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目が覚める。
時計を見れば5:30。
また、目覚ましより早く起きてしまった。
けど今日はいつもと違う。
私は寝坊するのだ。
罪悪感が込み上げてくるが、1日でも早く進展させたい私はぐっとこらえてそのままベッドで横になる。
(真子ちゃん…!信じるからね!)
そう思いながら、私は彼が起きるだろう時間までスマホを触って過ごす事にした。
コンコン、とドアをノックする音で私はハッと意識を取り戻す。
時計を見ると7:00。
「嘘でしょ…!?」
寝坊するふりをするつもりが、いつの間にか意識を失って本当に寝坊してしまった。
今まで二度寝なんてした事がなかったから、自分を信じ過ぎてしまった。
7:00はもう彼が出勤する時間。
そしてこのノック音は絶対に彼だ。
転げ落ちる様にベッドから降りて、慌ててドアノブに手をかける。
「ご、ごめんなさい!私!」
扉を開けると、予想通り驚いた表情の彼がそこに立っていた。
「良かった。珍しく部屋から出て来てなかったから、何かあったのかと。
起こしちゃってごめん。」
「ううん!本当にごめんなさい!
何か食べた?でももう出る時間よね?」
一人あわあわする私に対して、彼はなぜか動じていない。
「大丈夫、まだ時間はあるし」
「え?そうなの?」
「ああ、9:00までに行けばいいから。
俺が早めに行ってただけ」
そういえば結婚当初は、もうちょっと遅めの時間に出勤していたかもしれない。
私が起きる時間が早くなるにつれ、彼の出勤時間も早くなって行った事に今気付いた。
(もしかして、私に気遣って…?)
「…すごい寝癖」
そう言いながらフッと笑った空気を感じて、思わず彼の顔を見た。
いつもの仏頂面だけど、何だか少し、柔らかい様な。
ていうか、
「え!?寝癖!?」
ふと彼の言葉を反芻して一気に顔が熱くなった。
慌てて髪を触る。
確かにぴょこん、と右側の髪が跳ねている気がする。
「直しておいで」
「…そうする」
私は彼から隠す様に髪の毛を両手で抑えながら、洗面台へと小走りで向かう。
髪を濡らしてドライヤーをかけながら、さっきの何とも言えない初めて見た表情を何度も反芻して、頬が熱くなる。
(真子ちゃん!あなたは本当にすごい!!)
早速新たな顔が見れて、なんだかワクワクしながらキッチンへ向かうと、なんと彼が冷蔵庫から材料を取り出していた。
「えっ圭一さんって料理するの?」
「君と結婚する前は一人暮らししてたし、それなりに。でも君ほどじゃないよ」
彼はそう言って冷蔵庫を閉めると、何かを探す様な仕草を見せる。
「あ、フライパンとかお鍋はこっちなの」
必要そうな道具を出す。材料から見て、どうやら和食の様だ。
「よく分かったね、今日ご飯食にするつもりだったの」
「炊飯器に炊いてるご飯あったから。
で、俺はどうしたらいい?」
まさかの言葉に私は目を丸くする。
「え、作ってくれるんじゃないの?」
「本当に腕は君ほどじゃないんだ。
野菜を切るとかは手伝えるから、味付けは君がして」
「…はーい」
少し残念だったけど、一緒に朝食を作るなんて嬉しすぎる。あ、そうだ。
「圭一さん、シャツが汚れたらいけないから、はい、これ」
そう言って私のエプロンを差し出す。
「…いや、いいよ」
私が普段使っているエプロンは、わりと柄物が多い。
これでも控えめなストライプな物にしたけど、明らかに女性ものだ。
「でも、油汚れとかついちゃったら洗濯大変なのよ?」
「…分かった」
明らかに嫌がっていたが、彼は渋々着てくれた。
私の手を煩わせるのを、彼は多分嫌いなのだろうとおもっていたけど、やっぱり、そうらしい。優しい人。
「…ふふ」
がっしりした成人男性が、女性物のエプロンを着るというミスマッチ感。
こんなの笑わずにはいられない。
「…笑ってないで手伝ってくれ」
そう言って、腰の後ろでもたもたしている手つきをしている彼が言った。
「あなた、リボン結び苦手なの?」
「…こんな後ろ手でリボンを結ぶ様な服は着ない」
確かに。私はにやにやしながら彼の腰にリボン結びしてあげた。
(楽しい!もう楽しいよー!!)
窓を開けて叫びたくなる衝動を必死に抑える。
そして私もエプロンを着用して、彼と一緒にキッチンに立った。
味噌汁に使う出汁を取る。
彼は隣でその味噌汁に使う野菜を切っていた。
小松菜と、茄子。そんな切るのに難しくない野菜だけど、全然危なっかしくなく、手慣れた様子。
本当に料理してたんだ、と実感する。
そんな様子を見ていると、やっぱり願望が出てしまう。
「ねえ、圭一さん。
卵焼き、作れる?」
彼の動きがぴたり止まる。
「…俺は、手伝うだけだと」
「作れる?作れない?」
「作れる…が、君ほどじゃ」
「食べたい!圭一さんの卵焼き!」
我ながらおかしなテンションだったと思う。
でも初めて夫婦らしい事をしているのだ。
こんなチャンス、もうこないかもしれない。
彼はまた渋々了承してくれて、私は心の中でバンザーイ!と大きく叫んだ。
味噌汁と、焼き魚の様子を見ながら彼の手元を盗み見る。
彼は上手に卵を割り入れ、調味料を入れていた。
(塩とマヨネーズいれるんだ…へー!)
うちはもっぱら卵焼きといえばだし巻きだったので、感心する。どんな味になるんだろう。
「…あんまり見ないでくれ」
彼はそう言って卵焼き用のフライパンを取り出すと、火をつけて焼き始めた。
およそ半年のブランクがあるにも関わらず、くるり、くるりと綺麗に巻かれていく。
結局最初から最後までガン見していた私は、完成した卵焼きがお皿に盛られた瞬間に、思わず拍手してしまった。
「すごいすごい!圭一さん上手!」
「………」
圭一さんは照れているのか、無言で手を洗い、さっとフライパンを洗う。
私は上機嫌で完成した品をテーブルに並べていった。
さあ、二人で作った朝食の完成だ。
「「いただきます」」
二人で手を合わせ、食べ始める。
最初の一口目はもちろん、主役の卵焼き。
一口サイズに切り分けて、はやる気持ちを抑えながら頬張った。
「…おいしい」
味付けは塩だけなのに、マヨネーズのおかげでコクが出ていておいしい。おいしすぎる。ご飯が進む味付けだ。
「圭一さん!すごい!とってもおいしいよ」
「大したことない。君の卵焼きの方がおいしい」
さらりと褒められて、返す言葉を失った。
なんだ、美味しいと思ってくれてたんだ。言ってくれればいいのに。
急に恥ずかしくなって、その後はいつもの様に黙々と二人でご飯を食べた。
もう嬉し過ぎて、楽しすぎて頭がおかしくなりそう。
寝坊しただけなのに、こんな幸せな朝になるなんて。
今まで完璧な妻になる事に必死になっていたけど、真子ちゃんが言う様に、隙を見せるってとても大事な事だったんだと気付く。
時計は8時を過ぎていた。
もうそろそろ出勤しなくては。
しかし彼は、ゆっくりと食器を洗っていた。
「圭一さん、後は私がやるから。
さすがにもう出た方がいいんじゃない?」
「ああ、大丈夫。出勤時間を一時間ずらした」
「えっ大丈夫なの?」
「普段早く行ってたから。1日くらい、大丈夫」
正直楽しすぎてまだ一緒にいたかった私は、心の中でまたバンザーイ!と叫んだ。
「じゃあ、コーヒー淹れるね」
「よろしく」
食器は彼に任せて、私はいつもの様にコーヒー豆をミルで挽いていく。
いつの間にか食器洗いを終えた彼は、今度は私の手元を、じっと見ていた。
「いつも、そうやっているんだな。
なんというか、大変そうだ」
「そうだけど、お湯の入れ方で味が変わったりするのよ。私もいろいろ研究したから」
「…そうだろうな。
この間取引先で出されたコーヒーを飲んで驚いたよ。
君のコーヒーはすっきりしていて、雑味がない」
私は卵焼きを褒められた時よりも、舞い上がった。
それくらい、こだわっていた事だったから。
手元が震えそうになるのを必死に堪える。
私が手間暇かけていた事を、彼も知ってくれていたのだ。
何も言わないから、てっきり気づいていないと思ったのに。
この人は、言葉が足りなさすぎる。
だけど私が、それを言ってくれる様な隙を見せていなかったからかもしれない。
中々触れてくれない彼にやきもきしていたけど、近付けさせなかったのは私だったのかもしれない。
そう気づいたら、なんだか目頭が熱くなった。
雑談しながらコーヒーを飲んで、ついに彼が出勤する時間になった。
私は自分でも分かるくらいシュンとしていた。
夢のような時間が終わってしまう。
革靴を履く彼を黙って見つめる。
彼が立ち上がった。
「じゃあ、行ってくる」
「うん…行ってらっしゃい」
私はなるべく笑顔を作って鞄を差し出す。
彼はそれを受け取ったが、その場から動かなかった。
どうしたんだろうと思っていたら
「今日早く帰るから」
「え?」
「今日、早く帰ってくるから」
一気に心が躍り出す。
「いいの?朝もゆっくりだったのに」
「さっきも言ったけど、最近働き詰めだったから」
じゃあもういっそ休めばいいのにというわがままはさすがに飲み込んで、代わりに笑顔で頷く。
「どこか食事しに行こう」
「ほんと?」
「ああ、また連絡する」
「うん!分かった!行ってらっしゃい!」
扉が閉まった瞬間に、私はリビングまで走って再びソファに突っ伏した。
まさかデートまで漕ぎ着けれるなんて、驚きだ。
最高だ。幸せだ。
私はすぐに真子ちゃんに寝坊作戦は大成功だった旨を連絡した。
本当に彼女には感謝しかない。
すぐに返事は返ってきて、今夜のデートは気合入れてけとアドバイスをもらった。
まだ午前中だというのに、何を着て行こうかクローゼットの中であれこれ悩む。
夕方に彼から連絡を貰い、駅で落ち合った。
よく接待で使うというお寿司屋さんに連れてってもらい、私は大いに楽しんだ。
おいしいし、圭一さんもなんか機嫌いいし。
そのテンションのまま、帰りにデパートに寄って彼のエプロンを買った。
また卵焼きを作ってもらわなきゃと言うと、彼は困ったように笑った。
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