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私はとある経営グループの社長の一人娘で、それはもう蝶よ花よと育てられた。
何という時代錯誤な話だが、いつか親が決めた人と結婚する事になっていたし、私もそう思っていた。
来る日に向けて花嫁修行と、幼稚園から大学まで一貫の、お嬢様学校に通う日々。
一度反抗して、高校の2年間だけ普通の学校に通わせてもらった。
かなり両親と揉めたけど、その2年間は私にとってかけがえのない財産となった。
大学を卒業し、小さな楽器店に就職。事務員として働いた。
そして3年が経とうとした頃に、私は夫と出会った。
彼はうちの会社の社員で、社長である父のお気に入りだった。
私は一人娘なので、婿入りして今後会社を引っ張ってくれる様な優秀な人材を探しており、彼に白羽の矢が立った。
彼との結婚は、お見合いだ。
この様に大事に大事に育てられた私は、男性に対して免疫がなく、一度も恋愛関係を持った事ない。
特別に行かせてもらえた高校の2年間で何人かから告白してもらったけど、よく分からなくて全てお断りした。恋愛にまつわる話といえばそれくらい。
そんな私の目の前に現れた彼は、とても紳士的で、そんな愛想のいい人ではないけれど、誠実な言葉と行動に惹かれてしまうのには。時間がかからなかった。
私は喜んで彼との結婚を受け入れた。
とんとん拍子に話が進み、無事結婚。
誓いのキスを頬にされたのは不服だったけど、わたしは幸せの絶頂だった。
ところが
『もう少し、お互いの事を知ってからにしましょう』
結婚して初めての夜。
うきうきでベッドメーキングしていたら、彼は私にそう言った。
実は父が、私の想いに気づいてか半ば強引に事を進めたために、私達はまともなデートをせずに結婚に至った。
よく考えたら、確かに私はこの人の事を深く知らない。
『そう、ですね』
きっと彼の事だから、私の事を大事にしてくれているんだ。そう思って、来る日に向けて私は待ち続けた。
けれど、それから半年経った今も、彼は私と一緒に寝てくれない。
もうさすがに敬語を使うのはなくなったし、お互いの生活リズム、嗜好も分かってきた。
気難しい顔をしているけど、たまに抜けている所や、手巻き寿司が好きな事も知っているのに。
お互いの事を知ったらっていつ?
まだまだ彼の知らない所があるの?
そんな悶々としたまま、今日に至る。
「あんた、まだ旦那とヤってないの!?」
とあるカフェの昼下がり。
おしゃれな場所ににつかわない言葉がテラス席に響く。
「ちょ、ちょっと真子まこちゃん!声が大きい!」
必死にシーと人差し指を口に当てる私を知ってか知らずか、全く気にせず真子ちゃんがストローでオレンジジュースを飲む。
彼女は例の高校2年間で得る事ができた、私の最大の財産。
真子ちゃんのおかげで、私は全くの世間知らずなお嬢様にならなくてすんだ。
自ずと、こういった相談は、もっぱら彼女にしている。
「こーんな料理上手で自分に尽くしてくれる可愛い子と暮らしてるのに、よく手を出さずにいられるわ。
見るからに堅物そうだったけど、まさかここまでとは」
「…ねえ、私って可愛い?」
「は?可愛い。どちゃくそに可愛い」
よかった。少しでも女として見てもらいたくて、スキンケアも頑張ってるし、朝もそれなりに身支度しているのだ。
当の本人は全く反応してくれないけど。
「あんたってそういうの素で、しかも本気で聞いてくんのよね。
憎めないキャラなのが羨ましい〜」
そう言ってケーキを口に運ぶ真子ちゃんに、私は意を決して今朝のことを話す事にした。
「で、でもね。今日、事件があったの」
「な、なに…。」
私のただならぬ雰囲気に真子ちゃんも真顔になる。
「私の口元に、朝食の卵がついててね。
私がうまくとれないから、彼が、親指で、拭ってくれたの。
しかも…その後、それを、舐めたのよ!ぺろって!!
ぺろって!!!」
「ちょ、かほり、落ち着いて…」
いけない、今度は私が興奮してしまった。
周りの視線がこちらに向いている様な気がして、体を縮こませる。
「一瞬そんな事か、と思ったけど…
ふーん、確かにそれはなかなかのキュンポイントだね」
「でしょでしょ!私顔から火が出るかと思っちゃった」
「ふうん、なるほどねー」
もっと共感してくれるかと思ったのに、何故か真子ちゃんはしばらく思案顔になった。
私が首を傾げていると、真子ちゃんが思い付いた様に言った。
「かほり、あんたさ、明日の朝寝坊しなよ」
「え!?」
まさかの提案に驚く。
「化粧も、髪もセットしなくていい。
なんなら部屋着のままでいいからさ」
「な、そ、そんな事できないよ!
食べさせてもらってるのに」
「まあまあ、素直に私の言うことを聞いてみて。
あんたって生い立ち的にしょうがないんだけど、ちょっと完璧すぎるんだよね。
少し隙を見せたら?
毎日頑張ってるんだから、一日くらいサボったって平気よ」
「そ、それでどうなるの?
圭一さんが困るだけじゃない?」
「どうせ、旦那も早起きなんでしょ?
大丈夫、やってみなって。
きっと新しい一面が見られるから」
私と違って真子ちゃんは恋愛経験豊富だ。
彼女がそう言うんだから、きっとそうなのかもしれないけど、なんだか複雑。
結局私が何言っても、大丈夫だからの一点張りで、その日は別れた。
彼はいつもよりちょっと早く帰って来た。
恐らく今朝、手巻き寿司にするから、と言ったからだろう。
そんなに楽しみにしてたくせに、特に何も言わずに黙々と食べる。
こんな頑なに仏頂面する人の新しい一面なんて、本当に見れるのだろうか。
そして今日も変わらず別々の部屋で眠る。
半信半疑で私は目を閉じた。
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