く見えてきた。ユウは常識人だったはずだが。  晶は今は難しいことは考えられないようで、ユウに抱き着いてとにかく甘えている。 「ねえ、念のため聞くけどもうヤッてないよね?」 「晶が生理中なのにしないよ」 「生理中はえっちしたらあかんの?」 「晶の身体に負担かかるからね、しちゃ駄目なんだよ」 「オーケー分かった。放っといたら生理終わったらすぐするね!?」  佳子はこれはもう駄目だと思った。  二十二時過ぎ、繁仁が帰ってきた。そして妻と、子供たちだった者たちの話を聞く。 「ユウさあ、頭のネジ何本か飛んだ? もっと常識人だったよね?」 「あのさ。俺身体は十二だけど心はおっさんだから。いい大人なんで」 「えー……。でもさあこのまま奈良で生きて大学行って、エリートコースに乗っても……」 「俺はそういう生き方興味ない、晶と今生を全うできればそれでいい。能力も全部取り戻してる、これを取ればいいだけ」  ユウはそう言って左手首のブレスレットを見た。こんなものは紛い物だ。そもそも自分と晶の間にできた真珠のレプリカなのだ。馬鹿馬鹿しい。そして繁仁はしばし考える。 「まあねー、行政が把握してるのは今の所、昔で言う近畿地方と北陸地方に限られてる。長野だって一応管理下に置かれてるけどほぼ西村の自治だし。ユウの具現化能力あれば二人くらい自給自足で生きていけるけどさあ」  繁仁は自分だってアホらしいと思いながら子供からやり直したのに。なんなんだと思った。 「いやでもやっぱり駄目、保護者として俺は許可できない。せめて今の民法上の成人、男性が結婚できる十八まで待って。アホらしくても今を生きてるんだから仕方ないよ。少なくともユウは学校通って」  晶は自分は? と思ったが、正直「学校」が嫌いだ。行きたくない。  繁仁は昔の晶であれば、ユウの言い分も分かる、確かに学校へ通わせるのは無理だと思った。前世での晩年、子育てをしてユウと暮らしていた晶はかなりセックス依存、情緒不安定が改善されたが。現在は思春期真っ只中の子供である。多分もう自制などできない、普通の中学生女子として振舞うことは無理だろう。 「中学は義務教育だからね……。まあ通信制に切り替えるとかなんか考えるとして。てか晶くん頑張って中学行く気は……、はい、ないんだね!」  晶はふるふると首を振ると泣きそうになって、ユウにしがみ付いた。もうユウしか見えていない。 (おかしいなー、並ではあったけど普通の女の子だったのに、記憶取り戻して一晩で昔の幼女並に……) (どうしよう、一応「影のある美少女」ポジションの普通の中学生だったのに、もう昔の晶くんに……)  繁仁も佳子も頭が痛くなってきた。目の前の二人は幼いだけで確かに昔の「ユウと晶」だ。もう両親を無視して口付けあっている。  結局晶がユウから離れなくなってしまったので、「絶対セックスしないこと」を約束させ、今夜から一緒の部屋で過ごすことを許可した。そうでないと晶は寝ようともしない。 「おやすみなさい……」  かわいらしく微笑んで晶は挨拶をすると、ユウとユウの部屋へ行ってしまった。生理痛は治ったようだ。でも二人とも無理なのは分かっていた。晶にセックス禁止なんて言ったって、聞くわけない。ユウだってあんなブレスレットを無効化させて、結界を張れる。 「大丈夫、ちゃんと遮断の結界張るから。ロウ泣くなって、晶くんだからしょーがないよ」  佳子は一応自分の息子と娘なのに、近親相姦とか最低と泣いている。しかもまだ十二歳。覚悟はしていたけれど、やっぱりしきれていなかった。頭痛がする。 その夜、ユウと晶は互いの身体を覚えていると思った。  翌日、晶が腹痛と陰部の違和感、発熱を訴える。すぐにかかりつけの総合病院へ行った。「長浜会奈良成都総合病院」、蘭華と咲良の直系の家系の病院だ。現在は蘭華の曾孫の「四代目」蘭華が後を継いでいる。割と早くに死亡したロウとシゲルには理由は分からないが、院長は代々蘭華の名を継ぐことになっている。因みに四代目は女性だがやはり蘭華の名を継いでいる。そして代々記録と記憶が受け継がれている。かつての蘭華と咲良が後々のことを多面的に考え、配慮した結果である。そんな訳だが、事情を知らない者からすれば「コネ持ちの国会議員が、院長を休日に呼び出せる」と思われている。実際は単に古い馴染みというだけだが、当然知られていないし、知らせる訳もない。  四代目蘭華、本名は京香。西村家同様、長浜家も「香」の文字が受け継がれている。 「佳子さん、言いにくいですけど……。さすがにまだ十二歳で異性とのお付き合いは早いんじゃ」  京香は困惑している。問診し、念のため内診を行なった。晶は内診台や器具に相当怯えていたが仕方ない。 「無理やりではなく同意のようですけど、軽症の膣カンジタも発症してるし。生理中の体調が悪い時は彼氏に断るよう指導して……」  ここで佳子が限界だった。半泣きで京香に事情を説明する。 「らんちゃん! 違うの、晶くんも記憶が戻ったの! 戻った瞬間合体して! もうやだあいつらぁ!」  その後は泣いて呻いて話にならない佳子だった。京香は「晶くん」と聞いた瞬間色々お察ししている。ついに来たという感じだ。因みに京香を「らんちゃん」と呼ぶのは佳子の個性だ。  晶は別室で休ませ、繁仁とユウも話をすることになった。知らない者が見れば議員と大学教授の娘が急患で来て、兄までいる。家族思いなのかと思われている。  京香はユウと晶の事情を知っている。 「私、悠真くん……ユウさんて呼ぶべきかな? それはともかく、もっと自制できる人だと思ってたんだけどねー……。あのね、昔はさておき今の魔人は人間に近いの、元人間のあなたなら分かるでしょう? 病気にもなるし怪我もすぐには治らない。晶ちゃんは元々身体が弱いのに……、初潮で体調崩している時に性行為をしたから、膣カンジタっていう炎症起こしてる。『晶くん』の事情は知ってるけど、しばらくえっち禁止! 女の子の身体はデリケートなの、大事にして……大丈夫?」  これには現在中学生のユウ、見たこともないほど落ち込み項垂れている。そうだった、晶は現代を生きる新人類とでもいうべき身体だった。しかも女性だ。昔みたいに求められれば宥めるためにヤリ放題、という訳にはいかないのだ。  佳子は自分が女性だから腹立たしいらしい。息子の頭をベシッと叩いている。そして膣カンジタについて書かれたリーフレットを京香から渡されたユウ、しばし呆然としながら読んでいた。  繁仁は記憶があり大人だと言い張るユウだが、やっぱり身体の成長と同じで、まだ子供だという意識を新たにした。  結果、晶が「とある病気で」長期治療、入院を必要との診断書が作成される。ユウは説得され、まだ「子供」な自分たちでは二人で生きていけないことを理解する。つまらない学生生活を継続して送ることが決定した。  さてユウも言いたいことがある。本当はすぐ晶の様子を見に行きたいが、割と重要なことなのだ。 「京香さん、うちの保健室の先生が多分藍良くんの子孫だと思う。まだ確信持てないけど……」  ユウは散々世話になった藍良の「波動」を覚えている。魂の波長とでもいうべきもの。それになにより。 「決まりでもあるのかな? 片目を髪で隠してるんだよね。もうなんか見ただけで藍良くんなんだ。晶も記憶を思い出してからは保健医のこと気にしてた」  これは教育機関に携わるタオの範疇だ、後で対策をしようとなった。  晶は「要人の娘」なので、個人情報保護のため、最上階の個室に入院することになった。世の常でホテルかと思われるような設備の整った個室。こんな部屋に一人でいるのは怖い、晶にとってはすでに一晩一緒に過ごしたユウの部屋が、どこよりも心地いいものになっている。寂しい、苦しい。  そしてもっと苦しいことが一つ。 「どうしてもそのお薬飲まないと……あかんの?」  晶は京香に挨拶して話を聞いていたが、不安げにユウを見た。  まず一。 「今生では二人は血縁、しかも兄妹だから。子供は作らない方がいい。だから避妊しましょう」  京香も勿論晶の事情を知っている。この子にセックスするなというのは、無理だということ。  そして二。 「やっぱり魔人だからね、避妊には色々あるけど施しても自己修復してしまうの」  女性の晶の場合は卵管結紮、ユウの場合はパイプカットすることになるが、いずれ修復されてしまう。その度に繰り返し手術してもいいが、相当細かく状況観察しないと、うっかり妊娠する可能性がある。 「そもそもユウさんには具現化能力があるでしょう? 手術して、痛くもない腹開けるようなことするだけ無駄だわ。それに妊娠しても堕胎することになる。嫌でしょう?」  この時代、近親間での恋愛や妊娠は重大なタブーとされている。特に妊娠は駄目だ、何故か障害児が生まれる確率が高く100パーセント近い。 「そんな悲しいこと嫌……。それに……」  晶の価値観では兄妹だろうがユウを愛している、セックスはしたい。でも濃い血縁者同士の子供が「良くない」のは前世、人間だった時から理解している。晶のいた集落では管理され血縁の遠い者同士で「儀式」をし、子供を作っていた。だからとても悲しいけれど、むしろ晶が妊娠を恐れている。 「でもユウさんの赤ちゃん、ほんとは欲しいの……」  今は抗生剤の点滴を受け、氷枕をして横になっている晶だが、心は複雑だ。ホルモン変化で一層複雑になっている。 「ふっ……、やだぁ、あ……んん……」  泣き出してしまった。今生では女性なのに。自然と授かるはずなのに「駄目」だなんて。  ユウはそんな横たわっている「妹」の手を握ってやっているが、今はこれくらいしかできないことに歯噛みしている。早く大人になりたい。  京香は続ける。その三。 「避妊具を子宮内に入れる、という避妊法がその昔はあったんだけどね。まだ理由は分からないけれど魔人には効かないの。九割の確率で妊娠してしまう、もうほぼ使われていない避妊法よ。多分魔人は生命力が強いから、避妊具を物ともせず受精卵が着床してしまうんだと思うわ。それ以前に挿入しても勝手に排出される例もあるし。だからホルモン療法、ピルを飲んで避妊するしかないと思う」  京香は心の中でそっと「その四」を考える。そもそもこの兄妹がセックスしなければいい。晶のセックス依存を根治的に矯正できればいいが。これはまた後日親たちに相談しようと、今は思っていた。流石に四代目ともなると初代が書き残し受け継がれてきた記憶よりも、技術の発達を信じたくもなる。京香は晶に心理療法を試すべきだと思っている。  佳子はその点晶に同情している。現在女性であり、問題なく愛していた人と今生でも結ばれた。特にトラブルもなく子を授かった。晶だって虚弱なだけで妊娠は可能なのに、可哀想ではある。その点は京香も同意である。 「晶ちゃん、妊娠自体はできるのよ? 将来お兄ちゃん以外の男性を好きになって……」 「嫌! ならない!」  晶が普段にはない大声で泣き叫び、ユウに縋り付いた。点滴の針が外れ腕から出血しても物ともせず、力づくで「兄」を抱き寄せた。 「飲む、お薬飲むからぁ。ユウさんじゃなきゃ嫌ぁ……」  京香はすぐに処置台を持ってくるよう、近くにいる看護師に念を飛ばした。点滴をし直さないと。そして驚いている。日本人形のように可憐な容姿の晶は、内に激情を抱えている。それをあやせるのはユウだけなんだろう。 「ごめん京香ちゃん。本当に晶は訳ありだから」  看護師が来たため父親な繁仁、そして母親な佳子は二人を宥めてとりあえず引き離している。  晶はまだ「お兄ちゃん」と手を繋ぎ泣いている。 「辛いよぉ……」  そう呟いて涙をこぼしている可憐な少女は、今処置をしている看護師などには哀れに見えている。ましてや院長自ら診察するVIPの娘だ、相当取り扱い注意だと思われている。  その日は晶が興奮しているため、鎮静剤が点滴に加えられた。 「嫌、怖い、お兄ちゃんは帰っちゃ嫌」  晶がそう泣いて請うのと、また熱が上がってきたことで、ユウは静かに晶の手を繋ぎ、椅子に座って付き添っている。  看護師、看護助手やその他職員の間では「あのイケメン議員」の娘が入院になったと、秒速80メートルくらいの勢いで話が院内を駆け抜けていった。 「すごく綺麗な子だったわよ、今の所病名は院長しか知らないらしいけど」 「二卵性だから本当に似てないわね。でもお兄ちゃんの方は同い年とは思えないほど大人っぽくて、しっかりしてるわ」 「中学生なのに仲がいいのね、ずっと手を握ってあげてるの。病弱な妹を守る兄なのね」 「血液検査も精密に回してるらしいわ。何かしらね」  院内の注目を一身に浴びることになった特別室だが、当然プライバシーは厳重に保たれている。今室内には兄妹しかおらず、今後の話し合いをするため、佳子がタオを呼ぶ調整しており、繁仁は仕事上の急用が入って病院を後にした。物音一つしない特別室内はとっくに結界が張られている。 「見て……、かわいい……?」 「晶はかわいい、綺麗」  この兄妹はもうなんの疑問もなく愛し合っている。ユウは反省しているので今はキスをして、胸を愛撫してやっている。挿入はもちろんしない。ベッドに起き上がった晶は自ら病院着の前を開き、下着を脱いだ。白く小さな乳房に触れて欲しくて。 「もう痛くないの?」 「うん、昨日みたいには痛くないん……。だから吸って……」  色素の薄い小さな乳首に舌を這わせて吸ってやった。 「あはっ……、大好きぃ……」  晶の黒髪がサラサラと溢れる。ユウはこんなことをしてはいけないという気持ちと、面倒な時代になったという思いがある。そして少しの違和感。……確かに自分は子供だ、性欲にまるで勝てる気がしない。 「痕も付けられないし。噛むのもダメかな、見つかったら大変」 「ん……、でももっとして?」  少女の晶は華奢で儚く、線が細い。少しくびれ始めたウエストを見る。かわいい臍を舐める。 「やん……」  また小さな乳房に唇を這わせる。この綺麗な少女は自分のものだ。 「ユウさん……。早く全部あげたい……」  まだ中学生なのに十分なことをしていると思うが、記憶を取り戻した今は二人、早く蕩けるような交わりを望んでいる。それは後日、晶の体調がいい時に。 「あんん……」  晶は優しく胸を揉まれながらキスを受けて、涙を零して感じている。小さな乳首を揉むように摘まれて、びくりと身を震わせている。  夕方、特別室に今度は奈良大学の理事だという男性が来た。看護師たちは今日はVIPが来る日だなあと思っている。そして特別室では色々と事情を聞いたタオが、ユウを打擲している。 「お前アホかっ! まだ中学生なんだぞ! 自重しろ!」 「返す言葉もねえけどさあ」  ユウはさすがに叩かれて痛い、大人がフルスイングで中学生を殴るなと思った。晶は鎮静剤が効いてきてウトウトしているため、反応がない。  タオは改めてこの兄妹を見て、確かに晶はもう人前に出せないと思った。以前を知る人が見たら、彼女が「女」になったことはバレバレだ。 「晶くんはやっぱり晶くんだな、通常営業というかなんというか……。確かに学校に戻すのは無理だな、危険だよ色々な意味で」  ユウはなんだ? と不審な目をタオに向けている。佳子も危険とは?……いまいち分からないでいる。  タオは溜息をついた。 「二人は家族だから毎日晶くんを見ていて慣れているだろうけどさ。久しぶりに会った俺には別人に見えるよ。ユウもな。お前相当キャラ作って惚けないと学校で浮くぞ。徹底して『中学生のガキ』を演じろ。晶くんは多分、その……人を惑わせる、いたずらの対象になったり、性犯罪に巻き込まれる可能性がある。とても中学一年生の女の子には見えない。それにすぐバレるぞ、関係が」  タオは一応、勤める大学の生徒たちを見てきて、十八歳でもまだまだ子供、幼いものだと思っている。でも目の前の記憶を取り戻した晶からは、ただ一人を愛し身を捧げる「女」の風情が伝わってくる。前世の男性で成人だった晶より、危なげな色香。 「そんな……記憶が戻ったのが二日前だよ? そこまで違う?」  ロウにとっては娘である。今は生理と初体験での疲労と発熱。それらで衰弱しているから儚げには見えると思う。いまいち分からない。 「まあ考え過ぎかもしれないが。俺は病院に置いておくのも危ないと思うね。勘のいい人には気付かれそうだ。ユウは見舞いには来ない方がいいな」  ユウは確かに、自分でさえ性衝動を抑制できていない現状を考える。前世からの恋人と現世で巡り合った。そして幼い今、すでに関係を持った。まだ子供なことが苦しい。 「いや、お見舞いは来て?」  眠ったと思われた晶が呟いた。 「タオさん……聞いて? 俺たちほとんど子育てしてたから、二人きりの時間があんまりなかった。望んで子供を作ったから後悔とかないけど……。それで死んで「空」の中にいた時は、七日程度にしか感じてないし、なのに生まれ変わってからは、身体と心が馴染んで記憶を取り戻すまで十二年もかかった……。もう離れたくない。俺、ちゃんと嘘つく。ただのお兄ちゃんが好きな甘えっ子の妹の振りすればええんやろ? ユウさんに会えないのは嫌……」  これにはタオが絶句し、そういえば前世では湛と律に不審を抱かれないよう、演技していたことを思い出していた。いざとなったら好きな男のために嘘など平気で吐ける、そういう子だった。 「そんなことできるの? 常に看護師さんや職員の目を気にして、疑われないようにしなきゃ。兄妹で関係を持ってるなんて知れたら、かばいきれない……」  佳子は性格上、人を欺いてまで恋人に会う必要はないと考えている。京香と時期は相談するがいずれは退院して自宅療養になるのだし。しばらく我慢できないのかと思う。 「ロウくん……ううん、ママ。私大人しくしてるから。でも毎日お兄ちゃんに会いたい。お兄ちゃん、来てくれるでしょう?」  ふっと息を吐いて話し出した晶は、もう表情を変えている。何も知らないあどけない少女だ。タオはその小さな変化にすぐ気付き、改めて恋に生きている晶の人生の壮絶さを思う。佳子は今は同じ女性として生きてはいるが、まだ半信半疑だ。 「来るよ、宿題預かってくるから」  ユウはそう言って、逆に握っていた晶の手を離した。この二日間のことは今は置いておく、今は親を悲しませまい。  そしてバスで帰るというから、ユウを残してロウとタオは車で帰宅した。次は例の保健医のことを考えねばならない。  十八時、夕食の時間だ。ここは特別室だから配膳されるが、ユウが食事を取りに行った。 「701号室の井上晶です」 「あら、お兄さん? お名前は?」  もう夜勤帯の時間だ、さっきとは違う多分看護助手の女性に、気軽に声をかけられた。 「井上悠真です。妹をよろしくお願いします」  看護助手の女性は、はにかんだ笑みを浮かべ膳を受け取った子供に好感を持った。かわいいお兄ちゃんじゃないか。  こうして晶が記憶を取り戻して三日で、今後の方針は大方決まった。世間的には仲の良い兄妹で、妹は病弱で甘えん坊。悠真は成人までこれまで以上に目立たないよう、そして敵を作らないよう生きていく。 「晶はちゃんと食べて。俺は帰ってから食べる、面会時間終了の二十時までいてやるから」 「うん……」  二人共自己暗示により一旦記憶を心の奥底にしまい込んでいる。今はただの兄妹、中学生だ。悠真は明日からは、妹が入院して少し意気消沈の風情で登校、その後「検査」の結果、治療のため妹が退学。自分もサッカー部と生徒会は辞めよう。大体そんな筋書きができている。なんせ二卵性の双子なのだ、その片割れが病気となったら周囲の同情も集まりやすいだろう。欺きやすいと考えている。 「ごめんな、無理させて」  でっち上げられる病気がなんなのか、悠真には分からないが、今現在晶が入院しているのは自分とのセックスのせいだ。 「お兄ちゃんだけのせいじゃないよ? それよりね……」  晶ももう心得ている。部屋から本を持ってきてと言い出した。 「ちょい待ち、もう一回言って? なんだって?」 「もう、『月と星の軌跡』シリーズだよ。本棚の真ん中の段に置いてあるの。背表紙が緑色だよ」  膳を下げに先程の看護助手の女性が来た。兄妹の会話を聞いている。 「あら、エメラルド文庫のでしょう? うちの娘もその小説大好きなのよ。挿し絵を描いてる漫画家も人気なのよね」 「うん、そう! 私、主人公のアリエスが大好き……」 「うちの子もよ。大きなポスター貼ってるわ。さてお熱測りましょう」  悠真は渋い顔でノートに作品名をメモしている。そのうち担当の看護師も来て二、三体調の確認、院長から指示された薬を飲ませ、そして明日の検査の予定を軽く説明して下がっていった。 「本当に仲良しなのね、うちの子たちも見習ってほしいわ」 「晶ちゃんて本当に可愛い子ね、将来女優さんにでもなりそう」  こうして多分周囲は欺かれていく。  時間が来た。あと五分で面会時間が終わるアナウンスが流れてきた。もうお別れのキスはした。 「学校終わったらすぐ来るから。おやすみ」 「おやすみなさい……、気を付けて」  晶は本当は泣き喚いてユウに側に居てもらいたい。でもそれはできない。  痛む胸を押さえて、消灯時間まで少し開けておいたカーテンの隙間から外を眺めた。ロータリーにあるバス停が見える。  大好きなお兄ちゃんが所在無げにバスを待っているのが見えた。思わず立ち上がって点滴のキャスターを引っ張り、窓辺に立った。彼の視力ならば見えるはず。案の定気付いてくれた。嬉しくてブンブンと手を振ってしまう。 『だいすき』  唇だけ動かしてそう伝えた。兄は軽く頷いてバスに吸い込まれていった。   15.中学生編2.  翌日。京香から説明を受け、昨夜飲んだ白い錠剤がピルだったことを伝えられる。看護師には解熱剤と説明を受けたが、実は細工をしたものだったらしい。そして改めて詳しく口頭でピルの効果と副作用について説明を受けた。 「まだ中学生の女の子がピルを飲んでいるのは不自然に思われちゃうから、今回は私個人が処方したの。そのうちママに一芝居打ってもらいましょう。ママに処方することにして、お家ではそれを飲んでもらうわ」  晶はこくりと頷く。そして副作用について聞いて顔が曇った。 「悪阻みたい……、嫌だなあ」  京香はそういえば、この子は前世で男の身でありながら、妊娠を経験しているんだったと思い出した。そのおかげで魔人は人口を増やした。そしてそれは四百年以上前のこと。目の前の少女は本来なら伝説の魔人なのだ、忘れてしまいそうになるが。 「確か一人目の時かなり辛かったのよね。でも個人差があるから、軽く済むかもしれないし。症状が出ても長くて三ヶ月程度だから。その時は頑張りましょう」  でも晶はもう副作用が出ることは決定のような顔をしている。京香は改めてネガティブに物事を考えやすい子なのだと思った。  そして経血量とおりものの量を聞いた。どちらもかなり減り、女性器の違和感もほぼ無くなったらしい。抗生剤が効いたようだ。軽症で良かった。 「じゃあ今日は型通りの検査を受けてもらうわね。担当の看護師さんの言うことをよく聞いて。怖いことはないわ、本当に型通りのものだから」  暗にこれも話し合った通り、中学を辞めて自宅療養にするための手順の一つだと知らせる。 「九時過ぎにはママが来るってさっき連絡が来たの。でも八時半からもう心電図の予約があるから行きましょう。ワイヤーの入ってないブラジャーを着けていると思うけど、どう? 金属の付いた下着は着てない?」 「着てない……」 「じゃあ大丈夫ね。心配しないで、優しくてベテランの看護師さんを付けるから」 「うん……」  そして京香は考える。昨日は「晶くん」としての一面を見た。でも今朝は大人しく儚げな女の子だ。念の為その辺を聞いてみた。 「タオさんがみんなに勘付かれるから、普通の女の子でいなさいって。じゃないとお兄ちゃんに毎日来てもらえない……」 「タオさんは確かユウさんの前世のパートナーだった方ね。親しかった大人の男性があなたを見てそう思われたなら、それが正解だと思うわ」 「うん……。だから今私は中学生なの。記憶が戻ってからは逆に自分がまだ子供なんだって、思えないんだけど」  そして晶は眉を顰めた。小さくても女だ、その表情は確かに「恋する女性」めいていた。  八時半前に落ち着いた態度の看護師が来た。晶は指示通り車椅子に座った。歩けるのだがこれも「手順」なのだろう。  そして女性スタッフだったが、下着を捲られ冷たいジェルを塗布されて、なにやら吸盤を胸や腹に貼られ。手首足首にクリップをつけられた。そして心電図を取った。恥ずかしくて怖くて、泣いてしまいそうになる。 「心電図取るの初めてよね、ごめんねもうすぐ終わるから」  今怯えているのは初めてだからだと思われている。でも本当は違う。もう十二年生きた今生より、前世を引きずっている晶には、これらの機械が怖いのだ。九時過ぎに佳子が来たので、そこで初めてほっとした。  その後嫌だったがまた婦人科で内診を受け、胸部レントゲン撮影、CT。午前中でそれだけ受けて、晶はいっぱいいっぱいになっている。  佳子は今日大学の授業は午後に振り替えてきた。今日は検査だけだから付き添わなくても大丈夫かと考えていたが、悠真が晶なら怖がると言うので、急遽そうした。どうやら正解だったようだ。  遅めの昼食を個室で摂りながら、晶はちょっと疲れたような顔をしている。 「俺の時代にはあんなのなかったんに」  今は佳子と二人きりだから、小さな声で愚痴を言った。やはり記憶が戻ってからは現代と違和感がある。 「そこはねー、ちょっとカルチャーショックだよね。魔震前にはあった技術だけど、確かに晶くんの時代には失われてた。だから人間の寿命も短かった。でも多分今の中学生の女の子が突然入院して検査受けたら、あんなもんだと思うよ? 変には思われてないよきっと」  佳子はこれらの検査が型通りのものだと分かっている。本音では婦人科系のトラブルがどうなったか一番心配していた。本当に軽症で良かった。今生も健康に生まれてきた佳子は、その手のトラブルで悩んだこともない。 「お兄ちゃん、今日は五限で終わるから、四時には来てくれるかなあ」  そして今は健気に中学生、妹を演じている晶を見る。長い長い晶の人生の全てに関わった訳ではないが、病気で死にかけた元人間の男性の晶、魔人へ変態し湛や律、そしてユウとの恋に生きた晶。そして本人たちは一週間というが約四百年を別の空間で生きた。そして縁あって今は自分の娘の晶。波乱万丈としか言いようがない娘を見た。  さて佳子は大学へ行かなくてはならない。悠真から渡された文庫類を晶に渡した。 「ママありがとう」 「大人しくしてるのよ、休んでてね」  美しくインテリの母親と、その可愛らしい娘。ナースステーション前に設置されているエレベーター前で、二人は手を振って別れた。これはとてもありふれた光景に見られているはずだ。晶はちょっと考えて自販機でドリンクを買って、部屋に戻った。ただ歩き自販機の前で少し悩む。お金を取り出し入れてボタンを押す。出てきたお釣りとドリンクを、足を揃えてしゃがみ、取り出す。それらの動作が姿勢が良く、流れるように嫋やかだ。たったそれだけのことが人目を引く。でも晶は自覚していない。他の入院患者やその家族、出入りの業者の者などが可愛らしい女の子に釘付けになったが、晶は関知していない。  十七時過ぎ、悠真が来た。制服のままだ。直に来たらしい。  晶は兄がドアの鍵を閉めたのを見た。真っ直ぐこちらへ来て、抱きすくめられた。すぐ口付け合う。 「あっ、ダメ、見つかったら……。んん……」 「もう少しだけ」  どうしてこんなひどいことをするんだろう。もう身体が疼いてきてる。昨日気を付けようって、約束し合ったのに。 「大好き……」  抱き締められ、耳をこめかみを、首筋を唇で辿られ、少し熱を持った指が手のひらが身体のラインを辿っていく。パジャマの裾から手が入ってきて、下着の下に潜り込んでくる。 「だめ……」  でももう無理。乳房を揉まれ指が乳首を掠める。 「んん……」  絡められ吸われる舌が気持ちいい。 「ごめん……。俺も変だ、全然我慢できない。本当にごめん」  もう十七時半、十八時から夕食だ。たまたまラッキーなことに誰も来なかった、今は部屋の鍵を外してある。二人手を握るに留めている。 「思ったより遅かった……」 「ごめん、生徒会辞めようと思って。担任に相談して説明するのが長引いた」 「辞めちゃうの? なんか勿体無い」 「書記の代わりなんているよ、うちのクラスの中山を後任に推しといた。……検温の時間か」  ドアがノックされ看護師が入ってきた。その前に手を離した。 「はい井上さん、お熱測ろう。お昼あんまり食べられなかったみたいだけど、夕飯は食べられそう?」 「分かんない……」  看護師は少し顔が赤い晶を見て、体温計が鳴るのを待っている。兄妹たちはなにやら学校の話をしている。兄は制服のまま、学校から直に来たようだ。話に聞いた通り妹思いな子だと思った。 「六度七分か、平熱ね。ちょっと顔が赤いけど暑いのかな?」 「私暑がりだから、脱ごうかな」  そう言ってカーディガンを脱いでいる少女は、顔が赤い以外は問題なさそうに見える。 「じゃあ心拍測るね、手首出して」  二卵性の双子だという兄は全く顔が似ていない。カバンからプリント類を出している。  宿題を持ってきたと会話している兄妹を見て、看護師は退出した。  多分何も気付かれていない。 「ふ……、ちゅっ、んん……」  多分食事の時間まで誰も来ない。キスくらいはさせてほしい。 「ユウさん、変……、前はこんなじゃなかった、あん」 「俺も今は子供だからね。なんか抑えらんない……」  そして声を出さないでと言われ、晶は口を押さえた。今は隠形の術だけ張って姿を消してある、気が急いていた。覆い被さり下着を捲って可愛い胸を晒した。ちゅうと音を立てて乳房を口に含む。 「……っ!」 「好きだ……」  早く抱きたい。晶の中に入りたい。全身こじ開けて見たい。まだ無理。 「あ……あ……」  晶はユウの変化にも戸惑っている。こんなに自制心のない人ではなかったのに。 「ごめん晶……」  そっとパジャマの上から内腿を撫ぜた。与えられるもどかしい愛撫に翻弄される。また下半身が疼く。 「やだぁ……」  トロリと、胎内から何か零れた。兄は熱い吐息を漏らし、胸を愛撫するのを止めてくれない。 「ん……」  怖いくらいこの人を愛している。  夕食が済み、また検温の時間がきた。井上晶の担当になった看護師は個室へ赴く。ノックして入るとベッドではなくデスクで何やら書いている。学校の宿題なんだろう。 「晶、そこさっき教えたろ? 方程式使って」 「え、足しちゃダメ?」 「それじゃ時間かかり過ぎる、それに方程式の意味ないだろ」  どうやら数学が苦手なようだ。 「井上さん、熱測ろうね」  看護師は晶の顔が上気しているのが気になる、しかしとりあえず体温計が測定を終わるのを待つ。 「あら微熱ね……。七度三分ある。寒気とかする? 今日はお風呂やめておきましょう。氷枕持ってくるから」 「でもまだプリントが……」 「無理しなくていいよ、林田先生も分かってるから」  林田は晶の担任だ。あの林田である。  兄に促されベッドへ戻る少女の姿を後ろに、看護師は氷枕を取りに行った。 「ごめん、熱があったなんて気付かなかった。いつからあったんだろう」 「分かんない……」  晶は自覚がない、おでこに触れてみる。悠真は妹の手を取る。……熱いような気がする。これも初潮によるホルモン変化のせいだろうか? それともピルを飲み始めたから?   看護師が氷枕を持ってきた。 「じゃあ俺帰るよ。宿題はほんとに無理しなくていいから。洗濯物持ってくよ」 「え……、やだ、つまんない。八時までいて?」 「駄目だよ、熱上がるかもしれないだろ?」 「でもつまんないし寂しいの」 「しょーがないなあ。検査の時は母さんも来てくれたろ? わざわざ講義の時間ずらしてくれたんだぞ」 「お兄ちゃんも何かあるの?」 「ないけどさ。……分かった八時までいるから」  これらのやり取りは半分演技だ。仲の良い兄妹であることを印象付けるためにしている。今夜の担当になった看護師も、横になってお話しするくらいならいいと言って出て行った。こうしてまた一人欺かれていく。  鍵をかけた室内で晶は着替えをしている。正確にはセックスのついでに服を替えている。どうしてこの人はこんなに違ってしまったんだろう?  「だめ、きたな、い……」 「晶は汚くない。もっと見せて」 「だめ、まだ血が……、あふ……」  上から順に熱い湯で絞ったタオルで清拭されながら着替えて、キスを受け、小さな乳房を吸われた。こんなに求められることに、大きな歓びと戸惑いがある。今はショーツを下され、脱いだ服を下に敷かれた。足を広げられる。噎せるような血の匂い。 「ごめん……」  悠真は謝るけれど決して止めてくれない。今は初めて女性器を舌で愛撫されている。血ではない何かがトロリと溢れる。 「ユウ、さん……」  異常なことだと分かっている。この人が自分とは違って自制心の強い人だったことも。でも今は。このまま一緒に堕ちていきそう。  優しく舌でクリトリスと外陰部の肉を愛撫された。最後一度だけ舌を割れ目に差し入れられた。 「あっ、あ……」  ぴちゃりと音を立てて熱い舌が抜かれた。相変わらず口元を手の甲で拭っているこの人が、本当に好きだと思った。  愛している、今は妹な人を見た。淫らに足を開いて蜜を零している。血の流れた白い内腿にキスをして所有の証を付けたい、……できない。  そして恥ずかしいから外へ出てと言われ素直に出た。多分下半身だけシャワーを浴びて着替えるんだろう。  ユウはふらりとデイルームへ行って新聞を読むふりをしている。 (今自分がおかしいのは血のせいでないか)  生理中、しかも初めてのそれを迎えた彼女を全く気遣えてない。欲しかない。そして血の匂いにクラクラする。  今でも自分たちは血に縛られているのだろう。  一週間経ち土曜日、晶は案の定ピルの副作用で発熱を繰り返し、目眩と嘔吐感から食事が摂れず、週半ばから栄養点滴を受けている。そして情緒不安定でやはり悲しい。  毎日来てくれるユウは嬉しいが、中途半端に求められて、それはちょっと苦しい。もう初めての生理は終わった、いっそ抱いてほしい。そんなぐちゃぐちゃな気持ちで、涙が出て止まらない。  十時から家族が来て、京香と話し合うことになっている。自分はどうなってしまうのだろうか。 「慢性変異型膠原病? 膠原病は聞いたことあるけど」  個室に集まった繁仁と佳子、ユウと晶。そして京香。京香は一週間、検査データから割り出して、「学校へ通うのが難しく、悪化した時のみ入院が必要。普段は自宅で投薬治療」になるような病気を考えていた。そして晶が紫外線過敏症(これはすでに診断が出ている)なこと、今までもしょっ中発熱していたこと。そして今はピルにより発熱していることから、これが一番自然で無難な診断名だと説明した。 「国に難病指定されている、数万人に一人の病気よ。特に遺伝性ではない、誰でもなる可能性があるの。その中でも特に原因不明ということで『変異性』という診断にしたわ。もちろん実際に晶ちゃんはその病気ではないけど、元々膠原病のようによく熱を出すし、虚弱体質の言い訳も立つわ。それが今回たまたま入院したら検査で見つかった……という線で行きましょう。それと病気療養児のための特別措置型通信制教育なら、高卒、大卒まで取れるし、それを受けるなら退学許可も降りやすい。もちろん卒業資格を取るには本人の頑張りと学力は必要だけれど。これでとりあえず成人まで親元にいて、その後は二人で生きていくのもアリだと思う」  繁仁と佳子、ユウは、京香すごい、よく都合のいい病気と診断を出してくれたと思った。さすが四代目蘭華。  晶はちょっと難しくて病気の名前も読めていない。 「まんせい、へんい……がた……読めない……」 「こうげんびょうだよ。この字はこうって読むの」 「え、俺そんな病気なん?」 「違うよ、その病気だっていう設定で、中学校は辞めるんだって」 「う……」  ここで晶が嘔吐感により横になった。 「ごめん、まだピルに慣れてないんだよな。辛い?」 「咲良の時より、平気……」  今は「晶くん」な晶、ユウに気遣われてほっとしている。  その後、この病気ではピルは出せないことから、今後は「佳子」に処方することになると話した。 「えー……。待って、今の魔人の寿命だと俺は百歳前後で死ぬよ? その後はどうするのさ?」 「いや、数年すれば晶くんは成人なんだから、自分でもらえばいいんだよ。今ロウと京香ちゃんに一芝居してもらうのは、晶くんが未成年だからだよ」 「あっ、そっか」  現在母親な佳子、なんだか混乱してきたらしい。 「佳子さん大丈夫、四代目蘭華は伊達じゃないのよ。私は全部診られるから。お互いの都合のいい時に婦人科の予約をすぐ取れるようにしておく、二、三分の『診察』で一年分出せるから。仕事に支障も出ないわ。その時たまたま晶ちゃんが同席していても、そんなに変に見られないと思う」  この時代、低容量ピルの処方は最大一年分となっている。そして母親にくっ付いてきた呈にして、晶を診ることもできる。シゲルとロウは助かるなあと思った。 「それと、この病気は普段は自宅療養と投薬治療なの。希望があれば今日退院も可能よ。でも晶ちゃんまだ食事が……」 「退院する。お家に帰る、ご飯頑張って食べる……」  晶ががばりと起き上がってそう言った。もう不便な入院生活は嫌なのだ。ずっとユウと一緒に居たい。  これには京香も苦笑し、シゲルとロウは帰宅したら速攻えっちするんだろうと思って、頭が痛くなった。ユウはとりあえず平常心を保っている。  点滴の処置などで、晶以外の者はナースステーション横のカウンセリング室へ移った。京香から聞きたいことがあるという。 「ねえ、そもそも晶ちゃんのセックス依存を根本的にどうにかできないかしら? 心理療法を勧めるけれど」 「無理」  室内がわずかに寒くなった。冷たい声でユウが言い放つ。 「無理って、試してもいないのに……」 「違うんだ京香さん。血を分けた俺も血に縛られてる。晶はセックス依存なんじゃない、恋に生きることが本分なんだ。それとあの時代の価値観から子孫を残すことを第一に考えてる。だからああいう生き物なんだ。現代と違って能力者が術を使い放題してた頃、一世に『作られた』のが晶だ。『作った』奴の影響が大き過ぎた。これは晶に血を分けた中でも、俺と湛と律の問題だ。今は俺も未熟だから難しいけど、一生かけてもその呪縛から晶を解き放つ。……俺だってこのままでいいとは思ってないよ」  ここで言うだけ言ったユウは出て行った。京香は言葉もない。  晶が血を飲み、魔人へ変性する過程を見てきた繁仁と佳子も、言葉が出ない。やっぱりユウはユウなのだ、晶を守り傷付けないことを第一義に考えている。そして。 「やっぱりユウだな。それができるとしたらあいつしかいないよ」  繁仁は呻く。六十年は血を飲まされ呪をかけられていた晶を、湛から解き放ったのはユウだ。佳子もその昔「ユウといて晶くん随分落ち着いたよね」、そう自分が言ったのを思い出す。 「うん、ユウに任せるのが一番だと思う」  佳子もそう呟いた。  京香は「湛」とは何者なのか、改めて調べたくなってきた。  手続きを済ませ当座の薬を受け取って支払いをし、繁仁は事務所へ戻った。佳子と悠真は晶を気遣いつつタクシーで帰宅した。晶は一週間ぶりの自宅に安堵を覚え、とりあえずリビングのソファーに休んだ。 「ユウさん……来て……」  もっと強く抱き締めてほしい。キスしてそして……。ちょっと目眩がするけど気にしない。 「おかえり。後でね」  後で二人きりに。そんな小さな約束が嬉しい。二人ソファーの上でキスをした。とても幸せな時間。  佳子は留守電を再生している。仕事に行ったはずの繁仁のメッセージ。そして直孝からのメッセージ。慌てて時計を見る。あと二十分で二人とタオが来るらしい。 「ちょっとそこ! まだ部屋行かないで、待って。保健室の先生のこととかでタオと直孝が来るから」  ユウと晶は「今?」ときょとんとしている。 「えー、晶体調は? 怠くない?」 「ん、怠いの……お部屋に行きたい……」 「はい! もうみんな来るから! 来るからね!」  佳子はもうなんか今夜からこいつら常時合体なんだろうと思うと、嫌になってきている。  予定より早めに到着した直孝は、同伴者を伴って先にお邪魔することにした。ロウが出迎えた。 「こちらは? 直孝の親戚の子?」 「ロウくんは美人だなあ、才女って感じ。久しぶり、俺、伊織」 「え?」 「伊織。今は桜井康介。よろしく」 「え〜?!」  ロウは直孝が連れて来た子供……もしかしたらユウ達と同い歳くらいではないだろうか、男子を見詰めた。 「ほんとだ、伊織じゃん。直孝よく見つけたね」 「それは後でみんな揃ったら話すよ」  直孝は相変わらず人当たりの良い笑顔を見せ、手土産の焼き菓子をロウに渡している。  リビングではすぐに伊織だと分かったユウと、誰だろうと思っている晶がいる。知らない子が突然来たと思い、思わずユウの影に隠れるように寄り添った。 「相変わらずだな晶くんは。伊織だよ、覚えてない?」  伊織は晶が女性に転生したことは聞いていた。しかしその美少女ぶりにちょっと驚いている。晶は「伊織」だと言われてもなんとなくピンとこない、ユウの後ろにいる。 「晶、伊織だよ間違いない。大丈夫だよ。なんか俺らよか少し上? どこ中?」 「ユウさんもあんま変わらんね。俺は南都の三年だよ、君らよか年上だ。晶くん俺が分かんないのかな? ほら、晶くんのおかげで冥府へ行けて、玲衣に会えたじゃん。今でも感謝してるよ?」 「伊織さん……?」  晶は玲衣と聞いてようやく合点がいったが、また目眩がしてきた。ユウに膝枕してもらってソファーに寝ている。晶は横になってユウと話している伊織を見る。漆黒の髪と飄々とした喋り口調が、確かに伊織だと思い出していた。  繁仁とタオこと大田太一も着た。まず伊織を連れてきた直孝が話し出した。 「今日は本当なら、うちの党のゴルフコンペに行くんだったんだけど。俺が桜井さんを送迎する日だったんだ、桜井さんて分かる?」 「まさか、あのサクラ銀行の?」 「え? 伊織が奈良第一蘇我葛城総合郵政北斑鳩桜井銀行で、あの『サクラマークのサク銀』の子供なのか?」  繁仁と太一が答えた。佳子は伊織が銀行一族のボンボンなことに驚き、ユウはタオよくあの長い名前言えたなと感心した。サクラ銀行は吸収合併を繰り返し、やたら長い名前で不評だったため、去年サクッと「サクラ銀行」に改名されたのだ。  直孝は微笑んで頷いた。 「そう、その奈良第一蘇我葛城総合郵政北斑鳩桜井銀行こと、サクラ銀行の社長の次男。今日初めて顔を合わせたんだけど、すぐ分かったよね?」  直孝も無駄に長い名前を穏やかに言い切って、伊織に向き直った。 「まあ、俺は『久保直孝』があの直孝さんだって、もう分かってたけどね。でも今は違う人生生きてるし、まだ未成年だし、どうでもいいやって思ってたんだけどさ。まあなんだ、なんか嬉しいよ、みんなに会えて」  そこで二人は一芝居打ち、ゴルフは欠席、伊織を友人の子供たちに紹介したいと、連れて来たらしい。とりあえず皆で再会を喜んだ。  繁仁は伊織が南都学院の生徒で、現在三年生か……と思い聞いてみた。南都学院は悠真が通う奈良都立中部中学の特進コース並みの、偏差値や内申点が必要な私立中等校だ。 「ふーん。伊織はさ、奈良第一蘇我葛城総合郵政北斑鳩桜井銀行の息子としては、いいとこの成績取っておけってこと? 伊織は将来見据えてんの?」 「いや、親が言うから。一応Aクラスにはいるけど、ギリギリだよ。体裁保ってるだけ」 「ねえ、その長い名前言う必要あった?」  佳子は舌噛む……と思いながら言った。繁仁は笑っている。 「まあ、息子と娘の良きお友達になってくれるといいなーと思ってさ。ロウだってUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland ……大英帝国及び北アイルランド連合王国の出身じゃん? 長い長い」 (この二人相変わらずなんだな) (まあロウくんが女性に生まれ変わったってだけで、外面はともかくこんなもんだよ) (俺が確認のために古い方の銀行名を言ったのが悪かったのか?)  現在井上邸内はユウが遮断の結界を張ったので、全員術や能力が使える。思わず念話で話し合った伊織、直孝と太一だった。  ユウは晶には友人が必要だとは思っていた。しかし。 (古い馴染みだけど男……)  一抹の不安がよぎった。  次に太一から報告があった。 「奈良中の保健医、やっぱり藍良くんだったよ。伊織がさっき言ったのと同じだな、彼の性格上、自分から名乗り出ることは避けて、気配も消すよう努めてたそうだ。教育現場での子供達への心理的な配慮について、ランダムに選んだ保健医と話し合いたいって名目で呼んだんだが、相当腹の探り合いをしたよ。でもユウと晶くんのことはすぐ気が付いて、入学した時から見守ってたらしい。特に晶くんのことは現世でも身体が弱いのかと、心配してたそうだ」  ユウたちの中学の保健医、小川貴幸。太一は続ける。 「ただなあ。彼は五十六歳なんだそうだ。つまり俺らより早く転生してきた。純粋な一世の俺たちより遅くに亡くなって、それなのに早くだ。やっぱ人柄が良かったからなのかな?」  これには全員がそれぞれに驚いた。ここでチャイムが鳴った。 「ああ、藍良くんだと思う。都合が付くか分からないって言ってたけど、来られたら来てくれって頼んでたんだ。すまんな、勝手に住所教えて」  太一は繁仁と佳子に断り、玄関へ迎えに行った。佳子も付いていく。ドアを開けると男性(見た目は二十代半ば)、そして高校生くらいの男女。 「タオさん、こんにちは。月人と葉月も連れて来ました。ロウくん久しぶりだね」 「こんにちは。お久しぶりです」  月人と思われる身長が高く瞳の大きな美少女は、行儀よく挨拶した。ロウと同じく170センチはありそうだ。 「いや、マジ誰んちだよここ?」  そして隣の葉月は……態度が悪かった。  藍良は特に晶を心配していた、晶の現状を聞き、前世を思い出し不安定な晶の心では、現在兄である恋人のユウとの関係を隠し切れない。その為病気ということで退学するのも納得した。  そして月人と葉月を紹介する。 「つきは今生では俺の姪っ子なんです。大宮颯良。葉月は……」  ここで晶が立ち上がって叫んだ。 「やっぱり『カーバンクルちゃん』の颯良ちゃんだ! 『みんなでクッキン♡ミニパティシエ』の!」 「そうです! 見ててくれたんですか? 嬉しいな」 「ほんとにほんとにカーバンクルちゃん? 私カーバンクルちゃんの『マシュマロ☆マジカル☆パステルフィーバー』大好きだった、よく踊ってた……」  ここで藍良と葉月以外、全員ポカーンである。ユウだけは、晶が奈良国営放送教育で放送されていた子供向け情操番組の、そのコーナーのファンだったことを知っている。朧げにカーバンクルちゃんを覚えている。まさかあの子が月人だったとは。ウイッグでピンク色の髪、軽いメイクをしてフワフワの衣装を着ていたから、全く気付かなかった。しかし言われてみれば顎の黒子が一致する。ロウもそのうちそう言えば幼稚園の頃、晶が辿々しく歌って踊っていたなあと思い出した。 「かわいいねえ……、かわいいは正義だよ」  直孝は目を細めて、月人と晶が歌いながら踊っているのを見ている。 「本当にカーバンクルちゃんだ。今は? もうテレビには出ないの?」 「はい、カーバンクルは小学生まででしたからね、今は三代目カーバンクルちゃんが出てますよ。私はその後は『ミーカ』でモデルをしたりしてて、今は大学受験の為に芸能活動は休止中です」  因みに『ミーカ』は女子中高生向けのファッション誌である。晶は別の出版社の『ティーンズラブリー』、略して「ティブリー」を愛読していた。 「買う、ミーカ買う……」 「あ、いえ。もうミーカのお仕事はしていないんです。すみません」 「そうなん? でも見たいな」 「じゃあ今度何冊か持ってきますね。あとまだ秘密ですけど、無事大学に合格したら『スウィートme』の専属モデルにならないかって、お話がきてます。良かったらそちらを楽しみにしててください。でもなんだか照れますね」 『スウィートme』は『ミーカ』のお姉さん雑誌だ、女子大学生から二十代半ばまでを対象としている。晶は羨望の眼差しで颯良を見ている。  ここでユウとロウは首を傾げた。晶は記憶を取り戻してからは前世を引き摺り、「俺」と自分を呼んだり、女子中学生であることを忘れたかのようにユウに溺れていたのに。理由は分からないが、今は普通の女の子の様子だ。  さて葉月である。 「葉月は月人と同い年の幼馴染なんですけど、明らかに葉月で現世でも葉月が本名ですが……。特に前世を思い出したりはしてないです。もしかしたらオリジナルだったから、前世を思い出すのが遅いのかもしれません」  藍良はそう説明した。葉月にしてみればさっぱり分からない。今日はなんだか見ただけで裕福な、知らない人の家に連れて来られた、場違い感があってか不機嫌になっている。 「正直さ、なんで俺がここにいんのか全然分かんないんだけど。前世の話も聞いたけど信じられねえし。マジ、颯良が来いって言うから来ただけなんで」  葉月は正直、颯良こと月人の伯父である貴幸が苦手である。幼馴染で友人の颯良と普通に接しているつもりなのに、干渉してくることがあるからだ。今日は本当に颯良に引っ張られる形で来たのだ。とりあえず子供達は改めて自己紹介し合った。 「えー……。なんか俺だけじゃん、頭悪りぃの」  葉月、露骨に嫌そうな顔をした。晶はともかくユウ、伊織、颯良は進学を見据えた偏差値の高い学校、クラスに通っている。葉月は本当に中の中な高校に在学中で、特に進学を考えてなかった。 「でもはづは夢があるでしょ、音楽の専門学校に行くんだよね?」 「おう、ぜってーバンドで飯食ってく! 夢は二十代のうちにNARAドーム公演!」  ここでユウとタオが昔を思い出してしまった。シゲルはしらばっくれている。 「葉月くんはパートは何かな?」  タオが聞いた。ユウは無言で部屋へギターを取りに行った。 「俺はボーカルですけど。でも他のメンバーがイマイチやる気ないんだよな……」  そしてユウがアンプとシールド、ギターケースを抱えて戻ってきた。ケースからギターを取り出す。 「すっげー! いいなぁ、ナラミのポンティアックじゃん!」  ユウが持ってきたギター「ナラミ」、奈良音楽工房こと、奈良ミュージックアトリエ「NMA」の最新モデルである。中学校の入学祝いに買ってもらったものだ。 「アンプもYAMATOの家庭用ミニライトシリーズの一番グレード高いやつ、お前なんか弾ける?」  ユウ、ちょっと楽しくなってきた。クリックを鳴らして十代に人気のバンド、CRAWLのヒット曲のソロパートを弾いてみせた。葉月が身を乗り出してくる。続けてAメロのバッキングに入る。 (なかなか歌えてる、すごいじゃん)  葉月が歌い出す。声の伸びがイマイチだが音程や声量は抜群にいい。 「いいじゃん、将来楽しみだね?」  前前世では同じくボーカルをしていた佳子も悪くないと思ったらしい、藍良と月人に向かってそう言った。藍良は思わぬことだったが、前世の記憶のない葉月を連れて来て、結果的に良かったようなのでほっとしていた。晶には昔の仲間が付いていた方がいいだろう。  さて、葉月が相当粘ったが、悠真は晶のために生きることを第一に考えているため、バンドに加入するのは断った。その代わりいつでも音楽の話、相談をしに遊びに来ていいと言うと、一応納得して帰っていった。晶は「カーバンクルちゃん」と会えて嬉しかったらしい、上機嫌だ。
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